2004年、アテネ・オリンピックの金メダリスト「野口みずき」。
その快走は翌年も続き、ベルリン・マラソンでは日本新記録で優勝(2時間19分12秒)。国内では敵なし、日本選手として初めて東京・大阪・名古屋の三大女子マラソンを完全制覇(2007)。
だが、その足は北京オリンピック(2008)を前にして、ピタリと止まってしまう。
「左足臀部の肉離れ」
それは北京五輪の本番をわずか2週間後に控えた、調整中の悲劇だった。
その悲劇を受け入れられなかった野口は、ここで痛恨の無理をしてしまう。
「北京オリンピックを前にしたら、自分の精神状態をコントロールできませんでした…」と本人は語る。
怪我の完治を待てずに動き出してしまったことが、左足首、両ヒザとさらなる故障の連鎖を引き起こす。泣く泣く欠場を表明するのはレース本番5日前のことだった。
「オリンピック2連覇の夢を奪い去った痛み」
塩をすり込んでしまったようなその傷は、なんとその後5年間にわたり野口を苦しめ続ける。
「まさに地獄のようでした…」と野口はその辛い日々を振り返る。
「人の目も気になり、顔を上げて走ることもできませんでした。被害妄想で沈んだところを人に見せてしまったり…、そんな自分が嫌いでした」
自己嫌悪の悪循環。
ガンバレと応援されても、「話しかけないで」と感じたり、のびのび活躍している選手を妬んだり…。
追い詰められて追い詰められて、いっそのこと「マラソンなんて辞めてしまおう」とも考えた。オリンピックでメダルも取ったし、日本新記録も出した。「このまま終わっても、いいんじゃないか…?」
「でも、カッコ悪い終わり方は嫌だったんです」と彼女は語気を強める。
「『カッコいい終わり方』で伝説を作りたいと思ったんです」
以来、無理をやめて、徹底的に怪我を治すことに専心。
そしてようやく今年1月、あの悪魔のような痛みが消えた。今までしつこく根をはっていた炎症がほとんどなくなったと診断されたのである。じつに5年ぶり、ついに永き苦悩から解放された瞬間だった。
今の彼女は明るい。
「今となっては、あの経験も財産になったかなって思えます。それまではガムシャラに走っていただけだったけど、今は走りながら自分の身体の異変に気付けるんです。足の声、体の声をしっかり聞いてコントロールできるようになったんです」
苦悩は彼女をランナーとしてさらに鋭敏にし、そして、人間的にも強さを増していた。
今年3月、生まれ変わった野口みずきは34歳にして、名古屋ウィメンズマラソンで3位と好走。8月にモスクワで開かれる世界選手権の切符を獲得した。
レース後、野口は「全盛期と同じような強気の走りができました」と笑顔でコメント。
世界選手権への出場は、じつに10年ぶりの快挙となる。
「野口さんにとって、マラソンとはなんですか?」と松岡修造は問うた。
野口はこう答える。「マラソンがどういうものか言えたら、私はもう満足して辞めると思うんですよね。わからないから、まだやってるんです」
カッコいい終わり方とは?
「年齢を超えて、ただ速いではなく、何もかもひっくるめて『強い野口みずき』で終わりたい。そして、自分を超えたい」
彼女は、心からの笑顔でそう言い切った。
「走った距離は裏切らない」
これは彼女の座右の銘である。
5年という長き潜伏期をへて、彼女はふたたび世界へ向けて走り出している…!
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 7/25号 [雑誌]
「野口みずきが追い求めるカッコいい終わり方」
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