「It's just a number」
”ただの数字”、と錦織圭(にしこり・けい)は言った。
その数字とは、世界ランキング『5位』という数字だ。
そして迎えた2015全豪オープン
それは錦織が世界ランク5位という看板を背負って戦った、はじめての四大大会(グランドスラム)であった。1年前の錦織は、世界17位の第16シードで大会にのぞんだ。それが今年は、世界ランク5位の第5シードである。
「Kei is great! We love Kei's Tennis!」
国内にとどまらず、海外での人気も一挙に高まり、今大会、優勝候補の一角に挙げられていた。
松岡修造は言う。
「空港に降りた瞬間から、メルボルンはテニス一色だった。どこを見渡してもスター選手の写真が目に入ってくる。錦織選手はその中心にいた。圭はすでに "日本の錦織圭" ではなかった。世界の "Kei" になっていた」
かの悪童、マッケンローは言う。
「ニシコリが驚きをもたらすかもしれない」
「Keiはトップ中のトップ選手だ。あとはグランドスラム(四大大会)で勝ちきるメンタルだね」
そうした喧騒に、錦織は戸惑いを隠さなかった。
錦織圭「僕はまだ5位になって数ヶ月しか経っていない。だから居心地が良くないんだ。慣れるには時間がかかる。経験が必要なんだ。いま5位にいることによって、正直、20位前後にいたころより考えることは多くなってきた。”5位という看板” を背負うのは簡単なことではないので」
記者から、すかさずツッコミが入った。
「じゃあ、世界ランクが何位だったら居心地がいいの?」
錦織圭「わからないけど…。まあ、15~20位ぐらいかな」
日本人らしいその謙虚さが、みなの笑いを誘った。とにもかくにも、錦織圭を取り巻く周囲の視線は、一年前とは一変していた。急成長した錦織圭。しかし、その双肩には世界5位という ”未知の重圧” がずっしりとのしかかっていた。
全豪、初戦の相手は「ニコラス・アルマグロ(スペイン)」
かつて世界ランク9位にまでいった強豪で、錦織は「1回戦の相手ではタフさランキング、トップ」と警戒していた。最初のゲーム、錦織はいきなりブレークを許してしまう。その後に挽回して第1セットを奪うも、錦織から硬さは抜けない。第2セットも先行を許しながらの逆転。第3セット、アルマグロは戦意が萎えたか、ミスを連発して自滅していった。
2回戦、対「イバン・ドディグ(クロアチア)」
昨年、錦織とは2度戦い、2度とも錦織がストレート勝ちした相手だった。しかし序盤、やはり錦織はリズムをつかめない。果敢にネットに詰めてくるドディグに第1セットを奪われた。それでも、つづく3セットを連取した錦織。ようやくギアが上がりはじめた。
3回戦、「スティーブ・ジョンソン(アメリカ)」
またも第1セットを落としてしまう。硬さがほぐれたのは第2セット以降。いつもの「技のデパート」を披露した錦織は、本来のリズムを取りもどして勝利を収めた。
”立ち上がりに暗雲が垂れ込めかけても、次第に雲間から光が差し込み、終わってみれば晴れ間が広がっている。それが3回戦までの展開だった(Number誌)”
錦織自身、立ち上がりのぎこちなさを認めていた。
錦織圭「すこし硬くなって、自分から打っていけなかった。気持ちの問題がある。でも、そんなに最高のプレーでもない割にしっかり勝っているのは、いい出来だと思います。四大大会(グランドスラム)では、内容よりも勝つことが第一なので」
いよいよベスト16
4回戦の相手は、野獣「フェレール(スペイン)」
錦織圭「本当に、彼とやる前は、けっこう恐怖なんです。身体を最後まで壊されて戦うので」
ツアー屈指のスタミナを誇る「鉄人」フェレール。錦織は昨季のマドリードで勝った後、大会途中で棄権に追い込まれた。パリでも日付が変わるまで死闘が続いた。
しかし終わってみれば、錦織のストレート勝ち。
錦織圭「フェレールに3セットで勝ててびっくりした!」
”4回戦は、雲一つない快晴。真夏のメルボルンに広がる青空のような圧勝劇だった(Number誌)”
その勝因を錦織はこう語った。
「リズムをつかみやすい相手だった。(3回戦までは)パワープレーヤーでリズムがつかみづらく、ラリーが続かないことが多かった。こうやってリズムがつくれる相手というのは、自然と自分のレベルも上がってくる」
忍耐強さや守備力なら、今の錦織はツアー屈指。ストローク戦が長引くほどに勝機は高まる。しかし逆に言えば、「Kei 攻略」のカギはそこにあった。
松岡修造は言う。
「それぞれの選手が、自身本来のテニススタイルではなく ”Kei 対策” を施して挑んできた。完全なる攻撃テニス。圭のセカンドサーブになると、迷いなく攻めてネットについてくる。ストロークで120%強打を含め、とんでもない攻撃を仕掛けてきたのだ。それによって圭はどうなってしまったか? ”リズムをつくらせてもらえなかった”。」
いまや世界ランク5位の錦織は、世界の実力者たちから徹底的にマークされる立場におかれている。もはや錦織はチャレンジャーではない。かの強豪たちこそが錦織へのチャレンジャーなのだ。当然、相手は周到な準備をして、錦織の強みを封じてくる。
準々決勝で当たった「ワウリンカ」もやはり、徹底した ”Kei 対策” を施してきた。異名「スタニマル(名前のスタンとアニマルの合成語)」と呼ばれるワウリンカ。肉食獣ばりの闘争心で錦織に食ってかかってきた。
”ワウリンカが周到な準備で臨んでいたのは明らかだった。ワウリンカはパワーを誇示するかのように打ちまくる。最高時速222kmのワウリンカのサーブに錦織は手を焼き、コートに返球できたのは全体の54%にとどまった。ワウリンカのパワーがつくった奔流に飲み込まれた錦織は、8強で大会を終えた。この大会で錦織は、実力者がチャレンジャーとして牙をむく恐怖を味わったに違いない(Number誌)”
この大会を通じて、錦織は試合の前半にリズムを崩されていた。そこをワウリンカも突いてきた。”ケイにリズムを与えたらやられてしまう”と。
「Hey ! What's happening to Kei !」
”圭はどうしちまったんだ?”
松岡修造は会場で、そう声をかけられた。声の主はマッツ・ビランデル。かつて四大大会(グランドスラム)を7度まで制覇したスウェーデンの英雄だ。
マッツ・ビランデル「ケイには明るい未来があるよ! あとはグランドスラムで勝ちきるメンタルだけだね!」
錦織は、大会をこう振り返った。
「いろいろなことを考えてしまい、平常心でいることができなかった。これから格下の相手とやるときに、どれだけメンタルを強くもってテニスができるか。それがずっと課題になる。はやくメンタルの強さを手に入れたい」
父・清志さんは、こう言う。
「下位との対戦では横綱相撲をとりたいんだろうけど、まだ横綱じゃないから苦しむんですよ。彼は ”積み重ねていく人間” なので、(世界ランク5位に)慣れないものは慣れないんですよ。慣れなくてもできる人はいるかもしれないけど、彼にはできないんです。それがアイツの良さでもあるし。だから、少しずつだと思うんですよ。積み重ねて、それを咀嚼して、そのうちにどこかで伸びる時期が来るんじゃないかと思う。彼は理由もなく適当に伸びていくタイプではないんです。今回はそこに向かう第一歩なのかな、と」
ATP(男子プロテニス協会)の世界ランキングには、2,000人以上のプレーヤーたちが名を連ねている。錦織の5位という数字は、そのピラミッドのほぼ頂点。
だがその積み上げたポイントも1年後には消えてなくなってしまう。それは輝かしくも空しい、”砂上の楼閣” 。その地位にとどまり続けるには、崩れる砂を積み上げ続けるよりほかにない。
2015年の全豪オープンを制したのは、世界ランク1位の「ノバク・ジョコビッチ」。オープン化以降では歴代最多となる5勝目だった。
”ラリーが駄目ならネットに出る。フィジカルが駄目ならメンタルで粘る。相手より勝っている部分を少しでも探し、対抗し、しぶとくチャンスをつかむ。つねに揺れ動く試合の流れのなかでジョコビッチはそれができる。そこが世界ナンバーワンの強さであり、錦織をふくめた若い挑戦者たちにも求められる資質なのかもしれない(Number誌)”
ジョコビッチは言う。
「本当に小さなディテールが厳しい試合の勝敗を分ける。何度も何度も壁にブチ当たった。自分を信じられず、無理かもしれないと思った日々。ただ最後は、信じ続けるしかなかった」
いまはピラミッドの頂点に立つジョコビッチ。
しかし10年前、彼は初出場した2005年の全豪オープンで1回戦負けを喫している。たった3ゲームしか奪えなかった。それが今は堂々たる王者である。
そのジョコビッチが言う。
「Keiのランキングは5位だが、間違いなく世界一だと言っていいテニスだ。彼の時代はこれからだ」
昨季、錦織はこの絶対王者を相手に勝利をおさめている。
『スコットランド・オン・サンデー』の女性記者、ラムジーは言う。
「才能はまちがいないし、時間の問題よ。ケイはユーモラスで、自尊心みたいなものが全くないのがいいわね」
(了)
ソース:Number(ナンバー)871号 ジャパンクライシス 日本サッカーはなぜ弱くなったのか? (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
錦織圭「新たな難敵『No.5』との戦い」
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