2014年6月1日日曜日

1対1の美学 [カンナバーロ]




サッカーW杯2006 ドイツ大会

大会前、イタリアは優勝候補ではなかった。ブラジルにはロナウジーニョとカカがいた。フランスにはジダンとアンリ。そして開催国のドイツ。

——イタリアは4、5番目の存在でしかなかった(Number誌)。



実際、大会がはじまってもイタリアは低調だった。

——グループリーグの試合をみた多くのファンは、早々に帰国することになるかもしれないと覚悟した。どんなに楽観的な人でも、このイタリアが決勝までいくとは思っていなかったのだ(Number誌)。



なんとかグループリーグは勝ち抜いた。だが、決勝トーナメントも大苦戦から始まった。

1回戦の相手はオーストラリア。ピンチが多く、ポゼッション(ボール支配率)でも上回られた。それでも最後の最後、後半ロスタイムに得た”幸運なPK”で、イタリアは辛勝する。



この苦い試合、「最後の一線」だけは越えさせなかった、とカンナバーロは振り返る。

「そもそもW杯というのは、全試合でいい試合を見せられるわけじゃない。決勝までの7試合すべてで圧倒的なパフォーマンスをみせた優勝国なんて、歴史上でも存在しないんだ。どんなチームにも大会中、2、3試合は低調な試合をする時がやってくる」

カンナバーロは続ける、「そんなときに問われるのが、”今ひとつの内容でも勝ち切れるかどうか”。重要なのは、苦しいときにも最後の一線だけは越えさせないことだ」



——幸いにも、当時のイタリアには、相手の猛攻に耐えられる、セリエAで鍛えられた熟練の守備者たちがいた(Number誌)。

その一人が、ファビオ・カンナバーロ。真夏の太陽のような笑顔をもった、イタリア最強の守備者(ディフェンダー)。

——カンナバーロとネスタは、世界でも3本の指にはいる完成されたCB(センターバック)。SB(サイドバック)には、全盛期のザンブロッタとグロッソ。そしてゴールマウスにはブッフォンがいた(Number誌)。

こうしたタレントを並べたイタリアの「最後の一線」は、金鉄のような強固さを誇っていたのである。



カンナバーロは言う。

「オーストラリア戦以降、後ろから見ていても、チームの状態が上がっていくのが手に取るようにわかった」

つづく準々決勝、イタリアはウクライナに快勝(3-0)。

——カンナバーロがはじめて優勝を意識したのは、この頃のことだった(Number誌)。






次の相手(準決勝)は、開催国ドイツ。

その戦いを控えたある朝、カンナバーロはドイツの地元紙に目にする。

「”ピッツァ”に”パスタ”に”マフィア”。丁寧に写真まで載せてくれてね。イタリアという国をバカにするような内容だった」

書かれてあるドイツ語はわからない。それでも、その内容は容易に想像できた。



「テレビも同じだ。ドイツ国内では、彼らはもう決勝に進んだつもりだったんだ」

——最も印象に残っている試合は、決勝(フランス戦)ではなく、このドイツ戦だとカンナバーロは言う。イタリアをどこか下に見ている経済大国を見返してやろうという思いもあった。ドイツが勝つ、という出来上がった世論をくつがえしてやりたかった(Number誌)。



「試合の雰囲気も凄かった」

スタジアムはドイツ人で埋めつくされていた。

そんな異様な熱狂のなか、イタリアは最高のプレーをみせた。

「守備は安定していたし、チャンスもつくり、シュートは何度も枠を叩いた。そしてグロッソとデル・ピエーロのゴールだ。完璧な試合だった」

カンナバーロは満足げに語る。



カンナバーロの守備も圧巻だった。

——デル・ピエーロの2点目につながった、自陣でのインターセプトの場面は、いまもイタリアの語りぐさになっている。中継したTV局の実況は、ただ「カンナバーロ!」と3度叫んだ(Number誌)。

カンナバーロは言う、「あれは僕の人生のベストゲームのひとつでもあるんだ。1対1、高さ、インターセプト。すべてを完璧にこなすことができた。大会の最大の山はあそこだったのかもしれない」



——数日後、カンナバーロはベルリンの地で黄金のカップを掲げることになる。故郷ナポリへと帰る飛行機のなか、イタリアにとって4度目のワールドカップが、その腕の中にあった(Number誌)。










「Organizzazione difensiva(守備組織)」

それがどれだけ完成されているか。勝因は一つではないと前置きして、カンナバーロは語る。

「前線からの守備、中盤で相手選手へのフィルターはかかっているか。最終ラインの選手はしっかりと1対1の勝負でまさっているか」

それらが高いレベルで機能してこそ、はじめて完成度の高い守備組織になるのだ、とカンナバーロは力を込める。

「ワールドカップで一番の鍵をにぎるのは、そこなんだ」



実際、2006年のドイツ大会、カンナバーロのいたイタリア代表にはそれがあった。

「失点はアメリカ戦のオウンゴールと、決勝戦のジダンのPKだけ。流れのなかで相手に決められたことは7試合で一度もなかったんだ」

まさにイタリアのゴール前は、”カテナチオ(錠前)”であった。






あれから8年

カンナバーロはすでに現役を引退している(2011)。

そうした時の流れとともに、イタリア半島にはスペインの風が流れ込んできた。すなわち、バルセロナやスペイン代表が成功させた、”ポゼッション・サッカー(パス・サッカー)を善とする考え”である。

事実、現在のイタリア代表は”アッラ・スパーニャ(スペイン風)”とも呼ばれている。ピルロ、デロッシらの華麗なパサーが、軽快にボールを回してはチャンスをつくりだす。



話がそこに及ぶや、カンナバーロは眉を曇らせる。

「スペインのサッカーが面白いのは確かだ。ただ…」

そう言って、カンナバーロは一呼吸おいた。

「…ひとつ言えるのは、イタリアはスペインになれない、ということだ」



「イタリアは何を大事にするべきなのだろう?」

カンナバーロは問う。

「スペインを目指すことだろうか?」

「パスが上手く、繊細なテクニックをもったCB(センターバック)を置くことなのだろうか?」



スペインのサッカーを最善とすれば、最後尾からゲームをつくることが推奨され、CB(センターバック)は気のきいたパスを出せなければならない。

しかしカンナバーロは、MF(ミッドフィルダー)じゃないんだから…、といわんばかりに、そんな考えを一蹴する。

「器用にパスをつなげるCB(センターバック)は美しいかもしれないが、あのポゼッションの本質はそこにはない。いまの世界で僕が評価するのは、しっかりと1対1で守れる選手たちなんだ」



そして、こう断言する。

「僕らディフェンダーは、1対1の勝負を重んじ、それを愛してさえいた」

——気がつけば、かつてのストッパー(守備)大国イタリアには、1対1に絶大な強さを見せる世界レベルのディフェンダーがいなくなっていた(Number誌)。




カンナバーロは、イタリアの守備文化に対する強烈な自負と誇りがある。言葉の隅々に、それが滲み出る。

「最後の一線」を越えさせない、1対1の勝負強さ。

カンナバーロは、その体現者であった。あのイタリアの栄光の影には、いつもカンナバーロら熟練の守備者らがあった。



「ドイツで、イタリアを優勝に導いたものは何だったのか?」

カンナバーロは、かさねて重く問うた。










(了)






ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 6/5号 [雑誌]
ファビオ・カンナバーロ「僕らには守備の美学が備わっていた」



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