2015年7月20日月曜日

なでしこの「戦う姿勢」 [女子サッカーW杯決勝アメリカ戦]



2015
FIFA Women's World Cup CANADA
女子サッカーW杯カナダ大会

決勝戦
日本 vs アメリカ



前半3分、アメリカのCK(コーナーキック)
日本の佐々木則夫監督は「異変」にいち早く気がついた。

佐々木監督
「ロイドが下がったので『おかしい』と思いベンチ前に出て行ったのですが、このスタジアムで僕の声は選手に届きませんでした」

ロイドをマークしていた岩清水梓はその直前、ロイドの位置を目視しているように映像では見えた。しかし、ボールが入って岩清水がロイドから一瞬目を切ったその刹那、高速移動したロイドがアッという間に先制点。



佐々木監督の叫び声をかき消した5万人超の大観衆は、アメリカ怒涛の先制点に沸き立った。

キャプテン宮間あや選手
「自分が代表に関わったなかでも、一番の大歓声でした」

つづく前半5分、ふたたびロイドが決めた(アメリカ2点目)。

”声が届かないスタジアム。事前に決めていた目を合わせての意思疎通をする余裕もなく、なでしこジャパンはピンチの連続となった。開始わずかな時間でアメリカは大観衆を惹きつけ勢いを手にいれた(number誌)”



そして14分、今度はホリデー。岩清水のクリアミスをダイレクトにゴールに叩き込む(アメリカ3点目)。

なでしこジャパン立て続けの失点に、またもやロイドがセンターライン付近から超ロングシュート。これがまさか、キーパー海堀の頭を超えて日本ゴールに転がり込む(アメリカ4点目)。




”野球にたとえれば、1回表で勝負がついた。アメリカは前半16分までにシュート4本で4得点。先頭から4番打者までが連続ホームランを打ったようなものだった(number誌)”

アメリカ、エリス監督
「夢を見ているようだった」

アメリカ、ワンバック選手
「天国にいるのかと思った」

打つ手すべてがことごとく成功したアメリカだった。



まさかまさかの連続失点に、なでしこキャプテン宮間は2度にわたってピッチ上に全員を集めた。

キャプテン宮間あや
「マークのズレやミスが重なって、へこんでしまう選手が出そうだったから。誰かのせいだけで失点するっていうのは、サッカーではあり得ないこと」

チームが崩壊してもおかしくない状況だった。動揺する選手らの心を何とかつなぎとめなければならなかった。彼女は丁寧に言葉を選んだ。

宮間あや
「1点ずつ返して行こう」





○大儀見優季(おおぎみ・ゆうき)



なでしこが円陣を組んだ時、日本のエース大儀見優季は、失点にからんでいた岩清水の頭をグッと抱き寄せた。そして力強くこう言った。

「大丈夫だから」

後日、大儀見はその時のことをこう語る。

「あのときはイワシ(岩清水)のメンタルが動揺していましたから、なんとか落ち着かせて、とにかく前に行こう、と。それに、私は点を取らなければいけない立場だから、自分にプレッシャーをかけたところもあると思います」



反撃の狼煙(のろし)をあげたのは、この大儀見だった。

前半27分
アメリカ絶対の守護神ソロの牙城に、大儀見は真正面からボールを蹴り込んだ。

大儀見優季
「決勝の舞台でソロから点を奪えたことは大きいですね。実は、あの試合だけGK(ゴールキーパー)のプレーをイメージしてから入ったんです。そうしないとゴールを決められない相手ですから」



アメリカのGKソロと真正面で対峙したとき、大儀見はスローモーションのように冷静に動いた。

大儀見
「シュートチャンスのとき、いかに冷静になってゴールを決めたい気持ちを抑えられるか、を今まで努力してきました。決めたいと思うと体が硬くなってしまいますから」

シュートを打つ直前、大儀見は一瞬、間をおいた。

大儀見
「リプレー映像を見ればわかると思いますが、ソロは速いシュートが来ると予測して先に跳んでいるんです。そこでゆるいシュートを蹴って、ソロのイメージの逆をつきました。あんな弱いシュートは全部の関節を曲げて蹴らないとできません」







大儀見のゴールで1点返したなでしこジャパン。

この時点で、スコアは1対4。






○澤穂希(さわ・ほまれ)



なでしこのカリスマ、澤穂希(36歳)

6大会連続のW杯。4年前の前大会はキャプテンマークを巻いて優勝をはたしているが、今大会は交代要員としてベンチに控えていた。おそらくは彼女にとって今回が最後のW杯であろう。







その澤が早々に呼び出された。

アップもそこそこに慌ただしく投入されることになった。

澤と交代になったのは岩清水梓。失点の責任に打ちひしがれていた彼女を、澤は優しい笑顔で迎え入れ、そしてピッチへと走りこんだ。



ピッチ上ではキャプテンマークを譲った宮間と、長めの握手をしっかり交わす。

宮間はこう言っている。
「あの位置(ベンチスタート)からもう一度わたしの良さを引き出してくれるのがホマ(澤)」

宮間は右も左もわからなかった頃から、澤の背中だけを見て走ってきた。澤が代表から外れたときは、その復帰を切望した。新旧のキャプテン同士、2人にしか奏でることのできない至妙なコンビネーションがあった。



澤の早期投入は宮間にとって嬉しい誤算、前半33分、思いがけず早い段階で宮間が望んだ布陣となった。

”ボランチとして並んだため、2人で得点シーンを作ることは難しい。セットプレーに絞り込んだ。磨いてきたスピードあるニアへのボール。澤とのタイミングも合った渾身の1本はGKソロの絶妙な判断によりクリアされた。しかし、もう1本はオウンゴールにつながった。2人の想いは、最後のピッチでも確かに重なっていた(number誌)”

後半7分、宮間の蹴ったFK(フリーキック)を、澤が相手DF(ディフェンダー)と競ってオウンゴールを誘った。



これでスコアは2対4。

逆転の光がかすかに見えてきた…と思われたその2分後、アメリカはダメ押しの5点目をCK(コーナーキック)から日本ゴールへと押し込む(後半9分)。

またもや3点差。






○岩渕真奈(いわぶち・まな)



なでしこ最後の交代カードは、最年少の岩渕真奈。

大会直前の怪我によって一度はカナダ行きを諦めかけた彼女。だが、後半からの交代要員、天才ドリブラーとして準々決勝オーストラリア戦ではゴールを決めている。

岩渕はその時のゴールをこう語る。

「澤さんが『今日、誰が点を取りそう』って言うと、本当にその人が取るんですよ。だから試合(オーストラリア戦)前日に『お願いだからブッチー(岩渕)が取るって言って』ってふざけて言ったんですよ。でも『明日言うよ』って言われちゃって。そしたら試合当日、『いや、ブッチー来るかもしんない』って。で、いつも澤さんがやってるおまじないも教えてもらって。だから『澤さん、点取れちゃったんだけど!』みたいな感じでした」

岩渕がオーストラリア戦で決勝ゴールを決めたとき、ピッチの外では目頭を抑えている澤の姿が見られた。



佐々木監督は

「こういうことだ。大事なのは」

と言って、ある映像を代表選手たちに見せたことがある。その映像とは、澤が高校生相手の練習試合で激しいスライディングをしてボールを奪おうとするシーンだった。

監督が選手らに示したのは「戦う姿勢」。その基準はいつも澤にあった。



大儀見は言う。

「澤さんは、あれだけすごい人になったのに、いまだに成長を求めて、実際に成長しているところがすごい」

その戦う姿勢を、澤は今回のアメリカ戦でも見せた。

”宿敵ワンバックとの対決場面。女子代表で歴代最多得点記録を誇るレジェンドが、フリーでペナルティエリアへの侵入をはかろうとするや、澤はためらうことなく後ろからスライディングで仕留めた(number誌)”



4点差にされても、3点差でも

「1点を取りにいく姿勢」

それはレジェンド澤から最年少の岩渕まで、なでしこに一貫して体現されてきた姿勢である。その姿勢を彼女たちは、絶対劣勢に立たされた今決勝戦でも貫いた。



スコアは最後のホイッスルが鳴るまで3対5からは動かなかった。

しかし彼女たちは最後の最後まで、1秒を惜しんでアメリカゴールへと果敢に迫った。

宇津木瑠美は言う。

「余力を残して負けるなんて、誰に対しても申し訳ない。最後は倒れるくらいの気持ちでやりました」



タイムアップの笛がなったとき、日本の2大会連続優勝の夢は幻と消えた。

キャプテン宮間は、いつもほとんど感情を見せない。彼女が感情をみせるのは、試合直後のわずかな時間だけだ。冷静を旨とする彼女は、試合終了とともに日本ベンチへと向かった。

彼女は言う。

「途中でピッチを退いた選手たちが気になっていました」

”気丈に振る舞いながら、キャプテンとしての責任を果たし、ふたたびピッチに戻ってきた宮間は、あふれ出てきた涙をユニフォームでそっとぬぐった。それは、彼女がキャプテンとしてではなく、宮間あやとしての感情を見せた唯一の瞬間だった(number誌)”



澤穂希はむしろ晴れ晴れとした表情で、優勝の歓喜に沸くアメリカの選手たちが映る大型モニターを見上げていた。

「みんなが持っている力をすべて出し切った。本当に悔いなく、自分自身は”やりきった”と思っています」

ほんのすこし目を潤ませつつも、澤はじつにスッキリとした表情でピッチをあとにした。













(了)






ソース:Number(ナンバー)882号 新日本プロレス、№1宣言。 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィックナンバー))
なでしこジャパン「女子W杯準優勝の軌跡」
宮間あや「最後に溢れた涙の理由」
澤穂希「最後のW杯に一片の悔いなし」
大儀見優季「持っているものは全部出しました」
岩渕真奈「4年間の成長と手にした自信」



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2015年5月16日土曜日

フォルランと日本のサッカー



ディエゴ・フォルラン(35)

2010南アフリカ、サッカーW杯で「得点王」と「MVP」に輝いた、ウルグアイの英雄だ。





そのフォルランが、マンチェスター・ユナイテッド、アトレティコ・マドリーなどのビッグクラブを経て2014年、セレッソ大阪に加入した。

加入会見では流暢な日本語を披露し、日本中を驚かせると同時に、大きな期待を抱かせてくれた。

当時のことを、フォルランはこう振り返る。

フォルラン「日本で生活をはじめた頃はとても幸せだった。生活のクオリティは高いし、人々はとても親切だから。毎日なにもかもが新鮮で、地球の反対側にいるなんて意識することもなかった」



しかし、フォルランは日本の大きな期待に応えることができなかった。シーズン序盤は好調だったものの、半ば以降は山口蛍の離脱もあり、チームの状態は明らかに低迷していった。

”優勝候補だったセレッソ大阪は2部へ降格。フォルラン自身もシーズン終盤、ベンチから外れることが多かった(Number誌)”

その失意のシーズンが終わった直後、フォルランはウルグアイのTV「エル・オブセルバドール」に出演。日本のJリーグでプレーした印象や、試合に出られたかった葛藤を、率直かつ饒舌に語った。

フォルラン「チームの役に立ちたかったけど、残念ながら私は3ヶ月ほとんど試合に出られず、ベンチに入れないこともあった。試合に出られなくなると、100%幸せとは言えなくなった。あの頃は悲しい気持ちでいっぱいだった。そもそもサッカーに『化学』なんて存在しない。状態の良い選手を起用するというシンプルなスポーツなんだ」



”サクリフィシオ(犠牲心)”

この言葉をフォルランはよく使う。

フォルラン「毎日生活していれば、やりたいと思うことが出てくる。でも私たちプロ選手はサッカーに取り組む責任があるのだから、多少やりたいことを我慢してもサッカーに専念する。その精神がサクリフィシオ(犠牲心)なんだ」

だが、日本人選手はこの言葉を「酷暑の中で練習すること」と誤解している、とフォルランは言う。

フォルラン「サクリフィシオとは、つらい状態に耐えたり我慢したりすることとは違う。サッカーは理論で割り切るんじゃなく、”感じる”ことが大切なんだ。選手とは誰かに創られるものでもないし、生まれるものでもない。たとえ才能があっても、自分自身で一生懸命練習をしなければ、優秀なプロ選手にはなれない。プレーすることに幸せとパッションを感じつづけている必要があるんだ。そのための努力がサクリフィシオだと思っている」

フォルラン「だけどJリーグを見ていると、サッカーを仕事のように感じている選手が多い印象を受ける。確かに私たちプロはサッカーでお金をもらっているけど、会社に行ってタイムカードを押し、8時間働いてお疲れさま、という職業とはまったく違う。天職という以上の感覚を抱き、つねにパッションをもって取り組むべきものだと思う」



サッカー一流国の遺伝子を受け継ぐフォルラン。

日本代表の姿は、彼にどう見えているのか?

フォルラン「そうだね…、私に言えるのは、日本がワールドカップに優勝するのは今は難しいということ。もちろん夢をもつことは自由だ。でも、自分の限界も知るべきだと思う。たとえば私が月へ行きたいと言うことはできるけど、果たして実際に月にいける可能性はどれくらいあるだろうか。夢を見ることと、実際にその夢を実現することは別なんだ。日本サッカーは、まずは基礎づくりから始める必要がある。そして経験を積み、目標を定めて達成していく。エスカレーターに乗っても、一気に10階までは到達できないだろう? でも1階ずつ上がっていけば、いつかは10階にたどりつくことができる」

フォルラン「人口は日本の約4分の1のウルグアイだけど、代表チームにはルイス(・スアレス)やディエゴ(・ゴディン)など、世界の舞台で活躍するエリート選手がそろっている。そんなウルグアイでも、W杯の決勝まで進むのはとても大変なこと。サッカーで夢をもつのはいいことだけど、同時に現実主義者にもならなければいけない」

フォルラン「1シーズン、Jリーグで一緒にプレーしてわかったのは、日本の選手はうまいということ。みんなとても上手だよ。だから彼らに何か言葉で伝えるのではなく、私は試合でベストを尽くそうとだけ考えている。それを見て必要なことがあれば、彼ら自身が取り入れればいいし、同じように私も、セレッソのチームメイトを見て何か学んでいくと思う。何かを学ぶというのは選手次第だからね」





フォルラン「昨年はもちろん(J1で)優勝したいと思っていた。でも結果は2部降格だった。思い描いていた現実とは異なるけど、ベストを尽くして前進していくのみだよ。人生とはさまざまなことが起こるものだから」

今季のフォルランは、順調に得点を重ねている。4月1日のジェフ戦でのゴールは、フォルラン自身も「ゴラッソ(素晴らしいゴール)」と呼ぶ、美しいものだった。






試合後、記者にこんな質問を受けた。

「後ろからのパスで、ゴールの位置もよくわかっていなかったのでは?」

するとフォルラン、ムッとした表情でこう答えた。

フォルラン「私のサッカーキャリアを通じて、ゴールの位置を頭に入れずにプレーしたことなど一度もない」













(了)






ソース:Number(ナンバー)876号 イチロー主義 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
ディエゴ・フォルラン「日本サッカーに伝えたいこと」



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2015年5月14日木曜日

41歳の新天地 [イチロー]



「イチローはなぜ、マイアミ(マーリンズ)を選んだのか?」

地元メディアの一番の疑問だった。イチローのようなレジェンドがなんで、わざわざマイアミへ?

”彼らの疑問も仕方がない。1997年、2003年にワールドシリーズを制したものの、マーリンズの対外イメージは、極端な補強と放出を繰りかえす異色の新興球団(Number誌)”

「まさか本当に来るとはね。最後までア・リーグでプレーするものと思っていたよ」

イチローの加入は、まさに青天の霹靂だった。



アメリカ大リーグ全30球団の中でも、マーリンズで日本人選手がプレーするのはイチローが初めて。1993年に創設されたマーリンズの歴史はまだ22年。

”その成績を見ていくと、なかなか興味深いものがある。プレーオフに進出したのは、22年間で1997年と2003年の2回だけだが、いずれも地区2位、ワイルドカードだった。しかもその2回のチャンスで、いずれもワールドシリーズで優勝しているのである。地区優勝をしたことはないが、ワールドシリーズ制覇は2回というわけだ(Number誌)”






突如、マイアミに現れたイチロー。

周囲の目は、彼の一挙手一投足へ釘付けになった。

5本指ソックス
ジュラルミン製のバットケース
小さなイボイボのついたマッサージ用ボール
専用のトレーニングマシン


”イチローを取材してきた日本人記者にはお馴染みのイチロー・アイテムも、彼らの目には宇宙人が持ち運んだ未知の物体に映るようだ(Number誌)”

「あの”折りたたみの携帯電話”、すごくクールよねぇ」

「いろんなスポーツを取材してきたが、見たことがないようなマシンを何台も、コンテナで持ち込んだアスリートは初めてだ」

「バットの重さが湿度で変わるだなんて野球選手が話すのを聞いたことがない」



球団GMのジェニングは感心していた。

「チーム全員がイチローの行動を見入っている。ロッカールームでの行動はまるで時計のようだ」

チームメイトの期待も大きい。23歳の左翼、クリスチャン・イエリッチは言う。

「若い僕らには信じられないような実績を積んできた選手。戦力的にはもちろん、みんなにポジティブな影響を与えてくれるに違いない。それにしても、面白い人でびっくりしたよ(笑)」

イエリッチは9歳のときに、”イチローの2001年”を目の当たりにしている。日本から初めて米メジャーにやってきた野手イチローが、リーグMVPと新人王、首位打者と盗塁王、シルバースラッガーとゴールドグラブをいっぺんに獲得したシーズンだ。

イエリッチは続ける。

「彼がデビューしたばかりのころ、三塁へのモノ凄い送球を見てから、ずっと注目していたんだ」

その14年前から、イチローの体つきはほとんど変わっていない。遠投はチーム一番で、ストレッチの屈伸角度は誰よりも深い。昨季盗塁王のゴードンにも見劣りしない身軽さを維持している。

マーリンズのまとめ役、31歳のプラドは言う。

「あの”21歳”には、いつも驚かされるよ(笑)」



イチロー、41歳。

日米あわせて今季プロ24年目。

「新しいグラブって、いいよね」

新しいユニフォームを着て、新しいグラブをはめる。そのグラブを丁寧に磨きながらイチローは言う。

「トレーニングの設備も道具も進歩している中で、野球選手の寿命だけが昔と同じだったら、退化しているのと同じでしょう」

マイアミの記者団が驚いた、ダグアウト裏に設置されたイチロー専用のトレーニングマシン8台。試合中でもイチローはそのマシンで体を動かす。

「あのマシンは人間の能力を先に進めるものです。40歳を越えれば人間、黙っていても成長するということはなくなりますが、僕の周りには ”僕が発展途上になり得るツール” がいろいろとあります」

スパイクも今年は違う。新しい”ビモロ”のスパイクは、イチローのストライドを広げ、未知の領域へ誘う推進力を誇っている。



新天地、フロリダ州マイアミ

強い陽射しが照りつける下、イチローは海苔をまいていないオニギリを美味しそうに頬張る。

「このチームについても、街にしても、あまりに知らな過ぎて、重たい気持ちにはなりませんでした。中途半端に知っているところだと、余計な情報のせいでネガティブな気持ちになったかもしれませんが、まったく知らないという強みはありました」

自宅のあるシアトル、そして母国日本から最も遠いフランチャイズ。米メジャー14年のキャリアの中で、イチローがマイアミの地でプレーしたのは2005年に一度だけだった(旧スタジアムの時代だからまったく参考にはならないが)。ナショナル・リーグはこれまでと違ってDH制もない、まったく未知のリーグである。



NYヤンキースからの移籍を機に、イチローは今までとイメージを変えてきた。ユニフォームはもちろん、バットも黒から白、グラブも黒からオレンジ、スパイクもオレンジに。

「チームを移るというのは、そういうチャンスでもあります。誰が見てもわかりやすタイミングで何かを変える。そこを逃してしまうと、できなくなります。僕は変わることがまったく怖くありません。むしろ、そこに停滞してしまうことのほうが怖い。そうでないとやってられないんです。だって、形が決まるということは、自分の中でこれ以上ないということにつながりますから。そんなことはありえないんです。バッティングは永遠に終わらない。答えなんかないのがバッティングですから、そこにとどまっていたら、終わってしまいます」






◎代打(ピンチヒッター)として





じつは過去2年半、イチローはNYヤンキースで想像もしないストレスに見舞われていた。

”今日、試合に出られるかどうかわからない、試合中もどのタイミングで声が掛かるかわからない。準備をしても出番がないまま終わり、明日のこともわからない。一見きらびやかに見えるニューヨークの摩天楼が、イチローを押し潰していた(Number誌)”

レギュラーから代打(ピンチヒッター)に転向となったイチロー。代打には特有の難しさがあった。



NYヤンキースの打撃コーチ、ケビン・ロングは言う。「ピンチヒッター(代打)は、プロスポーツの世界でも屈指といっていいくらい難しい仕事だと私は思う。これまでレギュラーでプレーしてきた選手ほど、よいピンチヒッターになるためのアジャスト(調整)は難しい。代打への心構えは、レギュラーのそれとは全く違う」

マリナーズ時代の11年半、イチローの代打での成績は11打数1安打(打率1割未満)と振るわない。ヤンキース移籍後も2012年は6打数1安打(打率1割6分)、2013年の前半まで3の0だった。

ロングは言う。「そのころまでイチローは、代打としてどう準備すればいいのか、身体的にも精神的にもわかっていなかったようだ。でも、そこから先が彼の特別なところ。彼はヤンキースで与えられたこの仕事をマスターするために全力を尽くしてくれたんだ」



2013年の後半(7月以降)、イチローの代打成績は9打数5安打(打率5割5分)と劇的に向上。翌2014年も12打数6安打(打率5割)。ここ1年半、代打で5割以上という数字を叩き出していた。

ケビン・ロング「彼は自分なりの答えにたどり着き、成績を出した。去年のヤンキースにとって、イチローは間違いなく ”最高のピンチヒッター” だった。イチローという偉大な選手のパーフェクトなところは、こういうところに現れている。代打という役目を与えられたところで、ほとんどの選手はここまでしない。ベテラン選手は代打を嫌がり、価値のないものだととらえるケースがほとんどだ。イチローのように完璧に役割を果たすことはない。だからこそイチローは40歳をすぎても、イチローであり続けられる」



しかし、成績の向上した後半、イチローの悩みは深まっていた。

イチローは言う。

「去年、一番しんどかったのは、シーズンの後半になって『ようやくできてきた』と思ったときに出場機会がなかったことでした。それよりしんどいことはありませんでした」

夢見も悪かった。

「一つは、銃で撃たれる夢。撃たれるんだけど、実際に撃たれたことがないからよくわからない。ただ、夢の中では確実に死ぬって思ってるんです。そういう怖い夢のパターンがいくつかあった。空の上にロープが張ってあって、下は地獄なんですけど、そのロープの下を自転車で走る夢。他のパターンとしては、すごく好きだった人に久しぶりに会えて、泣いている夢。これは人間関係で気持ちがよくないときに出てくる夢です。自分の状態がわかりやすく夢に出てくるものなんだなと思いました」

体調管理も思うようにならなくなっていた。

「去年、ニューヨークではものすごく痩せてしまって。どれだけ栄養を考えた食事を食べても、体重が維持できないということがありました」










◎マイアミへ



「かわいい子たちが、どんどん売れていって、ちょっと大きく成長した犬は残っていく」

2015年1月、移籍先がなかなか決まらなかった心境を、イチローはそう表現していた。41歳というのはメジャー最年長。ここ数年、メジャーには”40歳定年”のごときチーム編成が行われるようになっていた。

「虚しさなんて、しょっちゅう感じています。でもそれこそが、成熟へ向けての道ではないですか。理不尽なことを経験しなかったら、人としての幅は出てきません。僕が来た当初、アメリカってこんなフェアな見方をする国なのかと思いました。最初の最初は偏った見方をされましたけど、結果をある程度残した後はそう思った。でも、ずっとやってくると、この国では一事が万事という価値観で考えるべきではないということもわかってきました」



そしてイチローは「マイアミ・マーリンズ」を選んだ。

「マイアミだけは考えていなかった(笑)。最初から絶対にないと思い込んでいたので、イメージもできていませんでした。でも話を頂いていろいろ考えると、NOという理由がありませんでした。僕は決断するときに後ろ向きな気持ちにはならない。ここはこれから色がついていく状態ですから、それは僕にとってはかなり魅力的です」



1月末に日本で行われたマーリンズの入団会見の席上、イチローはこう言った。

「これからも応援よろしくお願いしますとは、僕は絶対に言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはいけないことを続けていきます」

日本ではお立ち台に立った選手がよく「応援よろしくお願いします」と言う。だがイチローは違う。

「食うか食われるかの世界で戦うアスリートが、応援ヨロシクはないよって、ずっと思ってきました」



その思いは、キャンプに着てきたTシャツにも込められていた。

”おうえんしてくださいなんて〜 いわないよじぇったい〜”

カジキ(マーリン)のカブリ物をした自身のイラストが、槇原敬之風にそう歌っていた。






◎Tシャツ



イチローにとってTシャツは大切なアイテム。

”説明なんかヤボだ。見て感じて、勝手に解釈してください”

イチローのTシャツは、そう訴える。



イチローは言う。

「最近、自分のことをしゃべるのってダサいなって強く思うようになってきたんです。自分のことを自分で伝えようとすればするほど、他人の心には残らない。本当に自分のことを伝えられるのは、じつは自分ではないと感じています」

”イチローは言葉をすごく大事にするが、言葉だけでは伝わらない空気も同じように大切にする。今キャンプでのTシャツの絵柄はユルめだ。なによりも主役のイチローがキャンプ地のほどよいユルさに身を委ねている(Number誌)”


鯖(サバ)のイラストに「OTSUKARE SABA(おつかれサバ)」

アディダスのロゴを文字って「ajidasu(アジダス)」

ラコステのワニをひっくり返して「OCOSITE(起こして)」



「いわないよ じぇったい〜」の別バージョンも。なんとバックプリントには「応援よろしくお願いします」の文字。

キャンプ最終日は、まさかの無地…と思わせて、背中に「これにておしまい」。

ヤンキースはなにかと制約の多いチームだったが、新天地マーリンズはずっとユルめだった。






◎ごく当たり前に



オープン戦 

敵地ブレーブスでの試合、イチローはいきなり魅せた。

一塁にいたイチローは、三塁線へのゴロを見ると、一気にスタートを切った。三塁手は一塁へと送球するが、その間、イチローは迷うことなく二塁を蹴った。あわてた一塁手、三塁へ返球するも、イチローは鮮やかに三塁ベースへと滑り込んだ。

「41歳のプレーじゃないね!」

味方ベンチはドッと沸き立った。

気温が30℃を超える酷暑のなか、現役最年長選手であるイチローが、華麗なベースランニングを披露したのだ。走力は年齢が最もあらわれやすい分野。過去の盗塁王の記録をみても、40歳をすぎて活躍した選手はほとんどいない。

試合後、イチローは言った。

「あんなプレー、滅多にしないですよ。単純に僕の練習です。スタートは切りたい、というのが理由です」

ひとつ先の塁を貪欲に狙う。その姿勢にチームメイトは目を見開いた。



「いい結果が出たときは、皆がいい感じで迎えてくれる。それはすごく気持ちいい」

大汗をかきながらイチローは言った。

”イチローは、こんなごく普通の野球環境に飢えていたんじゃないか。ごく当たり前の環境に気持ちを高ぶらせ、若いチームメイトと大いに盛り上がるイチローがいる。コーチたちまで巻きこんでけっこうな騒ぎだ。そのなかには満面の笑みで同僚たちを迎え入れる彼がいた(Number誌)”






◎何歳?



2015年4月16日

マーリンズの開幕戦

”イチローは、スターティング・ラインナップにその名を連ねていない。彼はチームと”4番目の外野手”として契約を交わしているからだ。開幕戦で与えられたのは代打の1打席だけ。結果、ファーストゴロに終わる(Number誌)”


その後、マーリンズは開幕3連戦を3連敗。イチローは3試合とも代打で出場して1安打。マーリンズの外野手3人は若くて守備力が高く、4人目のイチローの出番はそれほど必要とされていない。

イチローは言う。

「前に進もうとするのは、前向きな人間なら当たり前。後ろを向きたい人たちは、ここではやっていけないですから。変わりたいというよりも、壊していきたい(笑)。それが吉と出るかどうかはわからなくても、そうやって壊していく姿勢が、僕は好きなんでしょう」



”¿Que Paso?"

元気かとスペイン語で声をかけられたイチロー。英語でこたえる。

”I'm not playing today(今日は試合に出てないよ)”

”How did you do yesterday, three hit?(じゃあ昨日は? ヒット3本か?)”

”No no, Zeeeero!!"



「コンニチハ、サヨナラ」

3人目の外野手、マーセル・オズーナは片言の日本語をしゃべる。

”出身はドミニカ。クラブハウスでの笑いの渦には必ず彼がいる。イチローとも日本語とスペイン語でコミュニケーションをとっているようだ(Number誌)”

オズーナは言う。「じつは(日本語を)昨年から覚えているんだよ。今年はイチローに先生になってもらうんだ」

リーグ屈指の強肩オズーナ。そのバズーガ砲は、イチローのレーザービームとの競演も期待される。

「イチローと一緒にプレーできるのは喜び。本当にワクワクしているよ」



はたして、現役メジャーリーガーの41歳は、人間の寿命に換算すると何歳なのだろうか。

かつてイチローは、愛犬一弓(いっきゅう)を「人間なら何歳?」と問われて、こう答えている。

「イヌの10歳は10歳ですよ。なんで人間の年齢に換算しなきゃいけないんですか」













(了)






ソース:Number(ナンバー)876号 イチロー主義 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
イチロー「イチロー主義2015」



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