2013年7月12日金曜日
「老い」を受け入れて。ボートレーサー加藤峻二「71歳」
「71歳」のチャンピオン
ボートレーサー「加藤峻二(かとう・しゅんじ)」
いかに「ボートレース(競艇)」が現役を続けられる期間が長いとはいえ、71歳で優勝戦を制した人物は初めてだった
3月25日、JCN埼玉杯
風の強い、雨の日だった。
加藤がスタートで出遅れたのは致命傷であったものの、「1コーナーでの減速の判断」は絶妙。他のレーサーらが追い風という難しい状況下で減速のタイミングを決めかねている中、加藤は冷静に減速。その後、するりと加速して集団を抜け出した。
そして2つ目のコーナーでは、すでに「勝った」という確信になる。
「えらいことやっちゃった」
それが加藤峻二、71歳、勝利後のコメントだ。
70歳代での現役レーサーというだけでも前人未到。それが優勝である。過去ボートレースの最年長優勝記録は65歳(高塚清一)。それを5年以上も加藤は更新したのであった。
「10年以上も優勝してなかったから興奮してね」
加藤が最後に勝ったのは自身60歳の時。それ以後10年間、優勝からはずっと遠ざかっていた。
ボートレーサー加藤峻二は太平洋戦争のさなか、1942年生まれ。小泉純一郎(元首相)、ポール・マッカートニー(ビートルズ)と同い年。
この世界に入ったのは17歳の時(1959年)。
「身体が小さい自分にとって、本当にぴったりの仕事が見つかったなって」
現在、身長163cm、体重50kg。何よりも「負けず嫌い」のメンタリティがこの世界に向いていた。若い時などは肋骨が骨折してもレースから帰って来なかった、と妻のヨシエさんは言う。
全盛期は30代後半〜40代。
Number誌「SGと呼ばれる最高峰のレースで4度優勝するなど一時代を築いた。通算優勝回数は120回(歴代7位)。勝利数3,268(歴代2位)」
ところが60歳の時に「びわこ」で優勝して以来、ぱったり勝てなくなった。
加藤はこう振り返る。「48歳くらいの時から、うっすらと衰えを感じることはあった。でも自分でははっきりと認めなかったんですよ。直視したくないというか」
負けん気の強い加藤は、年の大きく離れた弟子たちに「若い子には負けない」という張り合いはあった。でも勝てない。
そしてついに、レーサーの等級が「B1」に落ちてしまう。66歳の時だった(2008)。
等級は上からA1、A2、B1、B2。B1落ちは、相撲でいえば十両に転落するようなものである。歴代7位の優勝回数を誇っていた加藤峻二が…。
最初は「1回くらい落ちても戻ればいい」と考えていた、と加藤は言う。だが、半年ごとに送られてくるライセンスの通知はいつまでたっても「B」のまま。
「B、B、またBと…」
そして悟った。
「もうA級に戻るのは難しい」と。
そして考え方を変えることにした。
「現実を受け入れよう。自分が衰えたことを」
その途端、なんだか楽しくなってきた、と加藤は言う。
それまでは、勝っても「ホッとするだけ」だったという。勝って当たり前と思ってきたからだ。だが、開き直って老いを受け入れてみると、勝つのが普通に「うれしい」。
「勝って『うれしい』と思えるようになったんですよ。負けても気持ちが楽なんです。『負けることもあるなぁ』って。すると楽しくなっちゃってね」と加藤は微笑む。
負けん気がなくなったわけではない。
「むしろ必死にやり過ぎちゃってたんですよ。自転車乗ってもスピード出し過ぎるし、スキーをやっても孫相手に勝とうとしてしまう」
思い返せば、加藤が受け入れていないのは「自分の衰え」だけだった。
弟子たちには「ルール変更に文句を言うな。対応することを考えろ」と語っていた。ボートの世界では「昨日までOKだったことが今日はNO」ということが日常茶飯事。スタートの方法、体重制限などなど。
そうしたルール変更に文句を言っていても仕方がない。それを受け入れ、我先に対応してきたからこそ、加藤は50年以上も勝ち続けてきたのであった。
かくも柔軟な思考をもっていた加藤。だが、自分は「受け入れている」と思っていたのは実は盲点で、加藤はつい最近まで「老い」を受け入れていなかったのである。
だが、それに気づくと早かった。あっという間に10年ぶりの優勝を果たしてしまったのだから。
「自分はもしかして思ったよりも年を取っているのかな(笑)」
そう言って笑う加藤は、「いまは過去の経験を食い潰しているだけですよ」と謙遜する。
だが弟子たちに言わせれば「師匠は何でもできる天才」。71歳になってなお優勝を決めた時など、そのレースには筋力、瞬発力、判断力など凄まじいまでの技術が濃縮されていた。
「ホントに好きなんですよ。ボートに乗っているのが。レース前に試走しているだけでも楽しい」と加藤は話す。
「すでに老いた部分は受け入れたとしても、この先どう老いるかは分からないでしょう(笑)」
そう笑う加藤は、まだ「これから先の老い」を受け入れてはいない。もちろん、引退などはまだ考えたこともない。
「まぁ、辞めろと言われたら辞めるしかないけど(笑)」
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 7/11号 [雑誌]
「最年長ボートレーサーの戦う理由 加藤峻二」
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