2015年4月11日土曜日

ハビエル・フェルナンデスと羽生結弦、そして安藤美姫




ハビエル・フェルナンデス(24)

フィギュアスケート界では珍しく「スペイン」の出身だ。スペインはまだフィギュアの発展途上ともいえる段階で、それゆえに彼の残してきた業績には多くの「初」がつく。





バンクーバー五輪の出場権を得たのは、スペインでは実に54年ぶりの快挙。

2011年のスケートカナダ、GPシリーズでのメダルはスペイン「初」。

2013年から3連覇した欧州タイトルもスペイン「初」



ハビエルは言う。

「僕が子供のころは、スペインでフィギュアスケートはマイナーなスポーツでした。でも姉がやっていたのを見て、自分もやってみたいと思った。そして実際に滑ってみたら、すぐに夢中になりました。スペインでは一番人気があるサッカーも、のちにはテニスも水泳もやってみたけれど、結局フィギュアスケートが一番好きで、最後まで続けたんです」

初めて氷上に立ったのは6歳。それは普通のリンクの4分の1サイズ程度しかない小さな氷だった。

Javier Fernandez「なぜそこまで自分がフィギュアスケートに夢中になったかのか、うまく説明できません。とにかく滑っていることが楽しかったんですよね」



スペインにおけるフィギュアスケート人気が高まったのは、”突然リンクに登場した有能な才能”、このハビエル・フェルナンデスによるところが大であった。

昨年(2014)12月、ついに念願のGPファイナルがスペインで開催された(バルセロナ)。

Javier Fernandez「自分の国の観客の前で試合に出たのは、国内選手権をのぞけば、はるか以前のジュニアGP大会以来のこと。”良いところを見せなくては”と緊張しました(笑)。そのせいかSPでは大失敗。でもフリーで挽回して銀メダルをもらうことができました。とても嬉しかったです」

地元ハビエル・フェルナンデスの人気はもちろん、スペインの観客はどの国の選手にも驚くほど熱心な声援をおくった。会場は連日、ほぼ満員だった。

Javier Fernandez「スペイン人は元々スポーツ観戦が大好きなんですよ。でもあの大会の後で、大勢の人々に『フィギュアスケートがあれほど面白いとは思わなかった』と言われました。うれしかったですね」

この大いに盛り上がった大会の後だった、スペインに新たなリンク2カ所(バルセロナとグラナダ)の建設が決まったのは。

Javier Fernandez「アメリカやカナダ、ロシアといった大きな国なら、リンクを2つ造るなんて些細なことだったでしょう。でも国内にリンクがせいぜい10カ所くらいしかないスペインにとっては、これでも劇的な進歩なんです」



まだ発展途上のスペイン。

競技人口もさることながら、優秀なコーチもまだ限られている。ハビエルのジャンプは4回転では成功率が高いのに、なぜかフリップやルッツでのミスが多い。それは子供のときに教わった基礎技術に”ちょっとした問題”があったからだという。

Javier Fernandez「スペインには2回転ジャンプまでぐらいの基礎を教えられるコーチは何人もいます。でも3回転、4回転とレベルが上がっていくためには、コーチ自身もこれから経験を積んでいかなくてはならないのです」

17歳のとき、ハビエルはスペインを離れた。優秀なコーチを求めアメリカに渡り、ニコライ・モロゾフに師事した。

Javier Fernandez「当時ニコライのところには、ノブナリ(織田信成)、ミキ(安藤美姫)、アダム(・リッポン)などがいました。みんな、もの凄くレベルが高くて、この人たちはいったい何なんだ! と思いました(笑)」



20歳になってからはカナダに渡った。向かった先はトロント市内にある名門スケートリンク「クリケット・クラブ」。このリンクからは過去、20人以上オリンピックメダリストが育っていた。

そこに待っていたのは名伯楽、ブライアン・オーサーだった。

Javier Fernandez「ここにはブライアンだけでなく、トレイシーやデイビッドなど複数のコーチがいました。ブライアンが他の生徒の試合で留守にしていても、誰かが必ず見てくれました。しかもジャンプやスケートの技術だけではなく、全体のバランスのとれたトレーニングを行っていました。移って正解だと思っています」

ハビエルの飛躍は、オーサーの指導の賜物だった。2011-12シーズン、初進出したGPファイナルで3位に踊り上がった。







2012年、日本から新たな風が舞い込んだ。

羽生結弦(はにゅう・ゆづる)が同じクラブに移って来たのである。

Javier Fernandez「ユヅルが加わることに、まったくためらいは感じませんでした。ニコライのところにいたときに、強い選手と一緒にトレーニングすることのメリットを十分に実感していましたから」


 


Javier Fernandez「ユヅルは本当にすごい選手ですよ。練習でも常に100%を出し切って、上達しつづけている。彼が五輪チャンピオンになる前から、彼は偉大なスケーターだと言ってきましたが、今も言い続けています」

羽生が転倒すれば、ハビエルが飛んできて手を貸して起こす。そんな和気藹々として光景がリンクに見られた。

Javier Fernandez「ユヅルはまだ英語を勉強中だけど、可能な限り僕たちは英語で話をしています。ウォームアップの最中に、ブライアンと3人でジョークを言い合うこともある。アスリートにとって、リンクがこういう快適な環境だと毎日来るのが楽しくなるし、上達も早くなる。それに、お互い見て学び合うこともできるんです」

羽生がハビエルにアドバイスを求めることもあった。

Javier Fernandez「不調な日には、『前日、君はこうやっていたけれど、今日はここがこうなっているよ』というように、気がついたことを言ってあげることもあります。逆に僕がイマイチな日には、ユヅルが『大丈夫、できるよ』と声をかけてくれたりもします」







ソチ五輪、羽生結弦は金メダルに輝いた。

ハビエルは4位。惜しくもメダルを逃した。

Javier Fernandez「もちろん、いつかはユヅルに勝ちたいという気持ちはある。スポーツには勝敗がつきもので、いくら友達でも競技になったらライバルだから」





ハビエルが羽生結弦を上回る日がやってきた。

今年(2015)の世界選手権

ハビエルの演技は羽生の直後だった。その段階で羽生は暫定首位。リンクには羽生を称える無数のプレゼントが散らばっており、ハビエルは本番前にまったく足慣らしができなかった。

Javier Fernandez「同じことを昨シーズン、埼玉の世界選手権で経験しているから、ぜんぜん大丈夫でした」

十分に落ち着いていたハビエルは、4回転3本のうち2本を成功させた。電光掲示板は「1位」と表示した。







羽生の連覇は阻まれた。同じチームメイトのハビエル・フェルナンデスによって。

会見場にあらわれた羽生は意外にも明るい表情で、ハビエルの金メダルをねだる素振りさえ見せた。

Javier Fernandez「絶対にユヅルが優勝だと思っていたからね。スペインにとって初の金メダルは夢だったけど、夢に過ぎないと思っていた。ユヅルが一緒に練習するようになったお陰で、僕の練習量が増えたんです」

一方の羽生は、こう言った。

「ハビエルがすごく練習していたということは、トロントの皆から聞いていました。これまでいつも一緒に試合をして、ハビエルは『おめでとう、ユヅルを誇りに思うよ』って言ってくれていました。でも今回は立場が逆になって、自分はそんなに心が広くないから悔しいし、次は勝ってやるとも思うけど、その反面、彼をチームメイトとして誇りに思うし、『仲間が優勝するのはこんなにも嬉しいものなんだな』と思いました」

横にいたハビエルは、照れ隠しのように羽生の肩をもんだ。






そういえば昨年(2014)の12月、ハビエルはSNSで驚くべき発表をした。安藤美姫との交際である。

Javier Fernandez「日本では、こういうことはプライベートにしておくことが普通みたいですね(笑)。でも、僕もミキもオープンな性格なので。彼女と付き合いはじめた当初、周囲からいろいろなことを言われたし、不愉快なことを言われたこともあります。それならいっそのこと、表に出て堂々としようと決めたのです。だって、僕が日本に行ったとき、2人で隠れてコソコソしなくてはならないなんて、そんなのは考えられないでしょう」







Javier Fernandez「僕たちが一緒に過ごすときには、間にまだ幼いミキの娘がいます。だからこの関係は”ファミリー”のようなもの。将来のことも考えていますが、現役を続けている間は、まだ何も具体的ではないですね。今のところカナダと日本にいる僕たちは、距離的にも離れているし、時間をかけてこの関係を育てていきたいと思っています」






(了)






ソース:Number(ナンバー)875号 羽生結弦 不屈の魂。フィギュアスケート2014-15 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
ハビエル・フェルナンデス「夢、恋と人生、そしてユヅルについて」



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