2013年11月14日木曜日
跳ねるように歩くマキロイ [ゴルフ]
10代の頃から、ポスト・タイガーウッズとして期待されてきた「ローリー・マキロイ」。昨年は世界の頂点にたち、新時代の幕開けを予感させた。
ーー2012年、メジャーの全米プロで2位と8打差という大会記録をうちたて、米ツアーと欧州ツアーの両方で賞金王に輝いた(Number誌)。
彼のトレードマークは、その独特の歩き方。
ーーマキロイはいつも跳ねるように歩く。あふれる才能と若さが体内でパチパチ弾けあっているようで、何よりゴルフが楽しそうに見える(Number誌)。
ところが今年は一転、マキロイは不調に苦しんでいた。
ーー誰もが新時代の到来を予期して迎えた2013年。しかしフタを開けてみれば、上下に体を弾ませるマキロイの”バウンス”はすっかり消え失せていた(Number誌)。
最高位はテキサス・オープンの2位。メジャーどころか米ツアーでも1勝もあげられなかった。トップ10すら5回と前年から半減。
「シーズンがはじまった頃には、”悪いクセ”が顔をのぞかせていたんだ」
マキロイは言う。
「具体的には、テークバックでクラブがアウトサイドに上がりすぎて、下りてくるときにインサイドになっていた。それを直そうと思っていたのに、今度は直しすぎてテークバックがインサイドから上がるようになった」
スイングの修正をいったりきたりしているうちに、マキロイは世界ランキング1位の座から滑り落ち、自らのゴルフを「まったく馬鹿なゴルフ」と言い捨てた。
「スイングの修正というのは練習場でやるべきことで、コースではそういうのを忘れてスコアを出すことに集中しないといけないのに…」
すっかり舞台の隅っこに追いやられてしまったマキロイ。
ーー心地よくフェアウェーを飛び跳ねていた両足は、重りがついたかのようにラフに沈み、さえない足取りから抜け出せずにシーズンを終えてしまった(Number誌)。
一方、取って代わるはずだったタイガー・ウッズは完全復活。賞金王に輝いた。
苦悩のシーズンを終えたマキロイ。
ーーそんな時の彼には、いいショットが打てたときに地道に書き留めているスイング・ノートがある。不振の最中にはそのメモから必死にヒントを探すこともあった(Number誌)。
そして好調時の映像を見返していたとき、彼は気づいた。
”あの弾むような足取り”を失っていたことを。
「とくに意図的に歩き方を変えたつもりはなかった。でも、違っていた」
「たくさんバーディをとっている時なら、そういう歩き方をしたり、前向きな気持ちをキープするのは難しくない。調子が良ければそういう歩き方になるんだろうけど、調子の悪いときでも同じように振る舞うべきなんだと思う。少しでも”バウンス”を入れることで、ポジティブなエネルギーが戻ってくるんだから」
ーーゴルフではボギーの直後にバーディーを取り返すことを「バウンス・バック」という。不振の1年を過ごしたマキロイ、来年はバウンス・バックできるのか?(Number誌)
「もちろん、できる」
マキロイは力強くうなずいた。
そして、跳ねるような足取りでフェアウェーへと向かっていった。
(了)
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 11/14号 [雑誌]
「バウンス・ステップをもう一度 ローリー・マキロイ」
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2013年11月9日土曜日
移民に南北問題、そしてサッカー [ベルギー]
「ミスター、ミスター! あんた、鳥のフンがついてるよ!」
ベルギーの首都、ブリュッセルの駅前での光景。その声に振り返れば、”北アフリカ系の怪しい男”が立っている。
ーー彼らは旅行者の後ろから”白いペンキ(実際にそれは鳥のフンによく似ている)”を振りかけ、相手が驚いて立ち止まると、親切にもその汚れを拭くふりをして、ポケットの中の財布をすったり、もっと悪質な場合は、物陰からわらわらと男の仲間が出てきて、荷物をかっぱられることになる(近藤篤)。
このベルギーという国には、アフリカ、アジア、さまざまな国からの移民たちが暮らす。ヨーロッパの国では、上述のような移民による事件が頻発しはじめると、必ず「移民排斥」というスローガンが高らかに掲げられる。
もちろんベルギーでもそうだ。しかし、こと”サッカー代表”となると話はまったく変わる。
ーー駅前の悪い奴はなんとかしてほしいけど、ベルギー人はむしろ移民問題に感謝しなければならないかもしれない(近藤篤)。
「どうやら最近、ベルギー代表がかなり強いらしい」
わずかこの1年間で、サッカー・ベルギー代表は世界ランクを40位から5位まで、一気に35カ国もゴボウ抜きにした。
ーーもうこれはほとんど漫画の世界だ(近藤篤)。
その圧倒的な強さを支えるのが、多種多様な移民選手たちである。
ーーピッチ上に代表の面々が勢ぞろいする。こうして眺めてみると、改めてこのベルギーチームのもつ多様性に目を奪われる。屈強でパワフルな選手、小柄で巧みな選手、コンゴ系、モロッコ系、生粋のベルギー系、スピード系、パワー系、テクニック系…。平均年齢もかなり若い(近藤篤)。
過去を振り返れば、ベルギー代表は2002年の日韓W杯を境に
「この国のサッカーは一気に駄目になった」と、地元記者のルディは顔をしかめる。それ以来、W杯出場が当たり前ではなくなっていた。
「原因は世代交代の失敗、それに尽きると思います。この11年間、まぁきつかったですよ。今日は何点とられて負けるのだろう、と考えながらスタジアムに向かっていたのですから」
ではなぜ、ベルギー代表はここにきて、一気に強さを増したのか?
「あのさ、昨日あんた、いまのベルギー代表の選手のそろい方は奇跡的だとか言ってただろ。オレもその通りだと思うんだよ。あんなメンツはさ、育てようと思って育てられるわけないさ」
町のイタリア料理店で働くアンドレアは、そう話す。これだけの代表が集まったのは”神様の贈りもの”だ、と。
一方、サッカー協会は協会で、ちゃんと若手の育成をやってきた成果だと口にする。
「協会が若手の育成について本腰を入れはじめたのは、1990年代半ば。特徴ですか? 12歳まではひたすらドリブルをさせることですかね。ドリブルが上手くなれば、ボールを持っていても余裕ができるし、余裕ができれば周りを見ることができ、見ることができれば良いパスも出せますから」
いずれにせよ、いまのベルギー代表は強い。
激戦のW杯欧州予選、グループAをベルギーは首位通過。
ーーこのベルギー代表には期待したい。これまでのベルギー代表は”赤い悪魔”と呼ぶには若干怖さが足りなかったが、この代表はとんでもなく怖い”本物の赤い悪魔”になれるかもしれない(近藤篤)。
「ひとつさ、あんたが知っておいた方がいいと思うことがあるんだよ」
イタリア料理屋のアンドレアは、話しだす。
「最近、代表チームのことでこの国には”ちょっと奇妙なこと”が起こってんだ。あんたも知ってるだろうけど、この国は面倒くさい国なんだ。北と南はほんとに仲が悪いんだよ。全然仲良くなろうとしないんだ。だけど、この代表が勝つようになってから、なんていうのかな、ナショナリズムっていえばいいのか、どっち側の人間も『ベルギー人は…』みたいな話をするようになったんだ。これって、今までにはちょっとなかった妙な空気なんだ。あのベルギー人が、あの北と南の人間がお互いにサッカー通じてまとまってるって、すごいなぁって思うんだ」
アンドレアが”面倒くさい国”というベルギー。
その歴史的経緯から、北と南では話す言葉も異なる。北部のフランドル地方はでは”オランダ語に似たフラマン語”を話し、南部のワロン地方では”フランス語”を話す。もし北と南のベルギー人同士が話をするときには「彼らはあるときはフランス語で話し、あるときはフラマン語で話し、またあるときは英語で話す(近藤篤)」
いずれせよ、両者は絶対に「自分たちの言語を放棄しようとはしない」。
ーーつまりこの国では、2つの言語がいつまでも並行して使われ、2つの価値観がぶつかりながら存在してゆくことになる。そして当然のことだが、北と南は経済面も含めたさまざまな違いや差があり、ことあるごとに問題が表面化する(近藤篤)。
「北と南の人間は仲が悪いって本当?」
「政治になると、とくに仲が悪くなるね」
2010年の総選挙の際には、北と南の政党間で連立交渉が難航に難航をかさね、ついには541日間も正式な政権が存在しないという、およそ考えられない事態にまで陥っている。
ーー2時間の急行列車で北から南に移動すると、北と南にはものすごく大きな違いがあることを体感する。たとえば、北では普通に通じていた英語は、南に来るとほぼ通じなくなる。ゴミ一つ落ちていない歩道が、犬のウンチだらけになる。北ではほとんど冗談を言わなかったベルギー人が、南に来るとやたら冗談を言う。カメラを向けるとすぐにポーズをとってくれるのがベルギー南部、照れるのが北部である(近藤篤)。
そんな犬猿の両者がサッカーとなると、北も南もない「ベルギー人」になるという。
そのベルギーで活躍する日本人選手がいる。
川島永嗣(かわしま・えいじ)30歳
日本代表の正ゴールキーパー
彼は言う、「ベルギーでは、GK(ゴールキーパー)に対する視線は厳しいですよ。たとえば日本では、まずミスをしないことが求められますから、ボールをキャッチすることよりも”はじき出すこと”を優先することがあります。そんな場面でも、ベルギーでは途端に言われます。『ちゃんと捕れ!』って。すぐに違うGKの名前とかコールしはじめますし(笑)」
「ベルギー代表ですか? いまではすっかりいいチームになりましたよね。僕が感じるのは、この代表チームはなんだか”ベルギーらしいなぁ”ってことです。北の人間の真面目さと、南の人間の陽気さ、そういうものがうまく融合しているような印象を受けます。この国には、自分はベルギーが好きだ、とか言う人はあんまりいないですけど、この代表なら外に向かって誇ることができる。だから、みんな嬉しいんじゃないですかね」
世界ランクを急上昇させたベルギー代表。
その実態はじつはまだよくわからない。
ーーその理由を探しに訪れた地で見つけたのは、サッカーをめぐって織りなされる”稀有でハッピーな光景”だった(近藤篤)。
(了)
近藤篤「サッカーと僕たちの幸福な関係 ベルギー」
2013年11月7日木曜日
流れのなかで、自然から力を”借りてくる” [桜井章一]
話:桜井章一
カラダというものは、環境が絶え間なく変化する流れの中にあるものゆえ、その動きもまた同じように流れているのが自然である。ところが現代人は皆、流れるようにカラダを動かすことをしていない。”していない”というよりも、”できない”というほうが正しい。
動きが流れているとき、カラダには力が入っていない。ところが、目的意識をもって「ああしよう」「こうしよう」というときにはカラダに力が入り、動きは流れなくなる。思考することがクセになっている現代人は、カラダの動きより意識が先立ってしまい、どうしても流れるような動きができない。
カラダに流れをつくり、自然な動きをするにはどうすればいいか?
たとえば、こんな簡単な実験をしてみるといい。
立った状態で目の前の床に何かモノを置く。それを目標物として目でしっかり捉えながら、前かがみになり腕を伸ばしてつかみにいく。そして今度は、同様に立った状態から床の上のモノをちらっと見たあと”視線を外し”、モノのあるあたりを感覚に収めながら、同様に前かがみになって取る。
やってみると分かるのだが、カラダの動きは明らかに違う。前者は硬くて重いが、後者の動きは流れている。前者のように、”つかもう”といった「〜しよう」という目的意識をもつと、カラダの動きは途端に流れなくなってしまう。後者の場合は、目標物への視線を外すことで、流れをそこでつくっているのである。
このことは、”つかもう”ではなく、”さわりにいく”という感覚に置き換えてもいい。
たとえばプロの野球選手は、守備で飛んでくるボールに対して「つかみにいく」という意識でやっていないはずだ。むしろ「さわりにいく」という感覚に近いとおもう。「つかみにいこう」という意識だとボールはうまく捕れない。「さわりにいく」という感覚だと、カラダが流れる動きになってボールの流れとピタッと重なる。
全体が流れている中で動くカラダは、やはり流れていないといけない。
ものごとは流れの中で力を抜いて始末する。力が抜けてカラダが流れる動きになると、硬い動きのときに出来なかったことが出来る。”力を抜く”ということは力が入っていない状態だが、これは何に対しても”〜しよう”という思考のクセをもっている人にとっては難しい。だから力を抜こうと思うのでなく、”身体の動きを流れにする”という感覚をもったほうがカラダは素直になるかもしれない。
カラダが素直になる、正直になるということが、カラダの最も自然な状態なのである。流れの中で力を抜いたカラダというのは、常識では測れない力を秘めている。なぜならそれは、”自然から借りてきた力”に他ならないからだ。
引用:桜井章一『体を整える 』
2013年11月1日金曜日
”すべて”を変えた浅田真央。すべてを賭けて [フィギュア]
バンクーバー五輪(2010)
銀メダルをとった浅田真央(あさだ・まお)に、松岡修造は訊ねた。
「これから何を変えたいですか?」
彼女は即答
「”すべて”です」
19歳だった彼女は、銀メダルに悔し涙をながした。
松岡は言う
「じつは真央さんほど応援していて緊張する選手はいない。彼女の心がそのまま観ている僕たちにも伝わってくるからです。とくにトリプル・アクセルにむけて助走する数秒は”最も力が入る瞬間”。ぼく自身も緊張と興奮のはざまにいる。失敗したときには残念というよりも、真央さんの悲しむ表情を見ることのほうがツラくなる…」
——素直でまっすぐ、そして言い訳をしない。
リンクにはいつも誰よりも早く立ち、最後まで滑り続ける。日々、繰り返しの練習。トリプル・アクセルも転んでは立ちあがり、コーチから止められるまで決して諦めようとしない(Number誌)。
今季、浅田真央はソチ五輪(2014)を”自らの集大成”とすることに決めている。じつは昨季、彼女の口から「スケートをやめようと思った」とこぼれていた。
松岡は言う、「一瞬、ぼくは言葉を失った。真央さんがそこまで追い詰められていたのか、と。彼女だったらどんなことでも乗り切ってくれるだろう、と安易に考えていた自分が後ろめたくなった」
はじめてスケートと距離を置く時期をすごした浅田真央。
昨季の戦績は6勝5敗と圧巻だった。それでも彼女に会心の笑みはなかった。
「自分の演技がまだまだだったので…」
バンクーバー五輪のあと、”すべて”を変えたいと願った彼女は、コーチ佐藤信夫のもと、スケーティング、ジャンプ、ステップのすべてで”新たな浅田真央”をつくりあげた。
今季の幕開けを前に、その”新しい”彼女の言葉は力強かった。
「いまは自分の目指している演技に近づけているとすごく感じています。良いシーズンになると思います」
その言葉を象徴した、今季GP(グランプリ)シリーズ開幕戦。スケートアメリカ。
——去年までとは、まるで別人だった。ジャンプや滑りだけではない、ちょっとした表情や仕草までが違うのだ(Number誌)。
ショート・プログラムは、トリプル・アクセルでわずかに両足着氷とはなったものの、ほかスピンやステップはすべて最高のレベル4。71.18点で余裕の首位発進。
浅田は言っていた、「初戦から”トリプル・アクセルに挑戦できる状態”なのが、これまでと違います。今季は練習でしっかり跳べているので、そのまま試合で出せばいいと感じています」
コーチの佐藤は「彼女は大人になった」と言う。
じつはコーチに就いた当初、佐藤は「まだ20歳の女の子。つかみどころがなく、会話することさえ難しい」と述懐していた。
佐藤は言う、「以前は”赤ちゃんがただ泣いているような感じ”で、何が欲しいのか僕が想像しなければならなかった。だが今は、彼女は自分で意思表示できる。ぼくも明確に指摘できるので、練習がぽんぽんと進むようになりました」
”大人”になった浅田は言う、「先生の目指すものが、ようやく身体に染み込んできたな、と感じています」
首位でむかえたフリーの演技
浅田は冒頭のトリプル・アクセルで転倒した。
その失敗をうけ、彼女は「3回転+3回転」などの大技を、その後すべて回避。無茶なジャンプを跳ばずに演技をまとめ、自己ベストまで約1点と迫る総合204.55点で優勝を飾った(GP12勝目・日本最多記録を更新)。
勝った浅田は、こう振り返る。「リスクを背負ってまで3+3をやらなくても良いと思って、とっさの判断で3+2にしました。後半も転倒の疲れで力が入らなかったので(3回転の回避を)判断しました」
そうした的確な判断は、佐藤コーチに言わせれば「スケートの定石」である。だが、今季好調の浅田に彼は”さらなる高み”を求める。
佐藤は言う、「去年は”ジャンプの調子をみて今日は無理と思えば止めなさい”と言っていました。でも今はいい感じで仕上がっています。作戦など考えず、途中でミスがあっても”攻めの気持ち”で強引にやらせる時期になりました。トリプル・アクセルも3+3もどんどん挑戦させてやりたいです」
浅田はそれにこう応える。「判断できたのは”成長”とも感じます。でも、判断した余裕があるとも、力不足とも思います。転倒してリズムが崩れて『もう失敗したくない』という気持ちが出てしまいました」
——作戦は「攻め」へと切り替える段階だというのだ。2人は一足飛びで階段を駆け上がっていくかのようだ(Number誌)。
松岡修造は、浅田真央をこう評する。
「何があっても上を向いて歩んでいく、一生懸命すすんでいく姿を愛さずにはいられない。それほどまでに”想いを共有できる選手”なのだ」
松岡は浅田に訊ねる、「集大成となるソチ・オリンピックでの、演技のこだわりは?」
彼女は間髪いれず
「”すべて”です!」
そう即答した。
——スケート人生を賭けた戦いがはじまった。
いままででイチバン強い浅田真央を、今まででイチバン応援したい(松岡修造)
(了)
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 11/14号 [雑誌]
「浅田真央の人生をかけた舞台の幕があがるとき 松岡修造」
「ソチ五輪まであと100日 浅田真央」
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