その昔、福井県はバドミントンの 「お荷物県」と呼ばれていた。北陸の隣県である富山と石川、ともにバドミントンの強豪県だったからだ。
その ”お荷物県” から突如あらわれた「長谷川博幸」。インターハイの優勝からはじまり、実業団ヨネックス時代、日本一に輝いた。彼の出身地である勝山市(福井県)は大いに沸き立ち、地元での祝賀会も盛大に催された。
以後、バドミントンの火がついた勝山市、選手を育成する土壌が脈々と育まれていく。雪深い土地であるため、室内競技は育ちやすかった。
長谷川は言う。
「小さな田舎町ではあるけれど、この町に支えられながらバドミントンに親しんできました。僕の ”勝山愛” はバドミントン愛が多くを占めていて、勝山のバドミントンを包む環境が好きなんだと思いますね」
えちぜん鉄道、勝山永平寺線の終点、「勝山駅」。小さな駅舎に駅員は一人。市の人口は2万数千人。
日本屈指の豪雪地帯に、霏々翩々(ひひへんぺん)と雪片が舞い落ちる。”勝山” という地名の由来は、戦国時代に一向一揆が ”勝った山” だからと云う。
そんな土壌から、新しい才能が萌芽した。
山口茜(やまぐち・あかね)
勝高(福井県立勝山高校)の2年生。
背は低い。それでも、がっちりした下半身から繰り出されるショットは、スピードに溢れパワフルだ。
高校のバドミントン部の監督、小林陽年教諭は、山口茜を「男性的」と評する。そして、彼女の観察力に目をみはる。
小林監督「練習でも試合でも、ほかの選手の動きをじつによく観察しています。彼女が秀でた選手になれたのは、盗む力、そして工夫する力があったからだと思います」
高校一年生で出場したヨネックスオープン(2013)、山口は史上最年少での優勝を果たし、一気に刮目される存在となった。
同年、世界ジュニア(バンコク)で金メダル。翌年、同大会(マレーシア)で2連覇を達成する。全日本選手権でも初優勝(2014)。
一躍、時の人となった。
山口が初めてラケットを握ったのは3歳。2人の兄がするバドミントンを真似したかった。
父親は、そんな子どもたちのために自宅近くに簡易コートをつくってあげた。そこで遊びながらバドミントンを覚えていった山口茜、まだ保育園に通っていた5歳のとき、小学1・2年生の部の大会で優勝してしまう。
小学生になると、そのスピードとスマッシュの威力は群を抜いていた。小学校の6年間で、試合に負けたのは1度だけだったという。
山口茜「最初はスマッシュを見て『カッコいいな』と思ったんですね。やがてゲームの駆け引きも面白くなってきて、このスポーツが好きになりました。ランクが上の相手にでも、試合の流れをつかめば勝てるんです」
”負けず嫌いの子、であった。ゲームで大人相手に敗れ、鼻血をだしながらオイオイ泣いた日もあった。いつもはニコニコしていて素直な子。恥ずかしがり屋さんでもあった(Number誌)”
勝高(勝山高校)のバドミントン部は、男女あわせて21名。
その練習する体育館では、部員以上に熱心なボランティOBが指導を繰り広げる。地域の人々がバドミントンを支えるのは、”勝山愛” という絆意識があってこそ。
「鮭が生まれた川に戻るがごとく」
勝山で育った選手は、地元に帰ってきてバドミントンの指導者になる者が多いという。現在、地元クラブ「勝山チャマッシュ」の総監督を務める上田健吾氏も、その一人。彼は長らくジュニア日本代表のコーチであった。
その上田監督の指導を、山口茜は「スポンジのように」吸収したという。彼女が「ゲーム巧者」となったのは、彼の指導の賜物であった。
”勝山が生んだ最高傑作”
上田監督は、山口茜をそう評する。
地元あってこそ。
それを山口茜は肌身に感じている。
山口茜「いずれは勝山に戻ってきて、地元に貢献したいという思いがあります。競技を続けていれば、いつか勝山から離れなければいけなくなる日が来ると思いますが」
実際、山口は海外遠征やナショナルチームの合宿で地元を離れることが多くなってきた。それでも彼女は、同じ高校の部員たちと練習することを好む。「先生のメニューでいいから」と特別扱いも嫌う。
高校の小林監督は言う。
「山口は、みんなと一緒に強くなっていきたい、と思っているんです」
町の人たちは「山口茜選手を育てる会」を結成して、一丸となってバックアップ体制を整えている。2018年、地元福井で開催される国体のバドミントン開催地は、ここ勝山だ。
”笑顔の連鎖を巻き起こす”
自分が好きな言葉を、山口茜は色紙に書いた。
彼女は言う。
「勝てば、みんなやコーチの笑顔が見られるから」
(了)
ソース:Number(ナンバー)872号 ヒロインを探せ! 原色美女アスリート図鑑 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
山口茜「みんなと一緒に強くなりたい」
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