2014年9月21日日曜日

錦織圭の進化と新コーチ [テニス全米オープン]







グランドスラム大会(四大大会)の一つ、テニス全米オープンで「日本人初のファイナリスト」となった錦織圭(にしこり・けい)。

だが、大会前に何かが起こるという予兆はまったくなかった。というより、錦織は「出場さえ危ぶまれていた」のである。



開幕3日前の記者会見の席で、錦織は出場への懸念を口にしていた。

「(出場は)当日にならないとわからない」

——8月上旬に右足親指の付け根にできた嚢胞(のうほう)を取り除く手術をうけ、実践形式の練習をはじめたのは、1回戦のわずか2日前だった(Number誌)。



会見での錦織の弱い言葉を聞きつけた「マイケル・チャン」。今年からスペシャルコーチとして「Team KEI」に加わっていた彼は、錦織を厳しく叱責したという。

——中尾公一トレーナーによると、抜糸も済んで完治しているとの判断で、錦織と彼のチームは出場に向けて動いていた。そこで本人が出場に慎重な姿勢を見せるのは、中尾トレーナーによれば「(負けた時の)言い訳をつくっている」ことになる(Number誌)。

同じように故障明けで出場した全仏オープン、錦織はケガの再発を懸念してか無難なプレーに終始し、1回戦で敗退していた。

——温厚な中尾トレーナーが「言い訳」という厳しい言葉を使うのは、チーム全員が「全仏の失敗を繰り返してはならない」という、断固たる姿勢で一致していたからだろう(Number誌)。






■マイケル・チャン



チーム錦織にそうした「厳しさ」を持ち込んだのは、今季からツアーに帯同しているスペシャルコーチ、マイケル・チャンだという。彼は錦織が生まれた平成元年(1989)、全仏オープンで優勝したアメリカ人だ。

現役時代のマイケル・チャンを知る松岡修造はこう語る。「チャンは1989年、17歳で全仏オープンを制覇し、世界ランク2位まで上り詰めた。僕も現役時代、3度対戦したことがある。このとき、彼の強さとして実感したのは、チャンの『絶対にできる!』という強靭なメンタルだ」

——現役時代、強靭な精神力で知られたチャン・コーチは、錦織が勝負強い選手であり、人並み外れた集中力の持ち主であることを承知しながら、ゲームの集中の仕方や気合いの入れ方を説いてきた(Number誌)。



近年顕著になってきたのが、コーチとして活躍する「かつての名選手たち」。

2013ウィンブルドンで優勝したアンディ・マリー(イギリス)のコーチはイワン・レンドル(だが今年3月に契約解消)。世界ランク1位のジョコビッチ(セルビア)のコーチはボリス・ベッカー。そして錦織のコーチとなったのがマイケル・チャンである。この3人はいずれもテニス四大大会(グランドスラム)優勝経験者である。

——近年、テニスの世界では「チーム」として戦う仕組みが確立されており、かつての名選手がコーチ業に入り成功を収めている。それは対戦相手の分析能力もさることながら、「王者としてのメンタリティ」をダイレクトに伝えられることが大きい(Number誌)。



松岡修造は言う。「圭の快進撃を支えた要因、それはマイケルにあって、圭になかったもの。メンタルだ。現役時代のマイケルは、崖っぷちに立たされてからのメンタルの強さ、あきらめない心を持っていた選手だった。言葉にすれば簡単に聞こえてしまうが、このことを教えられる指導者はそうはいない。これまで圭に欠けていた大きなピースが、マイケルによって埋められたのだ」

今季、マイケル・チャンは家族をともなって錦織のツアーに帯同している。コーチに就任したのは「錦織に共感したからだ」と話している。






■快進撃



全米オープンの開幕前日、錦織のブログはいつになく「強い調子」で記されていた。

「一つの試練だと思って戦い抜きます」



1回戦、地元アメリカの「ウェイン・オデスニック」。

錦織は大会直前の手術の影響を微塵もみせず、危なげなくストレートで下した。

——錦織は「よく集中して1ポイント目から良い感覚がえられた」と振り返ったように、一方的な内容となった。難関と思われたスタートは、うまく乗り切った(Number誌)。



2回戦の「パブロ・アンドゥハル(スペイン)」は途中棄権。3回戦の「レオナルド・マイエル(アルゼンチン)」も下すと、錦織は6年ぶりとなる全米ベスト16へと駒をすすめた。






4回戦はフルセットまでもつれる激闘となった。

——ラオニッチ(カナダ)とは午前2時26分までかかる「未明の死闘」となった。セットカウント 1-2 と先行を許し、第4セットも劣勢となった。だが終盤に「勝負強さ」を見せた錦織、2-2 に追いついた。4時間19分を費やす熱戦は、最後の最後に錦織に凱歌があがった(Number誌)。

試合後の会見、錦織の言葉は皆を驚かせた。

「勝てない相手はもういないと思うので、できるだけ上を向いてやりたいですね」

——「勝てない相手はもういない」。それまで達成可能な目標だけを口に出してきた錦織が、なぜ似合わない大風呂敷を広げるのか。チャン・コーチの言葉の口移しだろうか。精神力を武器に17歳で四大大会の全仏を制したチャン・コーチなら、必ずそう言っただろう(Number誌)。






準々決勝、全豪オープン覇者の「スタン・ワウリンカ(スイス)」に挑んだ。

——試合時間4時間15分、2試合連続の「マラソン・マッチ」となった。セットの序盤、中盤のサービスゲームで計3度、相手にブレークポイントを握られるなど、明らかに劣勢だった。錦織のエネルギーは残量わずかと見えた。それでも死んではいなかった。錦織の 5−4 からワウリンカがダブルフォールトがらみでサービスゲームを落としたのは、明らかに自滅だった。疲労がピークに達しても攻撃の手を緩めない錦織に、世界4位が怖じ気づいたようにも見えた(Number誌)。



メンタルの成長を強くアピールした錦織、「あきらめずに最後まで戦えた」と試合後に胸をはった。

——4時間以上の試合を勝ち続け、海外で錦織は「マラソン・マン」と称されるようになった。全米オープンでは5セット、4時間以上の激闘を2試合立て続けにモノにし、5セットマッチで歴代1位の勝率をあげた(Number誌)。






「どうして圭は、いつもボールのポジションにいるのだろう?」

全米オープンでの錦織の戦いを見て、松岡修造には疑問がわいていた。そして何度も何度も試合を見返して、ようやくその疑問が解けたという。

「いままで以上にボールを打てる位置につくのが速いのだ。圭は忍者のごとくコートを駆け回った。驚くことに相手が打つ前にすでに次の場所に移動している。ジュニアの頃、圭の身体能力は飛び抜けて高かったわけではない。むしろ他の選手よりも劣っているくらいだった。ただ、いったんコートに入ると動きが速く見える。『ずば抜けた予測力』が、圭ならではの動きを可能にしていたのだ。そして、その予測力がマイケル・チャンによってさらに進化した。現役時代にマイケル・チャンと対戦していた時、僕はマイケルの打つボールを恐怖に感じたことはなかった。しかし、決めきれない。いくらチャンスボールを攻撃しても、僕が打つところに必ずマイケルがいた。彼の小さな体がどんどん大きく見えていったものだ。元来予測力のある圭に、マイケルの予測能力が注入され、圭の予測力は信じられないほど増幅したのだ」






■準決勝



ついにベスト4にまで駒をすすめた錦織。

準決勝の相手は、世界ランク1位の「ジョコビッチ(セルビア)」。

——圧巻は第3セットのタイブレークだ。あのジョコビッチが凡ミスを連発した。試合を左右する攻防での腰砕け。真綿で首を絞められるような神経戦に嫌気がさしたのか、ジョコビッチは錦織の精神的な強さにひれ伏した(Number誌)。



「KEI(圭)は称賛に値する」と王者ジョコビッチは脱帽した。

——「メンタル・モンスター」。今季、複数の海外メディアが錦織の勝負強さに捧げた形容が、この時ほど腑に落ちたことはない(Number誌)。



さらにこの一戦、錦織は「フィジカル面の強靭さ」も披露した。

——猛暑がもどったニューヨーク、コート上では35℃を記録。へばりを見せたのはジョコビッチだった。4時間超の5セットマッチを2試合こなして勝ち進んだ錦織のほうが、涼しい顔で2時間52分を戦い抜いた(Number誌)。

試合後の会見、錦織は言った。「もちろん疲れはありましたが、彼(ジョコビッチ)の方が疲れているように見えました。体力面でこんなに強くなっているんだと改めて実感しました」

さらに錦織が「正直、自分でも『おかしいんじゃないか』というくらい」と言うと、取材陣は笑いに包まれた。









松岡修造は言う。「圭の進化を感じたことがある。対戦相手を見ていると、決して追い込まれている場面ではないのに、圭のショットに押されていたり、ミスを誘発させられるシーンが多々あった。僕自身が圭の対戦相手になった想定で試合を観ていたら、その答えが見つかった。圭の打っているボールが『重く強い』からだ、と」

錦織はこう言っている。「マイケルからはフットワークについて繰り返し指導されています。一番は前後の動き。ベースラインから前に入るだけでも、相手のタイミングをずらして一歩早いタイミングで打つことによって、同じ球の速さでもコースが良ければウィナーになる。深い球のときはしっかりと下がって、横着にならないようフットワークを使って打つ。練習は大変ですが、実際にやってみて球の重さや深さが以前と比べてまったく変わってきている」

とにかく脚をつかって、一球一球、重いボールを打つことを心がけていたのだという。






■決勝



グランドスラム(四大大会)

日本人初の「ファイナリスト(決勝進出者)」となった錦織圭。



だが「マリン・チリッチ(クロアチア)」との決勝戦、錦織自身「ずっと迷走している感じだった」と振り返ったように、まさかのストレート負けを喫した。

「相手がチリッチで、まぁ得意じゃないですけど、何回も勝ってる相手で(対戦成績5勝2敗)、より考えることが増えたと思いますし、『勝てる』っていうのが少し見えたのもあまりよくなかった」

終止符がうたれた快進撃。表彰式では茫然自失といった表情だった。



その時のことを松岡修造は、こう振り返る。

「11歳の圭に初めて会った日から、この時が来ることを確信していた僕にとっては、驚きというよりも『よくぞやってくれた』という感謝の気持ちが強かった。圭はすべてを出した。表彰式前に頭からタオルを掛け、うなだれている圭を見て、僕はこう声をかけた。『圭、よくやった。諦めないで最後まで戦った。でもチリッチが圭の知っているチリッチではなかったんだ』。決勝でのチリッチは、これまでの彼のテニス人生で紛れもなく最高のテニスをした。準決勝で彼が見せた、史上最強プレーヤーと言われるフェデラーですら、手のつけようのない完璧なテニス。決勝でのチリッチは、それさえも超えていた」









決勝で完敗したとはいえ、今大会、世界トップ10を一度に3人も倒した自信は深い。

「この2週間、強い相手に勝ちきることができて、すごく自信になっています。また決勝に戻ってきたいですね。この悔しさを忘れずに、また優勝を目指してやりたい」

試合後の会見で錦織は、むしろ快活にそう語った。



——強豪たちをメンタル、フィジカルで凌駕したという、ずっしりとした手応えは長く残るだろう。得られた自信はそのハートをさらに強固な鎧で覆うだろう。近い将来、男子テニスの世界地図は大きく変わっているだろう。願わくは、そのときに「KEI」が世界の中心にいますように(Number誌)。



「圭、おめでとう。そして、ありがとう(松岡修造)」













(了)






ソース:Number(ナンバー)861号 革命を見逃すな。―大谷翔平と錦織圭 (Sports Graphic Number)
松岡修造「圭は何故、ここまで強くなれたか」
錦織圭「メンタルモンスターが生まれた日」
「マイケル・チャンが開いた世界への扉」



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2014年8月26日火曜日

新時代ゴールキーパー、ノーマン [ドイツ]




ドイツ
「シャルケ」のBユーゲン(U-17に相当)

一人の老人は、そのゴールキーパーのプレーに目を奪われた。キーパーでありながらも、ときにハーフウェイラインにまで出ていって、相手チームの攻撃の芽を摘んでいたのだ。



試合が終わると老人は、その若いゴールキーパーに声をかけた。

「オマエさんみたいな攻撃的なプレースタイルは新時代のものだな。ワシはそんなプレーをずっと見てみたい」

老人の名はハンス・ヒーデルス。地元の熱心なサッカーファン。そして若きゴールキーパーの名は「マヌエル・ノイアー」。いまだ無名であったが、10数年後のブラジルW杯ではドイツ優勝の盾となる男であった。






■シャルケ



ノイアーの父は警察官。父ペーターは若い頃にサッカーやハンドボールをしており、少年ノイアーと一緒にボールを蹴るのが何よりの楽しみだった。

ノイアーは少年時代を振り返る。「僕はクリスマスのプレゼントにレゴやTVゲームをお願いしたことは一度もなかった。もらったのはサッカーボールだけだった」

——毎年、冬休みに家族でスキー旅行にいくことが恒例になっていたが、ノイアーはスキー場に新品のサッカーボールを持っていき、雪の上でボールを蹴っていたという。まるでドリブラーの少年時代のような経験が、彼の足元の技術を鍛え上げていった(Number誌)。



1991年、ノイアーはドイツ「シャルケ」のユースでキャリアをスタートさせていた(5歳)。憧れだったのは当時シャルケの守護神、イェンス・レーマン。彼は2006年、地元開催のワールドカップで、下馬評の低かったドイツを3位にまで導くことになる名キーパーである。

ノイアーのトップデビューは2006年(20歳)。シャルケの正ゴールキーパーの座を手にすると、翌2007/2008シーズンにはシャルケ初となるCL(チャンピオンズリーグ)ベスト8という成績に貢献する。



ちなみに日本代表の内田篤人とはチームメイトだった。偶然にも同じ誕生日(3月27日)の2人には、こんなエピソードがある。

日本が東日本大震災にみまわれた翌日、内田は被災地にむけたメッセージをユニフォームに書いていた。それを見たノイアー、「それを観客に見せるのか?」と聞いた。すると内田、「勝ったら見せる。負けたら見せない」と答えた。「じゃあ勝つ」。ノイアーは自信満々にそう言った。「僕が守るから今日は勝つ」。試合はノイアーの宣言したとおりに勝った。






■バイエルン



2010年、ノイアーはドイツ代表の正ゴールキーパーとなる(24歳)。

しかしそれは、当時正ゴールキーパーだったロベルト・エンケの死、そしてその代役となったレネー・アドラーの怪我によって転がり込んできたものだった。

——いまでこそ冷静沈着なノイアーも、かつてはもっと子供っぽく、感情の起伏が激しく、それゆえ凡ミスをすることも多かった。2010年の南アフリカW杯に出場できたのも、第1GKのアドラーが直前に肋骨を骨折したからだ。当時のノイアーにはまだ、絶対的な信頼感はなかった(Number誌)。



ノイアーが明らかに変貌するのは「バイエルン」に移籍してからだった。2011年の移籍当初、バイエルンの熱狂的サポーターの歓迎は手荒かった。

「バカ野郎!」

「裏切り者!」

そんな罵声でむかえられたのだ。というのも、それまでノイアーが所属していたシャルケは、バイエルンにとっては憎きライバルだったからだ。

「僕らが君を受け入れることはない」

「ノイアーの死をここに偲ぶ」

そんな屈辱的な横断幕が掲げられていた。



——このゴールキーパーの高額移籍(1800万ユーロ)をバイエルンのサポーターは認めようとせず、バイエルンの一員になってもブーイングを浴びせ続けた。味方のゴール裏から野次を飛ばされるのだからたまらない。しかし、この試練がノイアーから幼さを削ぎ落とした。ノイアーはストイックさを増し、自分のスタイルを追い求めるようになった(Number誌)。

——相手と1対1になっても、両手を広げてじっと動かず、全身で壁をつくってシュートコースを消す。ミドルシュートを打たれれば、193cmの長身をネコのようにしならせて横に飛んで弾き出す(同誌)。

ノイアーと親しいベネディクト・ヘベデス(同じシャルケユース出身で、ドイツ代表でもともにプレー)は、こう言う。「シャルケ時代にもモノ凄い活躍をみせる選手だったけど、バイエルンへ移籍してさらに成長したんじゃないかな」。






■グラルディオラ監督



ノイアーがさらなる進化を遂げるのは、バイエルンに名将「グアルディオラ」が監督として赴任してからだった(2013〜)。

ノイアーは語る。「監督はディフェンスラインを高く保つので、僕もこれまで以上にフィールドプレーに関与することになったんだ。ロングボールを蹴ってゲームの組み立てに参加しないといけないし、『ゴールからはずいぶん離れたところ』に立つ必要があった。もはや普通のキーパーのようにシュートを止めることだけ意識しているだけではダメだったんだ」



1992年にゴールキーパーがバックパスを手でキャッチすることを禁止されてからというもの、キーパーはより積極的に攻撃に参加することが求められるようになっていた。

そしてノイアーは、さらにゴールキーパーの範疇を広げた。

——チームがボールを保持しているときには、何のためらいもなく「ペナルティエリア」の外に出ていくようになった。攻撃の組み立てに参加するためには、あるいは相手がロングボールでカウンターで狙ったパスをカットするためには、従来よりも「ずっと前寄りのポジション」にいる必要があったからだ(Number誌)。



グアルディオラ監督は、ノイアーの居残り練習を増やした。

——コーチがディフェンスラインの裏にめがけてボールを蹴り、そこに選手が反応して飛び出す。対するノイアーは「ペナルティエリアの外」に出ていき、胸や頭をつかってそのボールをクリアしたり、味方につないだりする。そうした練習を繰り返した(Number誌)。

ノイアーは言う。「こうした練習が一人のキーパーとして、本当に貴重な経験になっているんだよ」

——グアルディオラ監督のもとで、最も変化したのが「ペナルティエリア外」への飛び出しだ。まるでディフェンダーのようにノイアーはボールに関与するようになった(Number誌)。



そうしたバイエルンの試合を見た岡田武史氏(元日本代表監督)は絶句した。

「なんだこいつは?」

ペナルティエリアに囚われないキーパーなど見たことがなかった。

「僕らの常識としては、ディフェンスラインを押し上げると、裏を取られてゴールキーパーと1対1にされる危険性が常にある。ところがバイエルンはどんどんディフェンスラインを上げてくる。裏を取られても、全部ノイアーが防いでくれるから(笑)」






■ブラジルW杯



「ペナルティエリアの呪縛」から解放されたノイアー。

2014ブラジルW杯では、その新スタイルで世界を瞠目させることになる。



決勝トーナメント1回戦
ドイツ対アルジェリア

——ノイアーのプレーは従来のゴールキーパーの範疇をはるかに超えていた。その典型がアルジェリア戦。56回のボールタッチのうち、じつに21回(38%)が「ペナルティエリアの外」だった。1対1でのセーブが4回くらいあった(Number誌)。

ノイアーの飛び出す回数があまりにも多かったので、ドイツのメディアからは「リスクが大きすぎる」と批判の声があがった。だがノイアー、「120分間のいい練習になった」とアルジェリア戦を俯瞰した。

そして準々決勝のフランス戦でも「エリア外の掃除」に成功すると、もはや誰も批判するものはいなくなった。



じつは今大会、ノイアーは万全の状態ではなかった。

——ドイツ杯の決勝(5月17日)で転倒して右肩を痛め、一時は包帯で固定しなければならなかった。必死のリハビリによって開幕には間に合わせたが、完全には治っていなかった。にもかかわらず、アルゼンチンとの決勝戦でイグアインとのイーブンのボールに突進したように、少しも接触プレーを恐れることがなかった(Number誌)。

ノイアーは言う。「もちろんリスクがわるのはわかっている。少しでも恐かったら飛び出さないほうが身のためだ。それくらいギリギリの勝負なんだ。けれど、それでも僕は迷わない。『100%成功する』と思って飛び出すようにしている」



アルゼンチンに辛くも競り勝ったドイツ代表。大会期間中の失点はわずか3で、24年ぶりの優勝を果たす。その守護神ノイアーは当然のように、大会最優秀ゴールキーパーとして「ゴールデングローブ賞」に選ばれた。

岡田武史氏はW杯でのノイアーをベタ褒めする。「だって、すごかたでしょ? MVP(最優秀選手賞)はメッシだったけど、あれはおかしいと思った。絶句したよ。僕ならノイアーを選ぶなぁ」

——今ブラジル大会のノイアーの功績は、近代的ゴールキーパーの理想像を示したことにある。ペナルティエリア外に飛び出してカウンターを阻止したかと思えば、正確なキックでビルドアップに参加する。ノイアーのパス成功数は、メッシよりも2本多い244本だった(Number誌)。






■偽5番



W杯が終わってから1ヶ月後、ドイツの年間最優秀選手が発表された。選ばれたのはノイアーだ。

——ノイアーが「偽の5番」という新たなポジションを確立しつつあることが評価された。ドイツにおける5番は「リベロ」を意味する。「偽の5番」とは、リベロのような働きをするキーパーを指す(Number誌)。

かつてドイツの5番は、「皇帝」と呼ばれたベッケンバウアーが背負っていた番号だ。1974年のW杯、開催国であった西ドイツを優勝に導いたベッケンバウアー。「リベロ」というポジション(攻撃に参加するスイーパー)を確立した人物でもある。



ノイアーは手をつかうゴールキーパーでありながら、その足下の技術も充分に高い。ドイツ代表のチームメイトも「ノイアーならドイツリーグでフィールドプレーヤーとしても活躍できる」と太鼓判を押す。

——左右の足でボールを正確に扱うことができ、ロングキックの精度も抜群に高い。グアルディオラ監督の方針で、ノイアーはフィールドプレーヤーと同じメニューを行うことも多く、密集地帯のパス回しにも目が慣れており、相手に激しくプレスをかけられてもクリアせず、隙間にパスを通すこともできる。ノイアーは今や「ゴールスイーパー」。キーパー像の変更を迫る存在になっている(Number誌)。



キーパーとしてはドイツ伝説のカーンと並び賞され、フィールドプレーヤー(リベロ)としては皇帝ベッケンバウアーに比されるようになった「偽5番」ノイアー。

「カーンとベッケンバウアーのハイブリッドだ」と、ドイツでは讃えられている。



ドイツ伝説のゴールキーパー、カーンはこう苦笑する。

「ノイアーは史上最高のキーパーだ。あんな選手がでてきてしまうと、後に出てくるキーパーにとってはきついだろうね」






(了)






ソース:Number(ナンバー)859号 W杯後の世界。 (Spots Graphic Number)
マヌエル・ノイアー「GKの概念を超える男」
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2014年8月25日月曜日

教師のごとき監督、ファンハール [サッカー]




「おめでとう。君たちは『世界最高の監督』と契約したのだ」

オランダのサッカークラブ「アヤックス」の監督に就任したとき、「ルイ・ファンハール(Louis Van Gaal)」はそう言い放った。関係者らが唖然としたのは言うまでもない。当時の彼はまだ、監督としての実績は何もなかった(1991)。

その過剰なまでの自信は、幸いにもCL(チャンピオンズリーグ)優勝というタイトルをアヤックスにもたらすことになる(1994/95シーズン)。するとファンハールはさらに傲慢な発言を繰り広げる。

「私は、バルセロナ(スペイン)が達成するのに100年かかった偉業を、わずか6年で成し遂げた」



この異端児、ファンハールはメディアにも容赦なかった。

「今回の質疑応答はレベルが低い。君は勝手な解釈を口にすべきではない。事実を踏まえて『どうしてですか?』とシンプルに尋ねるべきだ。君は馬鹿なのか、それとも私が賢いだけか?」

記者会見の席上、ファンハールはまるで「教師」であった(実際、彼は学校の体育教師を務めた経験をもつ)。

——アヤックスの監督時代、練習を中断して選手を集め、怒鳴り散らす場面も度々見られた。後ろに手を組み、神妙な面持ちでうつむく選手らに、血相を変えながら指示を与える様は、プロチームの練習風景というよりは、まるで体育の授業のようだった(Number誌)。






このファンハールという人物を、フェラン・ソリアーノ(現マンチェスター・シティのCEO)は的確にこう表現する。

「ファンハールは他の監督に比べると”かなり異質”だ。彼は多くのクラブで優れた手腕を発揮する反面、周囲の反感も買ってきた。それでも彼は試合に勝ってみせるが、その代わり、いったん成績が伴わなくなると、反感を抱く人々がこぞって牙を剥きはじめる。ファンハールとは、そういう監督なのだ」

彼の言うとおり、ファンハールはバルセロナの監督時代、「頭のネジが1〜2本、抜けているんじゃないかと思うよ」と、前任者クライフから痛烈に批判されている。

——自分と同じオランダ出身で、アヤックスの後輩にあたるファンハールを、クライフは変人扱いするようになった。かくして求心力を失ったファンハールは、CL(チャンピオンズリーグ)を取り逃したことも災いし、3年でバルセロナを解任(2000)。以降、監督としてはなかなか結果を出せない日々が続く(Number誌)。



もともとクライフとファンファールは、同郷オランダ出身ということもあり、ともにオランダ伝統の「トータル・フットボール」の信奉者であった。トータル・フットボールとは、オランダサッカーの父とされるリヌス・ミケルスが具現化した戦術で、「全員攻撃、全員守備」などと解説される。その選手としての体現者が、現役時代のクライフであった(バロンドールを3度受賞)。

リヌス・ミケルスは「クライフのスタイルをさらに進化させた」と、ファンハールを高く評価。「クライフ以上に詳細なディテールにこだわる人物だ」とも述べている。

——事実、ファンハールは配下の選手にポジション取りを覚えさせるため、GPSに似た装置を装着させ、cm単位で修正を行ったこともある。だが完璧を期そうとするあまり、やがてファンハールには「難解な理論ばかりをこねまわす監督」というレッテルが貼られた(Number誌)。

クライフとファンハール、その両者をよく知るデニス・ベルカンプはこう言っている。「クライフは本能にしたがって動くタイプで、現役時代に自分がやっていたプレーの仕方を教えようとした。彼の指導は戦術的というよりは、テクニカルなものだったと思う。それに比べれば、ファンハールは学校の教師のようなタイプだった。彼はテクニカルな部分に関しては選手に任せてくれたけど、戦術の指導は名人の域に達していたね」。






ファンハールが復権を果たすのは、オランダのAZを28年ぶりのリーグ優勝に導き(2008/09シーズン)、ドイツの巨人「バイエルン・ミュンヘン」に白羽の矢をたてられてからだった。

——2009年からドイツのバイエルンを率いたファンハールは、ポゼッションを軸にしたプレースタイルの明確化と人材育成に着手。さらにロッベンを獲得した後は、カウンターという武器に磨きをかけた。ファンハールの改革は実を結ぶ。CL(チャンピオンズリーグ)では2000年以降、決勝に駒を進めていなかったバイエルンだったが、ファンハールはこの長い冬の時代に終止符を打った(Number誌)。

だが、厳格なカトリック教徒の家庭で育てられたファンハールは、その権威主義的な態度が選手らとの確執を起こしている。リベリーは「ファンハールの下でプレーするのは、まったく楽しくない」と公言。ルカ・トーニは「選手を交換可能なパーツのように扱う人間だ」とファンハールを怨んだ(トーニは戦力外通告をうけた)。

結局、CL(チャンピオンズリーグ)準優勝を果たした翌シーズン(2010/11)、バイエルンはリーグ4位に転落。「人情味のない管理主義者」と蔑まれたファンハールは解任された。






そして率いることになったオランダ代表(2012)。

ブラジルW杯の予選では、10戦無敗という圧倒的な強さを見せつけた。だがオランダ国内では、ファンハールに対する批判が渦を巻いていた。

——「オランダサッカーを裏切った男」。これが大会開幕前に、ファンハールにつけられた蔑称だった。テレグラフ紙とアルヘメン・ダフブラット紙、そしてフットボール・インターナショナル誌の論調は、批判一色で統一されていた(Number誌)。



前述した通り、ファンハールは元々、オランダ伝統の「トータル・フットボール」の原理主義者であった。ボール支配率(ポゼッション)とウインガーの活用など、ファンハールはオランダサッカーを「3-4-3」というシステムで実現していた。ファンハール自身、「3-4-3は、オランダの攻撃的で魅力的なサッカーを実現するためには最適なシステムなのだ」と書籍でも述べている。

ところがワールドカップ本大会でファンハールが採用したのは、ウイングそのものがいない「5-3-2」。ポゼッション(ボール支配)によってゲームの主導権を握るのではなく、カウンターによる一撃必殺を狙ったのであった。

ファンハールと40年以上の親交のあるジャーナリスト、レオ・ヴァーヘイルは言う。「ルイは、現代表の問題点をよくこぼしていたよ。守備陣は脆く、中盤のバランスも悪いと。そしてルイはシステム変更に踏み切ったんだ。守備の不安を解消しつつ、三銃士(スナイデル、ファンペルシ、ロッベン)を活かすためには、5バックでカウンターを狙うのが唯一の解決策になるからね」。



ファンハールは仕掛けた、一世一代の大博打を。

それはグループリーグ初戦から的中する。前回王者スペインを「5-1」と粉砕した。

——オランダ代表が披露した新たなカウンターサッカーは、決して見苦しい代物ではなかった。イングランドの戦術史家、ジョナサン・ウィルソンはこう指摘する。「今大会の意義の一つは、カウンターが悪いサッカーだとか、美しくないサッカーだなどという馬鹿げた固定観念を払拭したことだと思う。それに貢献したチームの一つがオランダであるのは間違いない」(Number誌)









準決勝でPK戦の末にアルゼンチンに破れたものの、3位決定戦のブラジルには「3-0」と完勝。今大会でファンハールは、オランダの過去の印象「才能ある選手は多いが、勝負弱い」を一蹴した。

——彼は見事、ギャンブルに勝った。あれだけ批判されていたファンハールを、2,000人以上ものファンが空港で出迎えるなど、誰が予想していただろう(Number誌)。

ファンハールは言う。

「オランダの人々は目からウロコが落ちた思いだろう。サッカーのシステムが一つだけではないと気づいたのではないだろうか。われわれは少し新しい種類のサッカーを披露することができたと思う。次期代表監督(ヒディンク)は『オランダ伝統のサッカーを取り戻す』と言ったらしいが、私は常にオランダ流のサッカーを実践してきたし、その上で今回、別のスタイルを提示することを決めたのだ」






W杯後、オランダを去ったファンハールはイングランドへと乗り込んだ。低迷の淵にある「赤い悪魔」、マンチェスター・ユナイテッドの再建を託されて。

ファンハール節は健在だ。さっそくアメリカツアー中に一席ぶっている。

「君たちが主張するのは勝手だが、私のサッカー哲学はまったく変わっていない!」



記者の「人間として成熟したのではないか」という質問に対して、ファンハールは気色ばんだ。

「またもや君たちは勝手な説を唱えている。世間の連中は、私が独裁者で誰の意見も聞かないなどと吹聴するが、私は他人の意見に耳を傾けるし、経験からも学ぶ。ただしサッカーチームでは、ボスは必ず一人でなければならない。さもなければカオスになるからだ」

そして、こう続ける。「バルサ時代、私はリバウドを翻意させたし、バイエルンでもトーニを外すだけの度量があることを証明している。彼が主張するように『自分でパンツを下げて、金玉のデカさを見せつけるような真似』をした記憶はないがね」



——ファンハールは時代の寵児になれなくとも常に未来を先取りし、さまざまな場所で「種」を蒔きつづけてきた。今、新風を吹き込もうとしているイングランドは、オランダ、スペイン、ドイツに次ぐ4番目の赴任地になる。ファンハールは果たして本当に変わったのか。彼が新天地にどのような痕跡を刻んでいくのか。これは相当な見物である(Number誌)。













 (了)






ソース:Number(ナンバー)859号 W杯後の世界。 (Spots Graphic Number)
オランダ「ファンハールの壮大な実験」
ルイス・ファンハール「時代をつくる名将のマンU改革」



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