2014年8月26日火曜日

新時代ゴールキーパー、ノーマン [ドイツ]




ドイツ
「シャルケ」のBユーゲン(U-17に相当)

一人の老人は、そのゴールキーパーのプレーに目を奪われた。キーパーでありながらも、ときにハーフウェイラインにまで出ていって、相手チームの攻撃の芽を摘んでいたのだ。



試合が終わると老人は、その若いゴールキーパーに声をかけた。

「オマエさんみたいな攻撃的なプレースタイルは新時代のものだな。ワシはそんなプレーをずっと見てみたい」

老人の名はハンス・ヒーデルス。地元の熱心なサッカーファン。そして若きゴールキーパーの名は「マヌエル・ノイアー」。いまだ無名であったが、10数年後のブラジルW杯ではドイツ優勝の盾となる男であった。






■シャルケ



ノイアーの父は警察官。父ペーターは若い頃にサッカーやハンドボールをしており、少年ノイアーと一緒にボールを蹴るのが何よりの楽しみだった。

ノイアーは少年時代を振り返る。「僕はクリスマスのプレゼントにレゴやTVゲームをお願いしたことは一度もなかった。もらったのはサッカーボールだけだった」

——毎年、冬休みに家族でスキー旅行にいくことが恒例になっていたが、ノイアーはスキー場に新品のサッカーボールを持っていき、雪の上でボールを蹴っていたという。まるでドリブラーの少年時代のような経験が、彼の足元の技術を鍛え上げていった(Number誌)。



1991年、ノイアーはドイツ「シャルケ」のユースでキャリアをスタートさせていた(5歳)。憧れだったのは当時シャルケの守護神、イェンス・レーマン。彼は2006年、地元開催のワールドカップで、下馬評の低かったドイツを3位にまで導くことになる名キーパーである。

ノイアーのトップデビューは2006年(20歳)。シャルケの正ゴールキーパーの座を手にすると、翌2007/2008シーズンにはシャルケ初となるCL(チャンピオンズリーグ)ベスト8という成績に貢献する。



ちなみに日本代表の内田篤人とはチームメイトだった。偶然にも同じ誕生日(3月27日)の2人には、こんなエピソードがある。

日本が東日本大震災にみまわれた翌日、内田は被災地にむけたメッセージをユニフォームに書いていた。それを見たノイアー、「それを観客に見せるのか?」と聞いた。すると内田、「勝ったら見せる。負けたら見せない」と答えた。「じゃあ勝つ」。ノイアーは自信満々にそう言った。「僕が守るから今日は勝つ」。試合はノイアーの宣言したとおりに勝った。






■バイエルン



2010年、ノイアーはドイツ代表の正ゴールキーパーとなる(24歳)。

しかしそれは、当時正ゴールキーパーだったロベルト・エンケの死、そしてその代役となったレネー・アドラーの怪我によって転がり込んできたものだった。

——いまでこそ冷静沈着なノイアーも、かつてはもっと子供っぽく、感情の起伏が激しく、それゆえ凡ミスをすることも多かった。2010年の南アフリカW杯に出場できたのも、第1GKのアドラーが直前に肋骨を骨折したからだ。当時のノイアーにはまだ、絶対的な信頼感はなかった(Number誌)。



ノイアーが明らかに変貌するのは「バイエルン」に移籍してからだった。2011年の移籍当初、バイエルンの熱狂的サポーターの歓迎は手荒かった。

「バカ野郎!」

「裏切り者!」

そんな罵声でむかえられたのだ。というのも、それまでノイアーが所属していたシャルケは、バイエルンにとっては憎きライバルだったからだ。

「僕らが君を受け入れることはない」

「ノイアーの死をここに偲ぶ」

そんな屈辱的な横断幕が掲げられていた。



——このゴールキーパーの高額移籍(1800万ユーロ)をバイエルンのサポーターは認めようとせず、バイエルンの一員になってもブーイングを浴びせ続けた。味方のゴール裏から野次を飛ばされるのだからたまらない。しかし、この試練がノイアーから幼さを削ぎ落とした。ノイアーはストイックさを増し、自分のスタイルを追い求めるようになった(Number誌)。

——相手と1対1になっても、両手を広げてじっと動かず、全身で壁をつくってシュートコースを消す。ミドルシュートを打たれれば、193cmの長身をネコのようにしならせて横に飛んで弾き出す(同誌)。

ノイアーと親しいベネディクト・ヘベデス(同じシャルケユース出身で、ドイツ代表でもともにプレー)は、こう言う。「シャルケ時代にもモノ凄い活躍をみせる選手だったけど、バイエルンへ移籍してさらに成長したんじゃないかな」。






■グラルディオラ監督



ノイアーがさらなる進化を遂げるのは、バイエルンに名将「グアルディオラ」が監督として赴任してからだった(2013〜)。

ノイアーは語る。「監督はディフェンスラインを高く保つので、僕もこれまで以上にフィールドプレーに関与することになったんだ。ロングボールを蹴ってゲームの組み立てに参加しないといけないし、『ゴールからはずいぶん離れたところ』に立つ必要があった。もはや普通のキーパーのようにシュートを止めることだけ意識しているだけではダメだったんだ」



1992年にゴールキーパーがバックパスを手でキャッチすることを禁止されてからというもの、キーパーはより積極的に攻撃に参加することが求められるようになっていた。

そしてノイアーは、さらにゴールキーパーの範疇を広げた。

——チームがボールを保持しているときには、何のためらいもなく「ペナルティエリア」の外に出ていくようになった。攻撃の組み立てに参加するためには、あるいは相手がロングボールでカウンターで狙ったパスをカットするためには、従来よりも「ずっと前寄りのポジション」にいる必要があったからだ(Number誌)。



グアルディオラ監督は、ノイアーの居残り練習を増やした。

——コーチがディフェンスラインの裏にめがけてボールを蹴り、そこに選手が反応して飛び出す。対するノイアーは「ペナルティエリアの外」に出ていき、胸や頭をつかってそのボールをクリアしたり、味方につないだりする。そうした練習を繰り返した(Number誌)。

ノイアーは言う。「こうした練習が一人のキーパーとして、本当に貴重な経験になっているんだよ」

——グアルディオラ監督のもとで、最も変化したのが「ペナルティエリア外」への飛び出しだ。まるでディフェンダーのようにノイアーはボールに関与するようになった(Number誌)。



そうしたバイエルンの試合を見た岡田武史氏(元日本代表監督)は絶句した。

「なんだこいつは?」

ペナルティエリアに囚われないキーパーなど見たことがなかった。

「僕らの常識としては、ディフェンスラインを押し上げると、裏を取られてゴールキーパーと1対1にされる危険性が常にある。ところがバイエルンはどんどんディフェンスラインを上げてくる。裏を取られても、全部ノイアーが防いでくれるから(笑)」






■ブラジルW杯



「ペナルティエリアの呪縛」から解放されたノイアー。

2014ブラジルW杯では、その新スタイルで世界を瞠目させることになる。



決勝トーナメント1回戦
ドイツ対アルジェリア

——ノイアーのプレーは従来のゴールキーパーの範疇をはるかに超えていた。その典型がアルジェリア戦。56回のボールタッチのうち、じつに21回(38%)が「ペナルティエリアの外」だった。1対1でのセーブが4回くらいあった(Number誌)。

ノイアーの飛び出す回数があまりにも多かったので、ドイツのメディアからは「リスクが大きすぎる」と批判の声があがった。だがノイアー、「120分間のいい練習になった」とアルジェリア戦を俯瞰した。

そして準々決勝のフランス戦でも「エリア外の掃除」に成功すると、もはや誰も批判するものはいなくなった。



じつは今大会、ノイアーは万全の状態ではなかった。

——ドイツ杯の決勝(5月17日)で転倒して右肩を痛め、一時は包帯で固定しなければならなかった。必死のリハビリによって開幕には間に合わせたが、完全には治っていなかった。にもかかわらず、アルゼンチンとの決勝戦でイグアインとのイーブンのボールに突進したように、少しも接触プレーを恐れることがなかった(Number誌)。

ノイアーは言う。「もちろんリスクがわるのはわかっている。少しでも恐かったら飛び出さないほうが身のためだ。それくらいギリギリの勝負なんだ。けれど、それでも僕は迷わない。『100%成功する』と思って飛び出すようにしている」



アルゼンチンに辛くも競り勝ったドイツ代表。大会期間中の失点はわずか3で、24年ぶりの優勝を果たす。その守護神ノイアーは当然のように、大会最優秀ゴールキーパーとして「ゴールデングローブ賞」に選ばれた。

岡田武史氏はW杯でのノイアーをベタ褒めする。「だって、すごかたでしょ? MVP(最優秀選手賞)はメッシだったけど、あれはおかしいと思った。絶句したよ。僕ならノイアーを選ぶなぁ」

——今ブラジル大会のノイアーの功績は、近代的ゴールキーパーの理想像を示したことにある。ペナルティエリア外に飛び出してカウンターを阻止したかと思えば、正確なキックでビルドアップに参加する。ノイアーのパス成功数は、メッシよりも2本多い244本だった(Number誌)。






■偽5番



W杯が終わってから1ヶ月後、ドイツの年間最優秀選手が発表された。選ばれたのはノイアーだ。

——ノイアーが「偽の5番」という新たなポジションを確立しつつあることが評価された。ドイツにおける5番は「リベロ」を意味する。「偽の5番」とは、リベロのような働きをするキーパーを指す(Number誌)。

かつてドイツの5番は、「皇帝」と呼ばれたベッケンバウアーが背負っていた番号だ。1974年のW杯、開催国であった西ドイツを優勝に導いたベッケンバウアー。「リベロ」というポジション(攻撃に参加するスイーパー)を確立した人物でもある。



ノイアーは手をつかうゴールキーパーでありながら、その足下の技術も充分に高い。ドイツ代表のチームメイトも「ノイアーならドイツリーグでフィールドプレーヤーとしても活躍できる」と太鼓判を押す。

——左右の足でボールを正確に扱うことができ、ロングキックの精度も抜群に高い。グアルディオラ監督の方針で、ノイアーはフィールドプレーヤーと同じメニューを行うことも多く、密集地帯のパス回しにも目が慣れており、相手に激しくプレスをかけられてもクリアせず、隙間にパスを通すこともできる。ノイアーは今や「ゴールスイーパー」。キーパー像の変更を迫る存在になっている(Number誌)。



キーパーとしてはドイツ伝説のカーンと並び賞され、フィールドプレーヤー(リベロ)としては皇帝ベッケンバウアーに比されるようになった「偽5番」ノイアー。

「カーンとベッケンバウアーのハイブリッドだ」と、ドイツでは讃えられている。



ドイツ伝説のゴールキーパー、カーンはこう苦笑する。

「ノイアーは史上最高のキーパーだ。あんな選手がでてきてしまうと、後に出てくるキーパーにとってはきついだろうね」






(了)






ソース:Number(ナンバー)859号 W杯後の世界。 (Spots Graphic Number)
マヌエル・ノイアー「GKの概念を超える男」
マヌエル・ノイアー「冷静と狂気の狭間で」



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