「ミスター、ミスター! あんた、鳥のフンがついてるよ!」
ベルギーの首都、ブリュッセルの駅前での光景。その声に振り返れば、”北アフリカ系の怪しい男”が立っている。
ーー彼らは旅行者の後ろから”白いペンキ(実際にそれは鳥のフンによく似ている)”を振りかけ、相手が驚いて立ち止まると、親切にもその汚れを拭くふりをして、ポケットの中の財布をすったり、もっと悪質な場合は、物陰からわらわらと男の仲間が出てきて、荷物をかっぱられることになる(近藤篤)。
このベルギーという国には、アフリカ、アジア、さまざまな国からの移民たちが暮らす。ヨーロッパの国では、上述のような移民による事件が頻発しはじめると、必ず「移民排斥」というスローガンが高らかに掲げられる。
もちろんベルギーでもそうだ。しかし、こと”サッカー代表”となると話はまったく変わる。
ーー駅前の悪い奴はなんとかしてほしいけど、ベルギー人はむしろ移民問題に感謝しなければならないかもしれない(近藤篤)。
「どうやら最近、ベルギー代表がかなり強いらしい」
わずかこの1年間で、サッカー・ベルギー代表は世界ランクを40位から5位まで、一気に35カ国もゴボウ抜きにした。
ーーもうこれはほとんど漫画の世界だ(近藤篤)。
その圧倒的な強さを支えるのが、多種多様な移民選手たちである。
ーーピッチ上に代表の面々が勢ぞろいする。こうして眺めてみると、改めてこのベルギーチームのもつ多様性に目を奪われる。屈強でパワフルな選手、小柄で巧みな選手、コンゴ系、モロッコ系、生粋のベルギー系、スピード系、パワー系、テクニック系…。平均年齢もかなり若い(近藤篤)。
過去を振り返れば、ベルギー代表は2002年の日韓W杯を境に
「この国のサッカーは一気に駄目になった」と、地元記者のルディは顔をしかめる。それ以来、W杯出場が当たり前ではなくなっていた。
「原因は世代交代の失敗、それに尽きると思います。この11年間、まぁきつかったですよ。今日は何点とられて負けるのだろう、と考えながらスタジアムに向かっていたのですから」
ではなぜ、ベルギー代表はここにきて、一気に強さを増したのか?
「あのさ、昨日あんた、いまのベルギー代表の選手のそろい方は奇跡的だとか言ってただろ。オレもその通りだと思うんだよ。あんなメンツはさ、育てようと思って育てられるわけないさ」
町のイタリア料理店で働くアンドレアは、そう話す。これだけの代表が集まったのは”神様の贈りもの”だ、と。
一方、サッカー協会は協会で、ちゃんと若手の育成をやってきた成果だと口にする。
「協会が若手の育成について本腰を入れはじめたのは、1990年代半ば。特徴ですか? 12歳まではひたすらドリブルをさせることですかね。ドリブルが上手くなれば、ボールを持っていても余裕ができるし、余裕ができれば周りを見ることができ、見ることができれば良いパスも出せますから」
いずれにせよ、いまのベルギー代表は強い。
激戦のW杯欧州予選、グループAをベルギーは首位通過。
ーーこのベルギー代表には期待したい。これまでのベルギー代表は”赤い悪魔”と呼ぶには若干怖さが足りなかったが、この代表はとんでもなく怖い”本物の赤い悪魔”になれるかもしれない(近藤篤)。
「ひとつさ、あんたが知っておいた方がいいと思うことがあるんだよ」
イタリア料理屋のアンドレアは、話しだす。
「最近、代表チームのことでこの国には”ちょっと奇妙なこと”が起こってんだ。あんたも知ってるだろうけど、この国は面倒くさい国なんだ。北と南はほんとに仲が悪いんだよ。全然仲良くなろうとしないんだ。だけど、この代表が勝つようになってから、なんていうのかな、ナショナリズムっていえばいいのか、どっち側の人間も『ベルギー人は…』みたいな話をするようになったんだ。これって、今までにはちょっとなかった妙な空気なんだ。あのベルギー人が、あの北と南の人間がお互いにサッカー通じてまとまってるって、すごいなぁって思うんだ」
アンドレアが”面倒くさい国”というベルギー。
その歴史的経緯から、北と南では話す言葉も異なる。北部のフランドル地方はでは”オランダ語に似たフラマン語”を話し、南部のワロン地方では”フランス語”を話す。もし北と南のベルギー人同士が話をするときには「彼らはあるときはフランス語で話し、あるときはフラマン語で話し、またあるときは英語で話す(近藤篤)」
いずれせよ、両者は絶対に「自分たちの言語を放棄しようとはしない」。
ーーつまりこの国では、2つの言語がいつまでも並行して使われ、2つの価値観がぶつかりながら存在してゆくことになる。そして当然のことだが、北と南は経済面も含めたさまざまな違いや差があり、ことあるごとに問題が表面化する(近藤篤)。
「北と南の人間は仲が悪いって本当?」
「政治になると、とくに仲が悪くなるね」
2010年の総選挙の際には、北と南の政党間で連立交渉が難航に難航をかさね、ついには541日間も正式な政権が存在しないという、およそ考えられない事態にまで陥っている。
ーー2時間の急行列車で北から南に移動すると、北と南にはものすごく大きな違いがあることを体感する。たとえば、北では普通に通じていた英語は、南に来るとほぼ通じなくなる。ゴミ一つ落ちていない歩道が、犬のウンチだらけになる。北ではほとんど冗談を言わなかったベルギー人が、南に来るとやたら冗談を言う。カメラを向けるとすぐにポーズをとってくれるのがベルギー南部、照れるのが北部である(近藤篤)。
そんな犬猿の両者がサッカーとなると、北も南もない「ベルギー人」になるという。
そのベルギーで活躍する日本人選手がいる。
川島永嗣(かわしま・えいじ)30歳
日本代表の正ゴールキーパー
彼は言う、「ベルギーでは、GK(ゴールキーパー)に対する視線は厳しいですよ。たとえば日本では、まずミスをしないことが求められますから、ボールをキャッチすることよりも”はじき出すこと”を優先することがあります。そんな場面でも、ベルギーでは途端に言われます。『ちゃんと捕れ!』って。すぐに違うGKの名前とかコールしはじめますし(笑)」
「ベルギー代表ですか? いまではすっかりいいチームになりましたよね。僕が感じるのは、この代表チームはなんだか”ベルギーらしいなぁ”ってことです。北の人間の真面目さと、南の人間の陽気さ、そういうものがうまく融合しているような印象を受けます。この国には、自分はベルギーが好きだ、とか言う人はあんまりいないですけど、この代表なら外に向かって誇ることができる。だから、みんな嬉しいんじゃないですかね」
世界ランクを急上昇させたベルギー代表。
その実態はじつはまだよくわからない。
ーーその理由を探しに訪れた地で見つけたのは、サッカーをめぐって織りなされる”稀有でハッピーな光景”だった(近藤篤)。
(了)
近藤篤「サッカーと僕たちの幸福な関係 ベルギー」
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