2013年7月4日木曜日
引退決意から一転、キャプテン就任。木村沙織の心 [バレー]
「決めた!!」
バレーボール日本代表の「木村沙織(きむら・さおり)」の手帳には、「黄色い☆型のシール」とともに、そう書き込まれていた。
何を「決めた」のかといえば、「現役引退」であった。その日付は去年(2012)の11月14日。
「もう、おっきく手帳にシールで貼って、『やめるっ!』みたいな(笑)」
そう言って木村は笑う。だが、バレーボール日本代表にとっては決して笑い事ではなかった。まだ26歳の木村沙織はまだまだ日本代表の中心選手だったのだ。
木村沙織がオリンピックに初めて出たのは17歳の時。史上最年少でアテネ五輪に出場したのであった。その4年後の北京オリンピックでは5位。
そして、25歳で迎えたロンドン五輪では「念願のメダル」に手が届いた。
「これがロンドン・オリンピックの時の『銅メダル』です」と木村はそれを取り出して見せる。
「結構いろんな大会とか出て、メダルも結構な数もらったんですけど、もうホントにロンドン・オリンピックのメダルが一番重たくて大きくって、なんか、ズシっという感じで、かけてもらった時すごい感動しました」と木村は言う。
日本代表になって10年、木村はその「集大成」としてロンドン五輪に臨んでいた。
そして叶った。3度めのチャレンにして、悲願のメダル獲得が。
その後、木村は日本人女子選手として初の「一億円プレーヤー」となって、世界最高峰のトルコ・リーグへ移籍。
だが、トルコでの木村はいくぶん冷めていた。オリンピックで感じたような熱はすでになかった。
「なんか、この人たちに勝ちたいなとか、そういう目標が自分の中であんまり出てこなくて。楽しかったなぁ、そろそろ終わってもいいかなぁっていうふうに思いました(笑)」
オリンピックでメダルを獲ってしまった今、木村にはなんの悔いもなかった。トルコの強豪チームにいても、新たな情熱は湧いてこなかった。いわゆる「燃え尽き症候群」であった。
「ある時、こうスパって直感っていうか、辞めるなら今かなって」
その日こそ、去年(2012)の11月14日。手帳に「決めた!!」と書き記した日だった。
「もう人から何を言われても、意志がぶれないように」と、木村は手帳に「黄色い☆のシール」を貼ったのだった。
普段の木村は「のほほん」としている。
だが、一度決めるとテコでも動かない。
柔らかい物言いや見た目からは想像できないほどに、その意志は固かった。
木村が引退を決意したその同じ頃、日本代表の「眞鍋政義」監督は木村を日本代表の「キャプテン」に据えようと考えていた。もちろん、木村の決意など知らずに。
そして今年(2013)1月、眞鍋監督は突然、イスタンブール(トルコ)にいる木村の元を訪れ、その旨を伝えたのだった。
ところが木村は開口一番、「じつは眞鍋さんねぇ、もうバレーやめようと思っています」と切り出す。そして以後は「もう、やらない」の一点張り。「ありえない」っていうくらいの断固拒否に眞鍋監督は思わず怯んだ。
その時のことを木村はこう振り返る。
「『なんでキャプテンが私なんですか?』っていうのを言いましたし、『絶対わたしじゃない方がいいと思います』って言ったんです」
木村にとって、「キャプテン」という眞鍋監督の提案は思いもよらないものだった。
だがその後、「キャプテン」という響きが木村の固く締まっていた心を少しずつくすぐり始める。
「もう自分の中で引退って決めて、終わるまでどういうことをやっていこうかなっていうのを考えてる中に、『キャプテン』っていうのをポンと言われて。それがミックスして、ぐちゃぐちゃしてて」
ぐちゃぐちゃしたまま過ぎた2ヶ月後、木村は「やり残したこと」に気がついた。
「キャプテンて今まで一回もやったことないですし、もし自分がキャプテンやってたらどんなチームになるかなぁとか、そういうふうに考えるようになっていました」
もし、キャプテンということをやらずにバレーを辞めたら「後悔するかもしれない」と木村は思うようになっていた。
「キャプテンを引き受けずに引退したら、あとで『やってたらどうなったんだろうな』とかちょっとでも思うとイヤな性格なので。やっぱ後悔はしたくないので」と木村は言う。
やりたいことがないと前へ進めないという木村。だが、やりたいことが見つかった途端に、俄然「先に進もう」という気持ちが湧いてくる。
早速、木村は眞鍋監督にメールを送った。「よろしくお願いします」と。
2013年5月13日、新生日本代表のキャプテンとして木村沙織は記者会見に臨んだ。
「新しい『火の鳥NIPPON』を皆さまに見てもらえるように、一生懸命がんばりたいと思います」と木村は語った。
どんなキャプテンになりたいか、との問いに対しては
「私は誰の真似もできません。自分らしいキャプテンを」と木村は答えた。
後日、NHKの取材に応じた木村は「おしゃれなカフェ」に招かれた。
じつは彼女、引退したらカフェを開くということまで実際に考えていたのだという。
そして「初挑戦」だというカフェラテ・アートで、ミルクの泡の上に「金」という文字を書いて見せた。
木村が本当に「やり残した」と感じていたのは、じつはキャプテンではなく、オリンピックでの「金メダル」だった。それに気づき、キャプテンを引き受けたのだった。
「やっぱり、どんどん欲が出てくるんですよね。メダルはもっといい色がいい、とか(笑)」
「前へ進もう」という気持ちが、ドンドンと欲を膨らます。
「初めて、本当に強い思いで『金メダル』っていうふうに今、言えると思います」と木村は言い切った。
ちなみに、初めてのカフェラテ・アートの出来栄えは?
「へたくそ(笑)」
そう言って笑う木村がカフェを開くのは、少なくとも次のオリンピックが終わってからだろう。
(了)
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ソース:NHKサンデースポーツ
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