2013年1月23日水曜日

「アタックしてこそ、扉は開く」。佐藤琢磨(レーシング・ドライバー)



「アタックしてこそ、チャンスは開ける」

それがレーサー「佐藤琢磨(さとう・たくま)」の持論である。



だからこそ、8年前(2004)のF1レース、ニュルブルクリンクの1コーナーで、琢磨は2位のバリチェロ(フェラーリ)に挑みかかった。

「結果は失敗でした」

琢磨の言う通り、琢磨がバリチェロのインに入った直後、2台は接触。「ノーズを壊した琢磨は再度ピットイン。表彰台のチャンスを逃した」。



「接触したんだから失敗です」と琢磨。「もしあそこで『無理だ』と思って行かなかったらとしたら、そのまま走れば3位表彰台。でも、自分の中では『必要なアクション』だったんです」

「あそこで『行かない』という判断を自分が下すなら、そもそも僕はF1マシンに乗っていたかどうかも分からない」と琢磨は振り返る。



1,000分の1秒を争うF1ドライバーは、「外界から想像できない速さで無数の思考を重ね、決断する」。

その決断によって表彰台を逃したことを、琢磨は「後悔していない」。「自分を省みることはあっても、振り返って悔やんではいないのだ」。

「あれをやらなかったら、次に進めていなかったと思うんです」と琢磨。



しかし、周囲は悔やんだ。琢磨の逃した「初表彰台」を…。

「シケインまで待てばよかったのに…」

そのシケイン(半径のきついコーナー)は、琢磨の仕掛けた1コーナーよりもずっと先にあった。傍観者たちは、そこまで勝負を待つべきだったと言って悔やんだのだ。



しかし、琢磨に「待つ」という選択肢はなかった。

「タイヤの性能低下も考えると、本当に『あの一瞬』しかチャンスがなかった」と琢磨は振り返る。

当時のF1タイヤは交換直後に「一発の速さ」を発揮した。それを活かせるのは1ラップ(一周目)のみ。シケインまで待てば、タイヤはフレッシュな性能を失い、琢磨のマシン(B.A.R)でフェラーリを攻撃することは不可能だった。

それがワンチャンスであったことは、ミシュランタイヤの責任者もはっきりと認めた。「琢磨の勝負が可能なのは、『あの1コーナーだけ』だった」と。



「ボクはあそこで『勝てる』と思うわけです。そこにラインがあって、スペースがあって、『自分は行ける』と信じて行動に移すわけです」と琢磨。

琢磨が目指すのは常に「勝利」。そのチャンスが目の前にありながら、表彰台に固執する気はサラサラない。



レース中に「考えた」というと、最低でも1秒は猶予がある印象を受けるが、実際、レース中に思考が与えられる時間は「瞬きよりも短い」。時速370kmというのは、そういう世界だ。

その瞬きよりも短い一瞬、あの1コーナーに琢磨は「勝利」を見たのであった。だからこそ、「行った」のだ。



「でも、『もう一人の自分』もいるんです。『もし結末を知っていたら、行かないよな…』っていう…」

もう一人の佐藤琢磨は知っている、「2位でも3位でも、巧く利口に『マシン的にこれが限界』と周りを説得し、『実力派』というステータスを手に入れるほうが効率的だ」ということを。

それを百も承知で、琢磨は「行く」のだ。「攻めてこそ、扉は開く」。2位や3位に甘んじた先に、彼の求めるものは存在しない。そもそもレースをやる意義そのものが失われてしまう。





「佐藤琢磨は『危険なドライバー』か、否か?」

あまりの激しい琢磨の攻めに一時、F1界は議論に沸いていた。2004年、ニュルブルクリンクの1コーナーでバリチェロに接触した琢磨に、「批判の矢」が降り注いだのだ。

バリチェロは琢磨の無謀な攻めを「アマチュア的な行為」と批判し、ほかのドライバーたちも「琢磨にペナルティを与えるべきだ」とのキャンペーンを盛んに行った。



しかし、接触の様子を検証したFIAのレースディレクター(チャーリー・ホワイティング)は、こう結論づけた。

「ペナルティが必要なら、それを受けるべきはバリチェロだった」と。

琢磨のブレーキングは破綻しておらず、ターンインの前に琢磨のマシンのフロントタイヤは、バリチェロのリアアクスルより前に位置していた。すなわち、2台で1コーナーに突入した時、イン側に1車体分のスペースを空けるべきはバリチェロであったのだ。そして、彼にはそれが可能であった。

琢磨が訴えていた通り、そこには確実に「ラインがあり」、「スペースがあった」のだ。そして何より、琢磨はその一瞬に「勝利」を垣間見ていたのであった。



「もしあのニュルブルクリンクでバリチェロを抜きに行っていなかったら、おそらく2012年のインディ500の最終ラップでも、ボクは行ってないですよね」と琢磨は最近の話を始めた。

インディアナポリスの200週、最後のラップで琢磨はまたしても「インに飛び込み、レースを失った」。8年前のニュルブルクリンクの時と同様に…。



当然、周囲からは「あのまま安全に行っていれば…」と惜しむ声が漏れた。

しかしやはり、琢磨に「後悔はない」。彼が後悔を感じるのは「アタックしなかった時」なのだから。

「両方とも失敗なんですけど、絶対にその次につながるんです」と琢磨。「アタックしてこそチャンスが開ける」。彼のこの持論は、失敗を繰り返すたびに強固になっていくかのようである。



「ボクには一度として満足に終えたレースはないんです」と琢磨は語り出す。「『あれが失敗だった』なんて、いくらでもありますよ(笑)! だって『失敗だらけ』じゃないですか!」

2008年、琢磨はF1のシートを失った。その後、一年半レースを走らず、2010年からインディに転向。



「もう一人の琢磨」は知っていたかもしれない。もう少し待っていたら、あとでF1のシートが空くことを…。

「でも、待てなかったんです」と琢磨。自分を偽ってまで、政治的に巧く立ちまわる気は、全くなかった。

「アクションを起こしてチャンスをつかみに行けない状況が、あまりにも辛かったから…」と琢磨は振り返る。



琢磨のアタック精神は今、インディのレースを大いに沸かせている。「アメリカン・ドリームを体現するレースを支えるインディ・ファンは、琢磨のアタックに盛大な拍手を送る」。

インディのファンは、「あそこで行くのは当然」と琢磨を称賛する。たとえ、そのアタックが失敗したとしても。逆に、もし琢磨が従順にレースを終えるのならば、そのほうが大いに「残念」なのだ。



「だから、後悔はないんです」と琢磨。「未知のアメリカで『切り拓いていけるかも』とワクワクする感じがインディにはあるんです。だって、いまはインディで勝つアタックの真っ最中だから!」

「世渡り」だけを考えると、琢磨は「ひどく不器用」だ。

しかし、琢磨の目指すものは「世渡り」の先にあるものでは決してない。それは「失敗の先にこそあるもの」なのだ…!



「その時の選択が正解であったかどうか?」

そんな思考を琢磨が引きずることは、ついぞなかった。いったん選べば、その結果手にした状況の中で、琢磨は自分の力を発揮するのみ。「振り返って後悔しているヒマなどない」。

「本当に勝つ条件が整った時に、ボクは必ず勝ちます」






ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 1/24号 [雑誌]
「攻めてこそ、扉は開く 佐藤琢磨」

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