その日のネイマールは、ブラジルの「大統領」だった。
「Presidente Aplaudido(喝采を浴びた大統領)」
ブラジルのスポーツ紙「LANCE!」の一面がこれである。
コンフェデ杯の開幕戦、日本を「3-0」で圧倒したブラジル代表。そのキックオフ直後、前半3分に今大会のオープニング・ゴールを決めたのがネイマール。
「黄色いユニフォームを着てピッチの上に立っていた大統領。ネイマールだ。日本戦ではユニフォームが汗で滲まないうちにあっさりと先制点を決め、試合の流れを決めてしまった。シュート練習をするかのような、抑えの利いた弾道だった(Number誌)」
一方、ブラジルの「本物の」大統領ジルマ・ルセフ氏は、コンフェデ杯のその同じ会場で「大ブーイング」を受けていた。
「ジルマ・ルセフ氏は2011年に就任した『ブラジル初の女性大統領』である。就任当初は国民から支持されていたけれど、飛ぶ鳥を落とす勢いだった経済が停滞し始めた最近では、もっぱら不評だ。物価は上がる一方で、バスの運賃は街角で売られているヤシの実の値段を超えた(Number誌)」
そのバスの運賃値上げに端を発したブラジルの「デモ」は、またたく間にブラジル全土へ野火のごとく燃え広がり、法外な額が投資されたサッカー・スタジアムがその槍玉に挙げられていた。
スタジアム外の騒然としたデモの中、スタジアム内のネイマールは「息を飲むような美しいゴール」を決めて、大観衆の大喝采を受けていた。
じつはネイマール、代表とクラブではここ9試合連続で「不発」だった。だが、この鮮烈な一発で彼は完全に蘇った。その後、ネイマールはメキシコ戦、イタリア戦、スペイン戦と合計4得点。コンフェデ杯のMVP(最優秀選手)に選ばれることになる。
その覚醒のきっかけが初戦、日本ゴールへの一撃だった。大会開始早々、ネイマールの肩の荷は一気に軽くなったのである。
ブラジル代表のスコラーリ監督はネイマールを「絶対の選手」として位置づけ、
ネイマールが振るわない間もずっと彼を中心にチームを作り続けてきた。
「スコラーリ監督は、ネイマールと役割が重なる可能性のあるかつてのスターたち、ロナウジーニョやカカを代表に呼ぶことはなかった(Number誌)」
そのネイマールが「絵に描いたようなエースの活躍」をついにコンフェデ杯で見せた時、誰よりも喜んでいたのはスコラーリ監督だった。
「ネイマールが魅せ、チームはしっかりと結果を出す。コンフェデ杯は指揮官にとってこれ以上ない形で始まった(Number誌)」
「愛する10番、ネイマールに気持ちよくプレーさせることを望むスコラーリ監督は、どこか『古典的なブラジル人監督』のようにもみえる。規律や統制には目をつぶり、『ジョゴ・ボニート(美しきプレー)』を追い求める、ブラジル人監督の姿だ(同誌)」
だが、本当のスコラーリ監督の「サッカー観」が表れているのは、この派手なネイマールではない、と言う人もいる。じつは、地味な守備的MF(ミッドフィルダー)「ルイス・グスタボ」こそが、スコラーリ監督を物語っているのだ、と。
このグスタボ評は世間では低い。ある新聞はグスタボを「冷静だ。効率的で、戦うこともできる。しかし地味だ。おそらくは現チームの中で最も目立たない。どのクラブでプレーしているのかさえ知らない国民だっている」と辛く評する。
きらびやかなネイマールのとは全く対照的なグスタボ。だが、スコラーリ監督がグスタボに寄せる信頼は厚い。ある地元記者にこんな話をしている。
「私は日本戦のMVPはグスタボだと思っているんだ。ドイツで戦術面を学んだ彼は、私にとって非常に重要な選手だ」
日本戦において、グスタボの姿を見ることはほとんどなかった。彼に任された仕事はCB(センターバック)の前でスペースを埋め、相手のカウンターの芽を摘むことだった。それ以外、グスタボは余計なことをしなかった。
スコラーリ監督は続ける。「日本戦でカガワ(香川真司)とホンダ(本田圭佑)の2人をうまく抑えることができたのは、『グスタボの仕事』があったからだし、私はとても評価している」
縁の下を支えるグスタボを愛するスコラーリ監督は、決して「古典的なブラジル人監督」のように「統制や規律」に目をつぶっているわけではない。
スコラーリ監督は言う。「私が望むのは『統制されたチーム』だ。現代サッカーはそれなしに成功はあり得ない」と。
華やかなネイマールにしろ、その卓越した「個の力」を統制なしに発揮しているわけではない。スコラーリ監督はネイマールを「チームプレーができる」と評価している(もっとも、以前のネイマールはサッカーの王様ペレにも批判されるほど個人プレーに走ることがあったのだが…)。
「日本の左SB(サイドバック)ナガトモがあまり攻撃参加できなかったのも、フッキをはじめ、チームの組織的動きがあったからだ。日本戦では『組織としての動き』が上手くいった」とスコラーリ監督は語る。
代表選手の一人、パウリーニョはこう話す。「監督はいつも僕に言うんだ。『とにかくバランスを見るんだ』ってね」
「ネイマールの陰でスコラーリ監督が愛するもう一人の男、グスタボの評価は今も低いままだ。彼の献身が正当に評価される日は、この国ではもしかしたらやってこないのかもしれない。しかし指揮官の信頼は、試合をこなすごとに高まっている(Number誌)」
日本戦を終え、ネイマールはこう言っていた。
「今のブラジルはチームとしてプレーしながら、試合のポイントで個人の力量を出すことができるようになったんだ」と。
一方、ブラジル戦で「らしさ」をまったく発揮できずに惨敗した日本代表。
その試合後の夜、ザッケローニ監督は突然、キャプテン長谷部誠を呼び出していた。その緊急トップ会談の席上、監督はこう問うた。
「みんなは個人でプレーしたいのか? それとも、チームとしてやっていくつもりがあるのか?」と。
普段、ザッケローニ監督は感情を高ぶらせることは滅多にないというが、この時ばかりは違ったと、長谷部は振り返る。
監督が日本代表に期待していたのは「ネイマールのように3人を抜いてゴールを決めるサッカー」ではなかった。「組織として連動して相手を崩すサッカー」こそ、日本にふさわしいと考えていた。
ところがどうだ。事前にブラジルの弱点を分析して、その対策を練習でやってきたはずなのに、ブラジル戦のピッチ上ではそれが全然表現されていなかった。
「お前たちなら世界のトップ相手でもできるのに、なぜやらない?」とザッケローニ監督は長谷部に迫っていた。
元ブラジル代表のジョルジーニョも、日本のブラジル戦には失望していた。
「決勝にさえ行けたかもしれないのに…」
日本代表の「個」と「チーム」のバランスが崩れたのは、W杯出場を決めたオーストラリア戦の後だったかもしれない、と人は言う。その翌日の記者会見の席上、本田圭佑や長友佑都は「個」の重要性を強調していた。
だが、本田にしろ長友にしろ組織プレーを放棄してまで「個の成長」を訴えたわけではない。ザッケローニ監督の疑心を長谷部がチームメイトに伝えると、「日本らしい組織で勝負するのは、当たり前のこと」とすぐに心が一つになった。
そして次に迎えたイタリア戦、日本代表のパフォーマンスは世界に高く評価されることとなる。
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 7/11号 [雑誌]
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