2014年6月28日土曜日
錯覚と無意識 [日野晃]
手品は人をだます。
そうと知っていても、だまされる。
「マジシャンは、自分をも騙しているのではないか?」
武道家・日野晃氏は、そう思った。
「タネや仕掛けに対して、自分でも忘れているほど意識が働いていない状態でなければ、人の目をごまかすことなど出来るはずがない」
幸か不幸か、脳は「錯覚」するようにできている。だから騙されもする。
脳が錯覚を起こす下地となっているのは、固定観念や先入観。「これはこうだ」と決めてかかっているから、手品に引っかかってしまうのだ。
一方、身体はどうか。
脳を構成するのは主に神経細胞であるが、身体の99.9%以上はそれ以外の細胞である。
反応速度という点からいえば、脳(神経細胞)は極めて遅い。神経細胞のもつ時間は1,000分の1秒であるのに対して、一般的な細胞はそれよりずっと速く、100万分の1秒といわれている。つまり脳より1,000倍速い。
身体の細胞は、そのスピードの速さから「脳が認識できずとも、身体がとっさに反応する」ということが起こる。たとえば、熱湯に手を入れれば、考えるよりも先に一瞬で手を引き抜くだろう。たとえ頭が「熱くない」といっても、身体は決してだまされないだろう。
しかし、身体は時に敏感すぎる。脳が意識できないほど小さな刺激に対しても、無意識下で反応してしまうことがある。「攣縮(れんしゅく)」という動きがそうで、不意のアクシデントに対してピクッと筋肉が反射してしまう。これは脳が制御できる動きではない。
武術では、そこを突く。脳と身体のズレを。
たとえば、相手に背後から両腕でしっかりと抱え込まれた状態で、日野氏は自分の右小指をほんのわずかだけ動かしてみる。すると相手の腕は、その微かな動きを察知して右腕にピクッと「攣縮」が起こる。その小さなこわばりのスキをついて、日野氏はスルリと抜け出す。
しっかり抱え込んでいたはずの日野氏に抜けられて、相手は「?」。それもそのはず、自分の身体がわずかに反応したことに脳は気づいていないからだ。そもそも日野氏が小指を動かしたことも認識できていない。その小指は自分と接してもおらず、視界にも入っていないのだから。何もかもが「?」である。
もし、日野氏が相手と接触した部分を動かしたのであれば、それがどんなに小さな動きでも、相手は無意識下で反応して締め返してくる。それがわかっているから、日野氏は相手に触れていない小指だけを動かして、相手が抵抗するような反応を導かないようにしたのである。
かつて伊藤一刀斎は、剣の妙をこう語った。
「人は眠っている時でも、頭が痒くなれば頭をかく。頭が痒いのに尻をかく者はいない」
これぞ無意識下での身体の妙。
人は目に頼りがちなため、見えない技には反応しづらい。
「だからこそ、技は本質的に『見えない次元』で何らかの操作をしているものなのだ」と日野氏は言う。「身体の感覚がサビつくと、見た目からの脳判断でしか行動できなくなってしまう」
あるTV番組で、目の不自由なご両親が子供のイタズラを叱っていた。
たまらず子供は、家の外へ飛び出してしまった。するとお母さんはその子のあとを追う。目が見えないはずなのに、何のためらいもなく車の往来する通りに。しかも、子供が右に行ったか左に行ったかも正確にわかっていた。
この映像をみて、日野氏はこう言った。
「あぁ、自分は目の見える障害者だった」と。
目が見えるという枠に囚われてしまっていたため、「目の不自由なお母さんに子供を追えるわけがない」と決めてかかっていた。
「自分は本当に大事なものが見えていなかった。見えていたのは固定観念や先入観だけだった」
脳はだまされる。
身体はだまされないが、素直すぎるほどに反応してしまう。
こうした「脳と身体の齟齬」によって、武術上の錯覚は生じるとのこと。それを人は気がつけない。まるでマジシャンにかかったように。
「そういう者は、永遠に技をかけられる側なのだ」
(了)
ソース:月刊 秘伝 2014年 06月号
日野晃「武術の解答」
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