「何でオマエ、勝てないの?」
日本ハムの「栗山英樹(くりやま・ひでき)」監督は不思議に思っていた。
それくらい吉川光夫・投手は勝てなかった。1年目には4勝を挙げたものの、2年目以降は「4年間でわずか2勝」という低迷ぶり。「未来のエース」の未来は遠ざかるばかりであった。
吉川投手に実力がなかったわけではない。
栗山監督自身、「吉川の力に惚れ込んでいる」と明言するほどなのだ。「それぐらいのボールは持っていました」。
なぜ、吉川投手は勝てないのか?
「もっと信じてあげて、もっといい形で使ってあげれば、もっと力を発揮できるはず」。栗山監督はそう考えた。
だから、今年一年間は吉川投手を「先発ローテーションから絶対に外さない」と栗山監督は約束した。その一方で、「それでもダメだったら、ユニホーム脱がすよ」とも脅しをかけ、吉川投手の退路を絶った。
結果は?
「14勝5敗」、そしてMVP。
5年がかりでも6勝しか挙げられなかった吉川投手は今年、大いなる飛躍を遂げたのであった。
「監督が背中を押してくれました!」と吉川投手は、並々ならぬ感謝の言葉を口にする。
それをサラリとかわす栗山監督、「僕は何もしていない。やったのは選手ですから」。
栗山監督が理想とする監督は「三原脩(みはら・おさむ)」氏。背番号80は、この伝説の名将・三原氏にあやかるものである。
「昔の人は、三原さんは『言葉の魔術師』だったってよく言うじゃないですか。あの宮本武蔵でさえ、剣よりも言葉の方が強いって言ってたらしいからね」
伝説の名将・三原氏には、こんなエピソードがある。日本シリーズ、9回無死2塁のチャンス、一打出れば逆転という場面である。
三原監督はバッター豊田泰光に「打つか?」と尋ねる。その言葉に驚く豊田、「ここは送りましょう」と送りバントを申し出る。
向こう気の強い豊田に対して、さらに強く出た三原監督。その結果、もっとも望ましい方向へと導いていったのだった。
栗山監督の「理想の采配」もそこにある。
「どう仕向けるかですよね」
栗山監督は吉川投手に対して、「勝て」とか「抑えろ」という直接的な言葉を意識的に避けてきた。
「結果を言ってもしょうがない。そこに導くことが我々の仕事なわけですから」
なるほど、栗山監督はじつに理知的である。さすが、スポーツキャスターや評論家、大学教授まで務めただけのことはある。
しかし、彼の現場での言葉には「そこまでの戦略性は感じられない」。むしろ「情緒的」ですらあるのだ。
「計算するとウソがばれますから。感情が沸き起こった時に言わないと伝わらないんですよ」
理論を捨てた栗山監督の感情は「直球」であった。
そんな彼の言葉は「愚直」ですらあった。
栗山監督が現役時代、「簡単にクビを切られる同僚」を間近で何人も見てきた。
監督自身もケガに泣いて、球場を後にすることを強いられた。
だからこそ、現役選手の苦悩は胸に突き刺さる。実力を持ちながらも力を発揮できていない選手などは、もう見ていられない。
「どこに投げてもいいから、『自分の一番いいボール』を投げようよ」
栗山監督は迷走していた吉川投手に、それを言い続けた。「最後まで『自分の投球』をやり切るんだぞ」。
6月5日の広島戦、未だ闇の中にいた吉川投手は、相手打者に頭部死球を与えてしまい、危険球で退場になってしまった。
うなだれる吉川投手に、栗山監督はこう言った。
「もう一回当てろ」
真面目すぎる吉川投手には、それぐらい強い気持ちを持たせないと「怖さが残ってしまう」危険があったからだ。
時にはそこまで強い言葉を吐きながら、栗山監督は選手たちの芽を大切に大切に育んだ。だから、自分の選手たちが活躍する姿を見ると、自然と涙がこぼれてしまう。
「ベンチで泣く監督」
日本ハムの新たな風物詩。
それがこのチームの最大の求心力ともなった。
言葉の魔術師に憧れた栗山監督は、もうずっとずっと言葉の先にいるようでもあった…。
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 12/20号
「名将の言葉力 栗山英樹」
0 件のコメント:
コメントを投稿