2014年6月9日月曜日
3度目の正直 [コートジボワール]
嘘をつかない
人を騙さない
モノを盗まない
この3つがアカデミーの規則だった。
ASECアビジャンの育成アカデミー、通称ミモジフコム。ここの卒業生が、コートジボワール代表の黄金世代を生み出した。
——最盛期にはドログバを除くスタメン10人をアカデミシャンが占め、現代表でもトゥーレ兄弟やゾコラ、ボカ、カルー、ジェルビーニョなど8人が名を連ねている(Number誌)。
その名門アカデミーは1993年末、フランス人ギウーにより創設されたものだった。
ギウーは、全国から10代の子供たちをスカウト。徹底したサッカー・エリート教育を施した。それはヨーロッパ仕込みの「テンポ良くパスを回すスタイル」。当時のアフリカには極めて珍しいものだった。
現代表の大黒柱、ヤヤ・トゥーレは言う、「自分のためだけにプレーしない。チームのためにプレーする。ギウーの教えてくれた考え方は、当時のアフリカではなかなか難しかった」と。
トゥーレらアフリカの子供たちは飢えていた。
知ることに、教わることに、進歩することに。
そしていつの日か、欧州のビッグ・クラブでプレーすることに。
「僕もバルサでプレーしたいと思ったし、成功のためならどんな努力も惜しまなかった。僕はフィジカルが弱かったから、毎朝6時に起きて砂浜を走ったよ。授業のあとは何時間でも仲間とボールを蹴ったよ」
そして頭角をあらわしたヤヤ・トゥーレ。現在、イングランド・プレミアリーグの雄、マンチェスター・シティの一員である。
——ボールを奪う、運ぶ、散らす。どれをとっても超一流の世界的MF(ミッドフィルダー)といえる。マンCではボランチとして攻守にわたり活躍し、チームの優勝に貢献した。「ヒューマン・トレイン」の異名がしめすとおり、前への推進力を武器に相手陣内を脅かす(Number誌)。
「この子供たちなら、W杯優勝も可能だと思った」
ギウーがそう語るほど、アカデミーのレベルは高かった。
そうしたアカデミシャンらを擁するエレファンツ(コートジボワール代表)は、アフリカ最強チームと謳われた。
だが、ここ一番でずっと勝てなかった。
2006年、2010年と連続出場したW杯、いずれもグループリーグ敗退。死のグループに入ってしまうという不運に見舞われた(2006年はアルゼンチンとオランダ、2010年はブラジルとポルトガル)。
そうした不運を割り引いたとしても、アカデミー仕込みのパスサッカーは、代表になると影をひそめていた。
「それは監督と協会の問題だ。監督が選手のコレクティブな能力を引き出せない。協会は有能な監督を見つけられない」と、ギウーは不満をもらす。
協会内部では、主導権争いからW杯失敗を望む声すらあるという。また、アカデミシャンらを好ましく思わないドログバらも、内紛の火種となっている。
ギウーは皮肉まじりに言う、「後半になると良くなる。後半になると選手が監督の指示を無視するからだ。彼らが監督の言うことから解放され、『自分たちで何とかしないと』と思うまでに45分かかる」
ブラジルW杯、日本の初戦はこのコートジボワール。
日本代表の遠藤保仁はこう評する。「コートジボワールは、個人能力がメチャクチャ高い。とくにヤヤ・トゥーレ、ジェルビーニョら攻撃の4人はズバ抜けてる。ドログバも動けなくなったとはいえ一発がある」
——遠藤にとって、コートジボワールは歴戦のなかで最強と思えたチームの一つだ。4年前、南アフリカW杯直前で惨敗した記憶は決して消え去ることができない(Number誌)。
一方、ギウーは日本を警戒している。
「4ヶ国中、プレーに関しては日本が優れている。頭ひとつ抜けている日本は、グループリーグを突破するだろう」
グループDは、コロンビア、ギリシャ、コートジボワール、日本。
「日本戦は、僕らにとっての決勝戦だ」
エース、ヤヤ・トゥーレは言う。
「僕らの積んできた経験が、今回こそは生きる」
アフリカ屈指と言われ続けて久しいエレファンツ。
3度目の正直に挑む。
日本代表、遠藤も意気高い。
「まずはコートジボワールをブッ叩かないとね」
(了)
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 7/17号 [雑誌]
コートジボワール「恩師が語る黄金世代の光と影」
遠藤保仁「不安はまったくない」
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