2014年5月29日木曜日
マラカナンの悲喜劇 [ブラジルとウルグアイ]
第二次世界大戦後、初のW杯
1950年、ブラジル大会
その最後の一戦で、歴史は軋みをあげた。のちにサッカー史上、最大の悲劇といわれることになる「マラカナンの悲劇」が、この時起こる。
それまでのブラジルはじつに好調で、決勝リーグでスウェーデンに7対1、スペインに6対1と圧勝。最終戦でウルグアイに引き分けさえすれば優勝という好位置につけていた(ちなみにこの大会、最後まで総当たりのリーグ戦方式で戦われた)。
その怒濤の勢いのままに迎えた最終戦
ブラジル vs ウルグアイ
開催国ブラジルは、戦う前から戦勝気分に酔い痴れていた。
——新聞には早くも「我々は世界チャンピオンだ」という見出しが掲載され、浮かれたムードがブラジル全土に広がっていた。代表宿舎には政治家たちが絶え間なく訪れ、選手たちは休む暇もなく、宣伝用の記念撮影に応じなければならなかった(Number誌)。
そして、1950年7月16日
決戦の舞台となったマラカナン・スタジアム(リオデジャネイロ)は、およそ20万人を超えるブラジル人サポーターでひしめき合っていた(不正入場も含めると25万人とも)。
——試合前の写真撮影では、ほぼ全員のフォトグラファーがブラジルの方へ流れていく(Number誌)。
ところが結果は…
——誰もがブラジルの優勝を信じて疑わなかった大会で、(ウルグアイは)スタンドの大観衆を敵に回して逆転勝利。大番狂わせを達成した(Number誌)。
1-1で迎えた79分、ギージャ(ウルグアイ)が決勝点を決めた。20万のブラジル人は静まりかえり、2人が自殺、2人がショック死、20人以上が失神。
「小国ウルグアイが、大国ブラジルを執念で撃沈した!」
マラカナッソ
日本では「マラカナンの悲劇」と訳される、ブラジル代表の衝撃的な敗戦であった。
——優勝祝賀会のために用意された打ち上げ花火は廃棄され、2失点を許したGK(ゴールキーパー)バルボーサは、2000年に79歳で他界するまで「2億人のブラジル国民を泣かせた男」と罵られた(Number誌)。
一方、戦勝国ウルグアイでは
”マラカナッソ”と言えば「ウルグアイ代表による大金星」という、まったく逆の意味になる。
あるジャーナリストなどは「マラカナッソは奇跡でも偶然でも、幸運の賜物でもない。ウルグアイが勝って然るべき試合だった」とまで言い切る。
「何よりまず、当時のブラジルは強豪と呼べる存在ではなかった。1940年代、サッカー界のトップにいたのは間違いなくウルグアイとアルゼンチンで、欧州のクラブも積極的に両国に遠征し、われわれからサッカーを学んでいたんだ(アティリオ・ガリード)」
統計をさかのぼると、ブラジルW杯が開かれる1950年までに、ウルグアイは五輪での2大会連続金メダル(1924, 1928)を含め、11個のタイトルを獲っている。
また、サッカーW杯が産声をあげたのも、他ならぬウルグアイの地であった(1930)。そして、その栄えある初代優勝国となったのもウルグアイである。
一方のブラジルは、それまでにW杯を掲げたことがなかった(ブラジルが初めてその栄冠を手にするのは、マラカナンの悲劇から8年後のスウェーデン大会。サッカーの神様となるペレの登場を待たなければならない)。
じつは、マラカナンで両国が激突するその2ヶ月前、ウルグアイとブラジルの間では3連戦が行われていた。
——結果、ブラジルが2勝1敗と勝ち越すが、逆に自信を深めたのはウルグアイの選手たちだったという(Number誌)。
先述のジャーナリスト、アティリオ・ガリードは言う、「ブラジルの2勝はイギリス人の主審に助けられたものだったし、じつはウルグアイは協会の政治問題から監督が不在だった。だから選手たちは確信したんだ。『監督もいない状態で3戦ともゲームを支配できたのだから、ワールドカップでは絶対に勝てる』とね。
——当時のウルグアイには、鍵となるポジションに優れた選手がそろっていた。経験豊富なベテラン勢による堅固な守備に、スピードを最大の武器とする若手FW陣。それに対してブラジルは、長年の課題だった守備の脆さを改善できないどころか、フラビオ・コスタ監督がベストの布陣を見出せず、試合ごとに選手を入れ替えている状況だった(Number誌)。
マラカナンでの決戦は、冒頭に記したとおりにウルグアイの勝利におわるわけだが、ブラジル唯一の得点となったフリアサのゴールにも疑問符がつきまとう。
「フリアサにパスが出た瞬間、線審がフラッグを挙げたのが見えた。完全にオフサイドだったからね」と、当時のウルグアイのキャプテン、オブドゥリオ・バレーラは語る。
「でもプレーがそのまま続くと、フラッグはすぐに降ろされた。ゴールが決まった後、俺はボールを抱えてすぐ線審に文句を言いに駆け寄ったよ。20万人のブラジル人から恐ろしいほど残酷なブーイングを浴びながらね」
結局、フリアサ(ブラジル)のゴールは大観衆に押し切られた形となった。
「チーム全員に、落ち着くように言い聞かせた。焦ったら、虎ども(ブラジルの選手たち)に一口で喰われてしまうからな」とキャプテン、バレーラは肩をすくめてみせる。
それでもウルグアイは、フアン・アルベルト・スキアフィーノのゴールで同点に追いつくと、その後も冷静な試合運びで攻撃を続け、後半79分、ギージャの”あの決勝点”が決まるのであった(最終的にギージャは、グループリーグのボリビア戦から全試合でゴールをマークしたことになる)。
「ウルグアイは勝つべくして勝ったんだよ」
先のジャーナリスト、アティリオ・ガリードは確信にみちた声でそう断言した。
そして今年2014年、ブラジルが”マラカナンの悲劇”以来、64年ぶりに2回目の開催国となる。
必然、開催国優勝という悲願は、時を超えてふたたびブラジルに渦巻く。
(了)
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 6/5号 [雑誌]
「”マラカナッソ”は悲劇なんかじゃない」
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