2012年12月10日月曜日

人のため、自分のために。松田丈志(競泳)


「康介さんを手ブラで帰すわけにはいかないね」

ロンドン五輪・競泳日本代表の「松田丈志(まつだ・たけし)」は、最終日のメドレーリレー前日の深夜、入江陵介にそう言った。

松田丈志、入江陵介、そして藤井拓郎は、最終日に「北島康介」とメドレーリレーを泳ぐことになっていた。



北島康介といえば「誰もが認める水泳界の伝説」だ。しかし、今回のオリンピックではまだメダルが一つもなかった。

前回(北京)、前々回(アテネ)と2大会連続の平泳ぎ2冠を達成した北島は、当然のように今回のロンドンでも金メダルを期待されていた。ところが、金どころかメダル自体を最終日まで獲ることができずにいた。



だからこそ、「康介さんを手ブラで帰らせるわけにはいかない」という想いが松田の口から出てきたのであった。

松田の知る北島は「最も強くて、最も輝いている」。尊敬もするし、感謝もする。「康介さんのようなスイマーになりたい」という想いで今まで競泳をやってきたのだ。

その北島にメダルがないなど、あり得ない。



何より、松田自身が「メダリストになれない惨めさ」を誰よりも痛感していた。

アテネ・オリンピックでメダルを獲れなかった松田は思い知っていた。メダリストか否かで「大会後の扱われ方」が雲泥の差となることを。

帰国した選手団はまず、空港でメダリストと「それ以外」に分けられる。そして、メダリストたちだけがリムジンバスに乗り込むことが許される。都内のホテルへと記者会見に臨むためだ。

メダリスト以外はといえば、その場で解散。各自が預けた荷物を受け取るとそれっきり…。



「メダリストにならずに帰国するあの惨めさを、まさか康介さんに味あわせる訳にはいかない…!」

松田は切にそう想っていた。



そして、最後の最後の最終日、北島と一緒に泳いだ松田・藤井・入江は「悲願のメダル」を手に入れることとなる(男子400mメドレーリレー・銀メダル)。それは日本競泳界にとってもメドレーリレー史上初のメダルともなった。

あまりにも興奮してしまった松田は、レース後のインタビューでつい口を滑らせてしまった。

「康介さんを手ブラで帰すわけにはいかなかった」と



このことは北島以外の3人の秘密のはずだった。

ところがが、喜びすぎた松田はつい言ってしまったのだ。



「ずるいよ、あれ」

レース後に北島は松田にそう言ったという。



北島が「ずるい」と言ったのは、どういう意味だったのか?

「オレのためだけじゃないだろ」という意味だったのか。

確かに200mバタフライで松田は「不本意な銅メダル」に終わっていた。狙っていた金メダルを逃しただけでなく、ずっと目標にしてきたアメリカのスーパースター、マイケル・フェルプスにも勝てなかった。ゴールは「手のひら一つの差」でしかなかった。



「どうして『もうひとかき』がかけなかったのか?」

松田は最後のタッチの瞬間を思い出しては、ベッドの中で悔しがるばかり。夜も眠れず、「もうプールに入りたくない」とすら思っていたという。

もし、最終日に北島とのメドレーリレーが控えていなかったら、「ぱたん」といってしまいそうだった。「康介さんのために」というのは本心ではあったのだが、それはギリギリで自分を支えるための「最後の理由」でもあった。

「メドレーがなかったら、荒れていたでしょうね」と松田は素直に認める。



結果的に、葛藤の渦に巻き込まれていた松田も北島もWinWinという最高の結果に終わった。

北島が「ずるい」と言ったとおり、松田ばかりを美化するわけにはいかない。

それでも、松田はこう語る。「メドレーで結果を出すことが自分のためだけだったら、僕はあんなに頑張ってなかったと思います。康介さんのために、と思えたから奮い立てたんです」。



いずれにしても、ロンドン五輪におけるメドレーリレーの銀メダルは、決して一人の力だけで成し得るものではなかった。

北島がいたから、松田がいたから、入江がいたから、藤井がいたからこそである。

「一人で戦っていると思うよりも、仲間と一緒に戦っていると思えたほうが、誰だって力を出し切れる」と松田は言う。



人のためでもあり、自分のためでもある。

4人が4人、救われたのだ。

そして、そんな4人の姿が日本中を感動させたのだ…!





ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 12/20号
「康介さんを手ブラで帰らせるわけにはいかない 松田丈志」

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