波乱が相次いだ今年の「箱根駅伝」。それを制したのは、ダークホースの日体大。予想でいえば「無印に近い▲」。
「正直、私も驚いてます」と日体大の別府監督。
「強風」が吹き荒れた217kmの襷(たすき)リレー。各校のエースを苦しめたのは、その「強い向かい風」だった。
「これだけ風が吹くと、速さじゃなくて『強さ』がないと勝てません。監督をやって9年、この70kgの身体が風で飛びそうになったのは初めてですよ(早大・渡辺監督)」
最高地点の二子山では風速20m/秒ちかい突風が吹きつけていた。
そんな突風の中、日体大の3年生キャプテン「服部翔大」は「山の上の景色がよかった」と振り返る。彼の足取りばかりは強風の中も乱れることはなかった。
「日体大のエース服部は見事に自分の役目を果たし、首位・東洋大との1分49秒差を逆転。それだけではなく、2分39秒ものリードを奪った」
かつて、5区山上りで圧倒的な走力を誇った東洋大の柏原竜二は「山の神」と呼ばれたものだが、今回の服部の力走は、「山の星」という新たなニックネームを彼に与えることになった。
思えば昨年、日体大は屈辱の19位に沈んでいた…。
「前回19位に沈んで予選会に回ったチームが、たった一年で頂点に登りつめるなど、駅伝ファンならずとも誰が予想できただろう?」
前回の屈辱的な敗北は、別府監督に「根本的なやり直し」を誓わせた。4年生たちを「お前たちの実力じゃモノ足りない」と一蹴し、あえて3年生の服部翔大を新たなキャプテンに指名したのだった。
別府監督はナシ崩しになっていた寮の消灯時間を22時半で徹底。起床は5時半。厳しい規律を部員たちに課していく。
「練習が良くても、生活態度が悪ければ勝てない。『心をつなぐ』のが駅伝ですから」と別府監督。
朝練の前には必ず、全部員に「鍬(くわ)」を持たせてグランド整備を義務づけた。
「草をむしるための鍬(くわ)をね、学校に言って買ってもらいました」
今年の箱根駅伝の番狂わせは、「鍬から生まれた大金星」でもあったのだ。
「往路」は、キャプテンかつエースの3年生・服部の果敢な走りによってトップに立った日体大ではあったが、「往路を終えた時点ではまだ、総合優勝の行方がどう転ぶかはわからなかった」。
「復路」には、前回王者・東洋大の誇る名選手たちが控え、対する日体大は一度は別府監督に見捨てられた4年生が3人控えていた。「どうしてもウチの選手は劣る…」と別府監督。
それでも日体大の4年生3人は「悔しさを晴らしたいという一心」で奮起していた。4年生たちには、自分たちが差し置かれて3年生にキャプテンを奪われたという「悔しさ」も加わっていたのである。
いよいよ決戦の「復路」。東洋大の選手たちは「早く追いつこう」と焦ってしまい、本来の走りを自ら崩していった。それとは対照的に、日体大の4年生3人は「ただ前を見つめ、正確に、力強いリズムを刻み続けた」。
日体大の4年生3人は一人も区間賞は取れなかったものの、3人そろって区間2位の力走。「東洋大に差を詰められるどころか、最終的には3分弱の差を4分54秒にまで広げる勝ちっぷり」。
「最後の1km、最後の一歩。たとえ1mでも前へ行こうという気持ち、それで後のランナーは走りやすくなりました」と別府監督。
追い詰められた4年生たちの「覚悟」が、その走りを変えたと別府監督はレース後に語った。一年間の悔しさに塗(まみ)れていた4年生の3人こそが、「総合優勝の立役者」となったのだった。
「じつに30年ぶりとなる総合優勝」
来季も7人の箱根経験者が残り、最優秀選手賞を獲得した「山の星」服部も山に控える日体大。当然、「連覇の可能性」も高い。
その可能性について問われた別府監督は、相好を崩してこう答えた。
「そんなんムリ(笑)。今回は無心で無欲。だから優勝できた」
昨年泣いたからこその今回の優勝だと、別府監督は勝っても奢るところがなかった。
「無心と無欲」、そして4年生たちの「覚悟」。
そんな日体大は、昨年浴びた罵声を糧(かて)に、まさかの大躍進を果たした。
毎朝「鍬(くわ)」を握ったその手で勝ち取った栄冠。それは、箱根駅伝の歴史に燦然と輝く大金星となったのだった…!
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 1/24号 [雑誌]
「鍬から生まれた大金星 日本体育大学」
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