2013年1月30日水曜日

出産・育児とオリンピック。岡崎朋美(スピードスケート)



「これはソチに間に合う!」

妊娠が分かった瞬間、スピードスケートの「岡崎朋美(おかざき・ともみ)」はそう喜んだ。

「妊娠に2年以上かかっていたら、ソチ五輪は諦めていたかもしれないので、本当にありがたいタイミングでした」と岡崎は微笑む。



長野オリンピックで銅メダルに輝いた岡崎は、22歳で出たリレハンメル(1994)を皮切りに、今まで5度のオリンピック出場を果たしている。

前回のバンクーバー五輪の時の岡崎は、すでに39歳。さすがに「これで最後なんだ」と思っていた。そのバンクーバーは、その前のトリノでわずか100分の5秒差で逃したメダルの「リベンジ」を期した戦いでもあった。



「ところが、バンクーバーは不本意な成績で…」と岡崎はうつむく。

バンクーバーでの成績はリベンジどころか、500m16位、1,000m34位と、到底納得のいくものではなく、自身最悪の結果に終わってしまっていた…。

「本当に悔いの残るレースでした。力を余してのフィニッシュだったので、歯がゆくてしょうがなかったです…」と岡崎。



沈む岡崎を鼓舞したのは、18歳から入社している富士急の社長。

「次はソチ五輪だ!」と社長は岡崎を励ました。

当然、苦杯をなめた岡崎にも異論はなかった。ただ、年齢的に岡崎はまず「子ども」が欲しかった。「結婚した当初から、一人は子どもが欲しいねという話を主人としていました」と岡崎。



バンクーバー五輪後は、岡崎にとって激動の日々ではあったが、事はトントン拍子に運んでいき、2010年12月23日、めでたく娘の「杏珠(あんじゅ)ちゃん」が生まれた。

そして出産を終えた岡崎は今、自身6度目のオリンピックとなる来年のソチを射程に収めている。



スケート界で誰も成し遂げたことのない「母として臨むオリンピック」

「出産して五輪に出るという『誰も成し遂げていないこと』に挑戦したいという気持ちが強いのです」と岡崎は語る。



しかし、出産後の練習再開は大変だった。

「もう、最初は体がプヨプヨでしたね(笑)」と岡崎。

スケート選手として必要な筋力はほとんどなくなっており、58cmを誇った自慢の太ももも54cmまで細くなっていた。さらにはトレーニングと授乳の同時進行で激ヤセ。みるみる頬がこけていった。



しばらくして母乳をやめると、今度は激太り。54kgだった体重があっという間に64kgに。さらに悪いことには、以前は柔軟だった関節までがカチカチに。

「一番驚いたのは、足首がモノ凄く硬くなっていたことです。全然曲がらなかったので、これはマズイと思い、ストレッチを根気強くやりました」と岡崎。



大会に出るのも大変だ。

「北海道の大会なら、私の母にホテルに来てもらい、本州での大会なら、大阪に住んでいる義母に来てもらいます」と岡崎。

「娘はまだ2才児ですが、よくしゃべるんですよ。北海道にずっといると北海道弁をしゃべるようになるし、大阪の母と一緒なら大阪弁」。そう語る岡崎はじつに前向きだ。

「でも、海外の大会に出る時は一緒に連れていけないので、そこは娘にとっても私にとっても試練ですね」



現在、岡崎朋美は41歳。ソチ五輪の頃には42歳になっている。子どもがいるいないに関わらず、年齢そのものも大きな壁となる。

それでも岡崎は力強くこう語る、「年はとっているけど、気持ちの年齢は止まっていて、昔のままです(笑)」。

23年間にわたって富士急スケート部で岡崎を指導し続けている長田顧問も、こう語る、「岡崎を見ていると、子どもを生む前の真っ白な気持ちのまま、クリアな気持ちのまま、練習していますよ。そういう意味では、今も昔も変わらない」。



「子育てしながらの練習や試合は大変だと思いますが、愚痴は絶対に言いません」

夫の安武宏倫さんは、いつも明るく前向きな妻を誇りに思っている。「スケート選手としても、母親としても本当によくやっていると思いますよ。なかなか真似できる人はいないんじゃないでしょうか」。



「あのとき、神様は『まだやめるな』と言ってくれていたのかもしれません」。バンクーバーの屈辱を、今の岡崎は前向きにとらえている。

5度のオリンピックを経験してきた岡崎の身体には、それを経験してきた者だけがもつ「貫禄」が漂っており、その全身からはアスリートとしてのオーラが放たれている。

「氷の上に乗った瞬間から、いやが上にも見るものの目を引き寄せる」

彼女のレーシングスーツの左腕には「Anju」の文字。愛娘・杏珠の名が刻まれた勝負服だ。



彼女のホーム・リンクは大型遊園地・富士急ハイランドから道路一本を隔てた場所にある。

神々しくそびえ立つ富士山に見下された富士急スケート部のリンクは、遊園地の絶叫と歓声からは一転、静けさに包まれている。

練習の始まりと終わりに、岡崎はそのリンクに必ず一礼をする。それは18歳で入社して23年間、一切変わらぬ姿でもある。



「自分にはどれくらいの可能性があるのだろうと、純粋にそれを知りたいと思って」

富士急に入社したばかりの18歳の岡崎は、インターハイの最高順位が4位と、決して目立つような選手ではなかった。「高校の頃の私は、スケートが本当に下手でした」と岡崎。

18歳の頃の純粋さ、そして透明感は、すっかりベテランとなった今の岡崎にも変わることがない。



ただ、今の彼女のかたわらには夫がおり、なによりも杏珠ちゃんがいる。

長野オリンピックでつかんだメダルから15年、母になった岡崎朋美に迷いはない。その道はソチへの一直線。

「ママが観客席とは違う場所にいるということを(娘に)味わわせてあげたい。ママがリンクから手を振っている姿を見せてあげたいんです」

そう言って微笑む彼女の笑顔もまた、変わるところがない。






ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 2/7号 [雑誌]
「ソチのリンクから娘に手を振りたい 岡崎朋美」

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