「死んでも攻める!」
その信条を体現したかのような「湯浅直樹(ゆあさ・なおき)」。
スキーW杯、第3戦(イタリア・マドンナディカンピリオ)で「自身初の表彰台」に立った(回転3位)。
「ラストの6旗門から何も覚えていない」
のちにそう語る湯浅は、コースアウト寸前の猛スピードのまま、前のめりにゴール。そのまま転倒して「動けなくなった」。
持病のヘルニアが極度に悪化したのだ。
それでも、滑っている間は痛みは感じていなかったという。
「集中力が極限状態なので」と湯浅。
ゴール後は、倒れこんだまま「タイムも順位も分からない」。
アルペンスキーのレースは2本滑った合計タイムで競われるのだが、一本目の湯浅のタイムは26位(首位と2.06秒差)と大きく出遅れていた。
幸いにも2本目は、一本目のタイムが30位の選手からの逆スタートとなる。そのため、一本目26位の湯浅は2本目の5番スタートという好条件でスタート(出走が遅れるほどバーンが荒れてタイムが伸びなくなる)。
そして、「死んでも攻める!」と突っ込んだ2本目のタイムは、なんと全体で2番目に速いタイム(50秒65)。
ゴール後は「タイムも順位も分からなかった」湯浅であるが、その好タイムにより、順位は一気に3位まで急浮上。それが自信初の表彰台(3位)につながったのだった。
じつは一本目の直後、湯浅は「スタッフ2人に抱えられないと動けない状態」だったという。それでも約2時間半後に行われた2本目で、湯浅は驚愕のハイパフォーマンスを見せたのであった。
2本目の直前、湯浅は「次の一本で倒れて死んでも悔いはない…!」と思い極めていたという。
スキー板を杖にして表彰台に上がった湯浅。表彰台でも「吐き気と鼻水が止まらなかった」。
日本人の男子選手としては史上4人目となるスキーW杯の表彰台。岡部哲也、木村公宣、佐々木明に次ぐ快挙である。
「こんなタフな選手は世界中にいない!」
ライトナー・チーフコーチがそう言うほど、湯浅直樹はタフな選手だ。その決死のゴールシーンもさることながら、湯浅は15年以上も第一線で活躍を続けているのだ。
第一線に常にいたものの、惜しいところで湯浅はいつも表彰台に上れなかった。トリノ五輪(2006)は7位、去年の世界選手権では6位、W杯の最高位は2度の5位(昨季)…。
そして、迎えた今回のW杯第3戦。初の海外参戦から苦節15年を経て、湯浅は表彰台にたどり着いたのだった。それはW杯83度目のレースであった。
コツコツと着実に力を蓄えてきた29歳のスキー・レーサー、湯浅直樹。その重いメダルを手に、こう語る。
「奇跡ではなく『積み重ね』の一つ」
一本目26位からの表彰台というのはスキーレースにおいては奇跡に近い。しかし、湯浅はそれをこれまでの「積み重ね」の一つだと言うのである。彼ほど積み重ねてきたものの多いスキー・レーサーもそうそういないだろう。
「15年以上も海外遠征を続けてきて、胸を張って日本に帰れたのは初めてです」
成田に降り立った湯浅は、笑顔でそう話す。
今回の快挙によって、湯浅は「ソチ五輪のメダル候補」に急浮上。
「幸か不幸か、(アルペンスキー競技の)日本人優勝者は一人もいません。自分でなければやる人はいないと自分に言い聞かせて、歴史を変えたい」
湯浅は力を込めてそう語った。
今季開幕直前に再発してしまった持病のヘルニア。その治療もままならぬまま、12月28日には再びヨーロッパへ乗り込む湯浅。
願わくば、彼の腰がもってくれんことを…。
日本のアルペンスキー界が、久しぶりに見い出した光のタネ。
ただただ、彼のタフさを信じたい…。
ソース:Number
「湯浅が銅 83度目の挑戦で/W杯スキー」
0 件のコメント:
コメントを投稿