2013年2月1日金曜日

「50歳まで飛ぼうかな」。若いままの葛西紀明(スキージャンプ)



「あと10年はイケるんじゃないかな(笑)」

そう言って笑うのは、スキージャンプの「葛西紀明(かさい・のりあき)」。彼の年齢はすでに40歳。

「ここまで来たら、50歳まで行っちゃおうかな(笑)」



ジャンパーとして、葛西の芽が出たのは実に早かった。

まだ中学生がラージヒルの試合には出場できなかった1988年。まだ中学3年生だった葛西は、北海道・大倉山で開催された宮様スキー大会では「テストジャンパー」でしかなかった。

ところが、テストジャンパーとして中3の葛西が飛んだ飛距離は、「同じゲートから飛んだ青年組の優勝者を上回っていた」。なんと、この大会の「影の優勝者」はまだ中3の葛西紀明だったのである。



「日本の将来を背負う天才ジャンパー」

一躍注目された葛西は、翌89年の世界選手権に高校1年生で出場し、さらに翌シーズンからはワールドカップにも参戦。以来、世界のトップジャンパーとして、葛西は20年以上、第一線での活躍を続けている。

世界のトップジャンパーの多くが30代前半で引退する中、40歳になってなお飛び続ける葛西。そしてさらに彼は「あと10年はイケるかな」との余裕を見せているのである。



葛西の余裕はその「抜群の身体能力」から来る。

「この前、下にサウナスーツを着て25歳の竹内択とバドミントンをしたら、僕の方が動けて一度も負けなかったんです」と葛西は誇らしげだ。

「体力が衰えて『これじゃ世界と戦えないな』となれば別だけど、40歳になってもまだ若い選手に負けていません」と葛西。



近年、ジャンプスーツのサイズが小さくなり、空中で浮力を受けにくくなっている。その結果、身長も高くてパワーのある選手が活躍する傾向にある。たとえばシュリーレンツァウワーやモルゲンシュテルン(オーストリア)などだ。

そうした体力自慢の選手たちにすら、葛西は物怖じしない。「シュリーレンツァウワーやモルゲンシュテルンは、今の僕より少し上にいるけど、時間をかけて身体をいじめれば、彼らのレベルまでフィジカルをアップさせるのも可能だと思っています」と葛西。



自分の身体をいじめるのが大好きだという葛西。自宅にもウェイト・ルームが完備されている。

「海外から帰ってきて、時差で眠れない時なんかも『ちょっと身体をいじめようかな』と思ってやるし…。そういうところでは、僕が一番自主トレをやっていると思いますね」と葛西。



人一倍、体のことに気を配る葛西は、食事にも人一倍気を使う。

「食事に関しては、僕ほどストイックな選手はいないと思いますね」と葛西は話し始める。「お腹が空くのはイヤだけど、ジャンプのためとなるとキッと気持ちが切り替わるんです。だから減量では、3日間くらいは断食もしますね」

2006年のワールドカップでは体重が4〜5kgほどオーバーしていたという葛西。その時、コーチに「1kgにつき、2m損する」と言われ、断食を敢行したことがあった。

「断食してみたら、精神的にも研ぎ澄まされてきて、集中できて身体の調子も良くなったんです。だからそれ以来、精神修養だと思ってやるんですよ」と葛西。



彼はむしろ、体力ではなく「技術」だけで飛ぶ選手に反発を覚える。

「身体能力よりも技術の上手さで勝負しているシアン・アマン(オリンピック個人2冠)が勝って、ガッツポーズをしている姿が頭に思い浮かぶと、『チクショウ、負けるか!』となるんです(笑)」

かといって、葛西の技術が拙(つたな)いわけでは決してない。

「去年の夏に一度、ジャンプスーツの大きさが『体+0cm』になったことがありましたが(現在は+2cm)、その時、日本人選手の技術が元々良かったということを確認できたんです。みんなが同じ条件になった途端に、日本人選手が勝ったし、僕もそんなに調子が良いわけでもないのに表彰台に上がれたから」と葛西。



長野オリンピック以降、毎年ルール改正があり、過去10年間、日本勢は相当マテリアル(道具)でやられてきた。それは長野五輪も含む1990年代、日本勢が勝ちすぎたからでもあったのだろう。

「ダメな理由が分からないままだったら単純に『ドイツやオーストリアとは差があるな』と思うままで終わっていたけど、『ジャンプスーツの差なんだ。こいつらも大したことないんだ』と思えたから、それに気づけたのは収穫でしたね」と葛西。

ジャンプスーツを変えた途端、葛西の飛距離は5mも伸びて、トップとの差も縮まった。

「外国勢と同じくらいのレベルのスーツさえ作れれば、絶対に負けないですよ」と葛西は自信をのぞかせる。



40歳になった葛西が、次のソチ五輪への出場を果たせば、それは自身7度目のオリンピックとなり、日本人最多ともなる。

高校生で出たアルベールビル(1992)から、リレハンメル(1994)、長野(1998)、ソルトレイク(2002)、トリノ(2006)、バンクーバー(2010)と、葛西は6大会連続でオリンピックに出場している。

しかし、オリンピックでの金メダルはまだない。ワールドカップでは日本人最多の15勝を誇る葛西ではあるが…。



最も葛西が金メダルに近づいたのは長野五輪。

「あの頃の団体戦は、誰が出ても金メダルを獲れる状況でした」と葛西は振り返る。

葛西の言う通り、日本チームは長野五輪の団体戦で金メダルを獲った。しかし、葛西はそのメンバーから外れていた。



「その長野で金メダリストになれなかったのが、人生の中で一番ショックだったというか、一番悔しい思い出ですね」と、葛西は今でも悔しそうだ。

「今でもオリンピックが近づくと、必ずあの映像が流れて…」

長野オリンピック前に捻挫をしてしまった葛西は、自分に腹が立って仕方がなかった。

「『クソーーッ!』と思って…。でも、そう思うとモチベーションも上がるし、『絶対に金メダルを獲るまでやめられない!』って思うんです」と葛西は熱く語る。



オリンピックへ賭ける葛西の想いは、相当に強い。

膝の状態が思わしくない葛西は、膝の角度が90°くらいになると大腿骨と膝の皿が当たって痛みが出てしまう。そのため、着地で点数を伸ばすためのテレマーク姿勢が決まらずに減点されてしまう。

「ワールドカップでは優勝がかかっていても無理はしないけど、もしオリンピックで調子が良くて2本目にグワッと飛距離が出たら、膝が壊れてもいいからガッツリとテレマークを入れますよ」と葛西はオリンピックへの意気込みを語る。



「オリンピックでは悔しい思いばかりをしていたから…。それで、気がついたら6回も出ていたんです(笑)」と葛西は笑う。

「僕はジャンプ人生の中で8〜9割は負けているけど、勝った時の喜びは特別で、何度でも味わいたいから」

果たしてソチ五輪は、葛西にとって7回目の正直となるのか?



こんな仮定は失礼かもしれないが、今の葛西ならば、7回目がダメでもきっと前人未到の8回目へと突き進んでいきそうな気もする…。

あと10年あれば9回目も…(笑)。






ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 2/7号 [雑誌]
「あと10年はやれるかな 葛西紀明」

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