「活躍して当たり前」
欧州のサッカークラブから日本に戻った「中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)」には、そんなプレッシャーがのしかかっていた。
しかし、それは彼にとって苦痛ではなかった。むしろ「良かった」のだ。
「自分に責任を持つことがプロフェッショナル」
それが中村の哲学。「プロフェッショナルじゃない選手は落ちていくだけ」。
日本に戻って3年、「とにかくいつも気を張っていられたことは良かった」。
中村の活躍したイタリアでは、日本以上のプレッシャーをファンにかけられ続けられていた。
「試合に負けると、道を歩いていただけで『負けてんじゃないぞっ!』って罵声を浴びせてくるサポーターもいた。負けてしまうと、買い物にすら行けなかった」
イタリアの熱狂的なサポーターたちにとって、サッカーはもはや「生活の一部」。「勝った負けた」が最重要事項だったのだ。
「選手が環境を変えた時に活躍できるのは、プレッシャーや危機感を覚えるからだとオレは思う」
イタリアにいた時の中村も、日本に戻った中村も、彼はいつもそのプレッシャーの中に身を置き続けていた。だからこそ、欧州から戻った後もJリーグで活躍を続けられているのかもしれない。「5年以上海外でプレーした後に、古巣に戻って来たJリーガーは中村がはじめて」。
「長年欧州でプレーしてきた選手がJリーグに戻って活躍するのがいかに難しいか」をイビチャ・オシムはよく知っている。
それでもオシムは、欧州帰りの選手たちに「なぜ欧州で活躍できたのか」を日本に戻っても証明してほしいと願っている。それがJリーグのレベルをもっと上げることにつながると信じているからだ。
「海外のクラブに行くときは何でも吸収したいと思うから、海外の色に染まってもいいぐらいの気持ちを持つ。でも今度はある程度向こうで肉付けされて戻ってくると、それがJリーグで活かせるとは限らない。そこが難しくなってしまうところだと思う(中村俊輔)」
中村は7年半かけてイタリア、スコットランド、スペインと3カ国でプレーしてきた。そして、2010年にJリーグに戻ってなお、ここ3年間「欧州で身につけたものを存分に発揮している感がある」。
「戻りたいクラブがあるというのは、自分にとってすごく幸せなこと」
中村はそう言う。その戻りたいクラブが古巣の横浜マリノスである。「マリノスに対する中村の愛着は深く、それが彼の力にもなっている」。
「日本に戻るならマリノスしかないと思っていた(中村俊輔)」
欧州から帰国後、日本での活躍が難しくなると言われる中、なぜ中村ばかりは奮闘を続けていられるのか。
それは「戻りたいクラブ」があったからなのだろうか。
欧州のサッカーをマリノスのみならず、Jリーグに還元しようとしている中村俊輔。その姿は「"逆"越境の理想像」なのかもしれない…。
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 12/6号
「Jリーグ復帰後の難しさと発見 中村俊輔」
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