2014年7月10日木曜日

走るアメリカ、W杯を駆ける [サッカー]




サッカー不毛の国

アメリカ

——アメリカにおいてサッカーは「脇役」にすぎず、主役は野球、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケーだ(Number誌)。



その荒野に、一人のドイツ人が降り立った。

ユルゲン・クリンスマン

ドイツの前代表監督(2004〜2011)であり、自国開催のドイツW杯(2006)では第3位という成績を刻んだ。選手時代にはW杯の優勝経験もある(1990イタリア大会)。



クリンスマン監督は言った。

「アメリカだからこそ出来るサッカーが必ずある」






クリンスマンの傍らには、ある日本人がいた。

咲花正弥(さきはな・まさや)

——咲花はフィジカル分野におけるエキスパートだ。現ドイツ代表監督レーブのスタッフとして、ユーロ2008と2010年W杯に同行。一方、ウワサを聞きつけた岡田武史監督の依頼により、同時期に日本代表の体幹トレーニングにも携わった。そして2011年9月、アメリカ代表のフィジカル・コーチに就任(Number誌)。



咲花は、クリンスマン監督の改革をこう語る。

「以前のアメリカは、まずディフェンスをしてカウンターから得点を狙うサッカーをしていました。クリンスマン監督の考えは違います。『プロアクティブ』に自分たちでつないで攻めようじゃないか、と」



「プロアクティブ」

それは「先を読んだ攻撃的なサッカー」を意味した。

それこそが「チャレンジ精神あふれるアメリカの国民性」をサッカーに活かせる道であると、クリンスマン監督には思われた。








クリンスマン監督の改革は、じつに合理的であった。

咲花コーチは言う。「選手の血液検査をしてどの栄養素が足りないかを調べ、食事やサプリメントに反映させます。ブラジルW杯期間中は、血液検査の頻度を増やし、さらに脱水症状のチェックをほぼ毎日していました。ドイツ代表もここまで細かくは調べていませんでしたよ」

アメリカはサッカーこそは後進国であるものの、最先端の技術や知識を取り入れる先取の気性は存分にあった。練習中には走行距離や負荷などが個別にモニタリングされ、それが次の練習強度を決めるデータとして用いられた。



また、クリンスマン監督は積極的に「国外に住むアメリカ人選手」の発掘を手がけた。

ヘルツォーク(元オーストリア代表)コーチがヨーロッパ中を飛び回り、候補を見つけてはリクルートに奔走した。

——すでにドイツ出身の「ジョーンズ」と「チャンドラー」がアメリカ代表入りしていたが、アンダー世代のドイツ代表経験がある「ジョンソン」、「ブルックス」、「グリーン」、「ヨハンソン(元アイスランドU-21代表)」らが次々と星条旗を背負う決断を下した(Number誌)。



そうした国外志向に、アメリカ国民はしばしば反発した。

前アメリカ代表監督のブラッドリーは、「なぜ国外から選手を連れてくる必要があるのか? MLS(メジャーリーグ・サッカー)を軽視している。やはりアメリカ代表はアメリカ人が率いるべきだ」と痛烈に批判した。

だがクリンスマン監督は、そうした批判をすべて無視した。むしろ批判されると「アメリカのメディアも欧州のレベルに近づいてきた」と逆に喜んでいたという。






「アメリカ・サッカーのクオリティーや戦術理解度は、ヨーロッパに比べればまだ低いと言わざるを得ない」

クリンスマン監督の改革は順調に進んでいたものの、まだまだヨーロッパの強豪国との間には埋められない差が厳然としてあった。



そこで、ブラジルW杯に向けて特別プランが実施された。

「暑熱対策」がそれであった。



その責任者となった咲花コーチ、科学的根拠を元にした対策をあらゆる角度から講じていった。

「最も注意したのは『暑熱順化』のプロセスです。いきなり暑いところでフィジカル(身体)のベースを作ろうとすると、負荷がかかりすぎます。だから、まずは涼しい西海岸のサンフランシスコで合宿を行い、そしてニューヨークを経由して、暑熱順化のためにフロリダ入りしました」

理論によれば、暑熱順化には7〜10日間かかるとされていたので、フロリダでの7日間は強度を落としたメニューが実施された。

咲花は言う、「環境のいいところでフィジカル(身体)のベースをつくれば暑熱への順化も早くなるし、身体がフィットしていれば暑熱順化も長持ちする。それが僕たちの考え方でした」

この点、いきなり暑い鹿児島・指宿(いぶすき)で身体作りと暑熱順化に取り組んだ日本代表とは、アプローチの仕方がまったく異なっていた。






ブラジルW杯におけるアメリカ代表の拠点は、涼しいサンパウロであった。

ここでの練習は快適であったが、しかし、それまで施してきた暑熱順化の効果は日ごとに薄れていってしまう。そこで、グループリーグ初戦の3日前には会場であるナタール入りをFIFAに要請した。

「サンパウロでの滞在を、なるべく短くするのが鍵でした」と咲花コーチは言う。

それは、クリンスマン監督がそれだけ初戦を重要視していたからであった。実力で劣るアメリカ代表が初戦を落とすことは致命傷になると思われたのである。

「ドイツ代表ならば、6〜7試合を見据えたコンディションが可能ですが、アメリカの場合、とにかく初戦(ガーナ戦)に照準を合わせていました」



この「初戦にピークをもっていく周到な準備」が、アメリカを救うことになる。

先制点はアメリカ。主将デンプシーはキックオフ直後にスルスルとドリブルで抜け出し、開始わずか29秒という電光石火のゴールをいきなり決めた(W杯歴代5位のスピード)。

ところが後半、攻撃の勢いを強めたガーナは、ギャンのアシストからA.アイェウが同点ゴールを決める。追いつかれたアメリカは苦しい展開になったものの、ブルックスがCK(コーナーキック)をヘッドで押し込み、終了間際に勝ち越しに成功した。

——シュート数やボール支配率などで上回ったのはガーナであったが、最後まで粘り強い守備と闘う姿勢を見せたアメリカが、激戦を制した(Number誌)。






続く第2戦、ポルトガル戦。

会場は、さらに蒸し暑いマナウス。

暑熱順化に成功していたアメリカ代表にとって、過酷な条件は望むところであった。むしろ不安を抱えていたのはポルトガル代表のほうであった。

クリンスマン監督は試合前、選手らにこう言った。「ポルトガルの準備をみると、暑熱順化をしていない。間違いなく後半に足が止まる。先制されても絶対に逆転できるぞ」



先制したのは開始5分、実力者ポルトガルだった。

だが、クリンスマン監督の予想どおり、後半のポルトガルは足が止まっていた。そこを走力で押したアメリカは2点を返し逆転に成功。誤算だったのは、終了直前にポルトガルの同点ゴールを許してしまったことだった。最終スコアは2対2の引き分けに終わった。



第3戦、ドイツ戦。

ドイツはクリンスマン監督の母国であり、弟子のレーブ監督が率いる「師弟対決」となった。

軍配は、地力で勝るドイツにあがったものの、アメリカはグループリーグ1勝1敗1引き分け、得失点差でポルトガルをかわして決勝トーナメント進出を決めることになった。



アメリカは暑熱順化の成功も手伝って、代表選手らはベスト16に進んだどの国よりもピッチを走り回った。

グループリーグ終了時点で、全選手中で最も走行距離の長かったのはアメリカ代表のブラッドリーだった。チーム全体の走行距離もアメリカが一番で(一試合平均124km)、そのハードワークが際立っていた。

そうした「走るアメリカ」に、サッカー不毛の民、アメリカ国民らも熱狂せずにはいられなかった。






いよいよ決勝トーナメント

1回戦の相手はベルギー。この強豪国は、チェルシーのアザールら欧州のビッグクラブでプレーする選手であふれている。選手の質では、明らかにアメリカは劣っていた。



——だが、アメリカには「驚異の運動量」があった(Number誌)。

格上ベルギー相手に、アメリカは走り続けた。前半は互角に打ち合ったアメリカであったが、後半はベルギーの猛攻にさらされた。それでもアメリカの守護神ハワードは、ゴールの壁を守り続けた。

90分間の戦いは両チーム無得点。決着は延長戦へともつれこんだ。

——試合が動いたのは93分。デブライネ(ベルギー)が放ったチーム31本目のシュートが先制点に。105分、今度はカウンターから後半登場のルカク(ベルギー)がゴールをゲット。延長前半に0対2とされてしまったアメリカだったが、走ることはやめなかった。19歳のグリーン(アメリカ)が裏に抜け出してスーパーボレーを決めて1点返した。粘りに粘ったアメリカだったが、あと一歩及ばなかった(Number誌)。






アメリカのオバマ大統領は、試合後、代表チームに賛辞をおくった。

「君たちを誇りに思う。アメリカ中に感動を与えてくれた」

——この賛辞は、敗者が放った特別な輝きを物語っていた。敗れてもなお人々の記憶に残る「美しき敗者」であった(Number誌)。

このベルギー戦、マン・オブ・ザ・マッチ(試合における最優秀選手)に選ばれたのは、敗戦チームであるアメリカのGK(ゴールキーパー)ティム・ハワードであった。






試合翌日、クリンスマン監督は誇らしげにこう語った。

「以前ならば、延長後半のような反撃はできなかったと思う。選手らはワールドカップ期間中、すさまじい成長を見せてくれた」

「アメリカのサッカーは、ブレイク寸前だ」













(了)






ソース:Number(ナンバー) ベスト8速報
アメリカ「クリンスマンの独立戦争」



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