2018年5月8日火曜日

「ああ、邪念か」【村田諒太】


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Number(ナンバー)951号




多読から、一読へ。

イタリアから挑戦者エマヌエーレ・ブランダムラをむかえる初防衛戦をまえに、村田諒太(むらた・りょうた)は最終調整で数日すごすことになる都内のホテルに、一冊の本を持ちこんでいた。





心理学者ビクトール・フランクルの『夜と霧』

第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所での体験を基に、生きる意味をしるしたフランクルの代表作である。

村田は”戦場”へむかうまえに、なぜ読みこんできたこの本をバッグに忍ばせたのか――。


読書家は、こう応じた。

「その本について、なにを見ようとしているのか、が人にはあって、いまの自分にとって必要な箇所というものを見るわけです。読者である自分の心理がかわれば、読むところ、心にふれるところが変わってくる」


彼が必要とした箇所は、

「苦しむことへの意味」

フランクルがさまざまな本で、記してきた問いかけでもある。

《今までのうのうと生きてきた私たちにとって、自分の内面がどうこうと窺い知ることはできなかった。だから私はこのひどい運命に感謝している》





村田諒太「心のどこかで、試合なんかしたくない、という気持ちだってありましたよ。そういう弱い自分とむきあう時間があって、だからこそ苦しみもふくめてボクシングなんだ、と。よくスポーツの世界では、”楽しめ”とか言うじゃないですか。それができればいいですけど、無理に楽しむ必要もないなって」



リングには素のままの村田諒太がいた。

「もうすぐ始まるし、もうすぐ終わる」

と、なるようにしかならないぐらいの、達観にちかい不思議な感覚につつまれていた。

明鏡止水の心もち。





テーマの一つにしていたのが、

「邪念とのたたかい」

だった。



試合にむけ、ことあるごとに「邪念」というフレーズを口にしては、おのれの心の支配下におこうとしていた。これは帝拳プロモーションの代表で、元世界王者の浜田剛史氏からうけた言葉だという。

「試合にむけたスパーリングって、はじめの2週間はいいんですけど、かならずといっていいほど3週目に悪くなる。最初は、疲れかなと思っていたんですけど、浜田さんに言ったら

『ああ、邪念か』

と。なるほど、2週目で感覚をつかんで、3週目でいろんなことをやってやろうと思うから、くずれてしまう」


ただ、その「邪念」を抑えようとはしない。むしろ受け入れて、コントロールしていく。

「だって、それ(邪念)がなかったら、チャレンジしなかったら、成功も失敗もないじゃないですか。ダメな時期にはなりますけど、そのうえでの成長がある」



苦しみを受け入れて、苦しみと向き合う。

邪念を受け入れて、邪念と向き合う。

宿命を受け入れて、宿命と向き合う。



村田は言う。

「最近、思うようなったのは、アスリートとしてリスペクトされるアイコンでなければならない、ということ。挑戦する姿を、人は見ていますから」






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ICHIRO BACK TO MARINERS 2018

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