2015年4月19日日曜日

「いつかはメジャーに行けると信じています」加藤豪将 [野球]



加藤豪将(かとう・ごうすけ)

日本で無名だった高校生は2013年6月、衝撃のドラフト指名を受ける。米ヤンキースから2巡目(全体66位)で指名されたのだった。






名門ランチョ・バーナード高校で大活躍し、全米選抜にも名を連ねていた加藤。アメリカ生まれとはいえ日本人を両親にもち、3〜5歳までは日本で暮らしていた。アメリカの小学校入学当時、加藤は”つたない英語”しか話せなかったという。そのせいで、学校で嫌な思いをすることも多かった。

そんな野球少年、加藤豪将の希望の星となっていたのが「イチロー」だった。当時マリナーズで活躍していたイチロー、屈強な大型アメリカ人選手らを向こうに回して、走攻守に際立つプレーを披露していた。そのインパクトたるや強烈で、7歳の少年の目を見開かせた。

加藤豪将
「イチローさんを見て、”本当にすごい!”と思いました。アメリカ人の中で一人だけ日本人が輝いているというのは、学校ではなかったことです。それを見て人生が変わったというのはあります」






それから、加藤の挑戦がはじまった。”野球のグラウンドで結果を残すこと”、その一点に邁進した。

加藤豪将
「”日本人だから高校で野球はできない”、”大学には行けない”とか、”体が小さすぎる”とか言われたりもしました。それがモチベーションになった面もあります。(見返す気持ちは)心の中ではありましたけど、絶対、外には出さなかったです」

アメリカ人の中で鍛錬を重ねたその成果が、日本人として過去、最高順位となるドラフト指名だった。

加藤豪将
「ドラフトされた時は本当に嬉しかったですけど、それがフィニッシュラインではなく、スタートライン。誰もマイナーで活躍したいとは思っていないもの。”メジャーのワールドシリーズで勝ちたい”、”オールスターに出たい”という夢があるので、ドラフトは本当のスタートでした」



入団した1年目(2013)は、ルーキーリーグのショートシーズンでプレーした。

その初戦、加藤はいきなりホームランを放った。鮮烈なデビューである。打率は最終的に3割1分、出塁率4割2厘の好成績を収めた。

その活躍によって、翌シーズン(2014)は2ランク上の1Aチャールストンに「飛び級」で昇格した。



順風満帆に思われた。

しかし開幕直後、いきなり壁にぶつかった。

加藤豪将
「ルーキーリーグは”高校のエクステンション(延長)”と言ってもいいぐらいだったので、高校時代と同じスイングでも結構いい成績が出せました。でも、レベルが2つぐらい上がったら、ボールはもっと動くし、スピードも速い。キャッチャーもピッチャーも頭がいい」

1Aとはいえ、世界各国から集結した若者たちは精鋭ぞろい。それレベルは明らかに違っていた。スピードが速いうえに、鋭い角度でボールが小さく動く。ナイターなどでは経験がなかったこともあり、ボールが見えづらかった。打率は一時、1割台にまで低迷した。



加藤豪将
「毎日プレーするのが大変でしたし、観客のヤジも辛かった。このままではダメだ、と思いました。フォームを変えなきゃいけない、と思いました」

スイングスピードを上げ、バットを最短距離で出すために、打撃フォームを鋭くコンパクトな形に改良した。その甲斐あって、後半戦はコンスタントに安打が出て、打率はなんとか2割2分2厘までもっていくことができた。

加藤豪将
「後半戦は、”普通の加藤豪将の野球”をやったら、少しぐらい通用するようになりました。初めてのスプリング・トレーニングに、初めてのフルシーズン。いろんなことを学んだと思います。一番大事なことは、”どんな日でも毎日同じメンタルでフィールドに行くこと”。コンスタントにメンタルをキープできれば、次の日も結果が出るということがよく分かりました」



プロ一年目を終えた段階で、加藤は次の課題をはっきりと認識した。

「体づくり」である。

加藤豪将
「一年間プレーする体力がなかったので、まず”そこ(体づくり)から始めていこう”と思いました」



シーズン終了後、ヤンキースからは体重増加を目的とする「食事トレーニング」が手渡されていた。ほぼ2時間おきに食事をとる「1日6食」。基本的な3食にくわえ「スナック(おやつ)タイム」もあった。

加藤豪将
「最初は食べ過ぎて太ったり、吐き気がすることもありました。ファーストフードにもトライしてみましたが、最終的にはご飯が一番吸収される。日本人だからでしょうけど、お米を食べるとアミノ酸やカロリーがいっぺんに摂れますから」

わずか3カ月あまりで、体重は78kgから91kgに、13kgの大幅増量。シーズン中とは別人のように逞(たくま)しさを増した。これまで着ていたシャツやジーンズは着れなくなった。

加藤豪将
「(体力がなくなると)体をコントロールすることができないということが、1年目でよく分かりました。本当に骨だけだったので、筋肉をつけないと体が動かなくなってしまうのです。今まであまり食べていなかったので、今は食べることが一番重要な野球のトレーニングだと思っています。体が大きくなったからといって野球はうまくならないですが、これがどこまで通用するのか。今年はその実験です」



いまや、トップクラスの有望株と期待されている加藤豪将。

しかしメジャーへの道は長く険しい。野手の場合、大学出身でも最低2年、加藤のように高校出身の場合は最低でも3〜5年をかけて体力を蓄え、技術を磨かなければならない。

加藤豪将
「一日一日うまくなっていけば、いつかはメジャーに行けると信じています。レベルに関係なく、自分との戦いです。最終的には自分がライバルだと思いますし、あまり周りのことは考えないでやっています。メジャーに行くには自分を信じるだけです」



2つの国籍をもつ加藤豪将。アメリカで育ったが、日本人としての心意気を胸にもつ。野球の基礎は日本人の父から学んだ。

加藤豪将
「アメリカやドミンゴの選手たちとは身体能力も違う。そのあたりは負けてしまいますが、日本のように確実で、軽やかにアウトをとるようなプレーをしていきたいです。できるだけメジャーに早く行きたいというのはありますが、あまり早く行ってまたマイナーに戻るのではなく、一度上がったらそこに10年以上いられるようでいたいと思っています」



加藤豪将、現在20歳。

人懐っこい笑顔、日本人らしい礼儀正しさで、昨シーズンをこう振り返った。

「自分で野球をやっているのが嬉しくて、野球をやってお金をもらえているというより、毎日フィールドに行って野球をやれているという楽しさの方が大きかったです」





(了)






ソース:Number(ナンバー)870号 二十歳のころ。 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
加藤豪将「僕の野球で、メジャーへ挑む」



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