2013年4月29日月曜日

辞めるのを辞めた「木村沙織(バレー)」。トルコにて



「すいませーん」

と、日本語でウェイトレスを呼ぶ「木村沙織(きむら・さおり)」。ここは彼女の移籍先、トルコだ。

「チャイ、イキ。ホット・チョコレート、イキ。プリーズ」

木村は半年がたった今でも、トルコ語がチンプンカンプンだと笑う。



数分後に戻ってきたウェイトレスのお盆の上には、紅茶とホット・チョコレートが2つずつ。

「あ、間違えちゃった。『イキ(2つ)』じゃなくて、『ビル(1つ)』だった」と木村。

笑いながら、木村は紅茶とホット・チョコレートを交互に口に運ぶ。



ロンドン・オリンピック、女子バレー28年ぶりの銅メダルから、およそ半年。

日本の絶対的エース木村沙織は、億という単位で、トルコ・リーグの「ワクフバンク」に籍を移していた。

ワクフバンクは2011年、トルコ勢として初めてヨーロッパ王者となった強豪チーム。トルコは2002年から急激な経済成長を続けている新興国であり、同国のバレーボール・リーグ(トルコ・リーグ)も潤沢な資金にあふれていた。



「試合中もメンバーを見ながら『世界選抜みたいだなぁ』と、思わず見とれちゃうんです」

そう木村が言うように、ワクフバンクには各国の代表選手たちがズラリと顔を並べる(監督はドイツ代表監督のジョバンニ・クィディッチ。ポーランドのエース、グリンカ。ドイツの主将、フュルスト。セルビアのエース、ブラコチェビッチなどなど)。

ワクフバンクは潤沢な資金を武器に、世界各国から惜しげもなくトップ選手たちを集めまくっている。その綺羅星たちの中にあっては、日本の木村沙織といえども少々色褪せざるをえない。



10月の開幕当初は、木村もスタメンで出場する機会があった。だが、その回数は徐々に減っていく。

「リーグ中盤からは、グリンカが後衛に回った際にピンチサーバーで入り、そのまま3ローテ、守りを固めるのが木村の役割になった(Number誌)」

木村が先発から外れた理由を「コミュニケーションを含めた、攻撃面が課題だった」と、川北元コーチ(ワクフバンク)は説く。



日本よりも、遥かに高さを上回るブロック。

目の前にそびえ立つような壁を攻略するには、よぼどに精密で精度の高いスパイクを打たなければならない。しかし不幸にも、木村はセッター(ナズ・アイデミル)とのコンビがなかなか合わなかった。

「どんなトスでも全部OKみたいな感じで、最初のうちは『もっとこうしたい』とか全く言わなかったんです」と木村は言う。「だからナズも、どんなトスを上げていいか分からない」



まさか、日本の絶対エースがワンポイントのみの出場にとどまるとは…。

それでも、「木村は、チーム内のサーバーで最もブレイクポイント率が高い」と川北コーチは言う。

ワクフバンクのクィディッチ監督も「彼女は並外れている。必要とする仕事をしてくれた」と称賛する。



どうやら、木村は一年目としては「十分合格点」。監督らの期待は来季以降ということだった。

ところが、そんな監督らの意を知ってか知らずか、木村は突然「辞める」と口にした。それは今年1月のことだった。



「トルコ・リーグを終え、2013年度の全日本での活動を終えたら、バレーボールを辞める」

木村は、母と親しい友人だけに、そう告げていた。

親しい人々ほど、木村の性分を知っている。彼女は本当に決意した時にしか人に話さない。だから、「辞める」と決めた木村は「辞めるのを辞める」とは言わないだろうと直感していた。つまり、木村に二言はないだろう、と。



「辞める」と木村から打ち明けられた全日本の眞鍋監督。

「はぁ?」

絶句した。木村はまだ27歳。次のリオデジャネイロ五輪を目指す上で、木村は日本代表に欠かせない戦力。木村はまだまだ絶対的なエースであり、木村がダメならチームも負けるほどの存在だ。

ただただ驚く眞鍋監督。それでも、木村の決意は恐ろしく固いように思われた。



ところが、眞鍋監督と会って数日後

「考えて、考えて、辞めるのを辞めました」と木村は急反転。

「今まで作り上げてきたものを、またゼロにしたくないから。銅メダルを獲って、その位置から日本のバレーがちゃんと上に行けるように」、木村はそう言った。



なにゆえの急反転か。海外での経験は、それほどに木村の芯を揺さぶっていたのであろうか。

「試合に出られなかったり、もがいたり」、それは木村にとって初めての体験だった。

そんな揺さぶりにあって初めて、彼女は「もっと欲を出さなきゃ」、「自分の殻を破りたい」という思いがムクムクと湧いてきたのだという。



今年3月、木村の所属するワクフバンクは、2年ぶりのヨーロッパ王者に輝いた。

木村は決勝でも、全セットの終盤に投入され、連続得点の契機をつくった。

チャンピオンズ・リーグの表彰式、木村は金色の紙吹雪が舞う中で、一番高い場所に立っていた。



「お母さんとカフェを開く夢もあるけど、それはまだ先かな」

変わらぬ笑顔のまま、木村の心は一段と強さを増していたようだった。



アテネ、北京、ロンドンと今まで3回オリンピックの舞台に立ってきた木村沙織。

彼女は「海外での結果を日本に持って帰らなきゃいけない」と意を決している。

そしてその結果は、きっとリオデジャネイロにも繋がるものとなるのだろう…!








(了)






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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 5/9号 [雑誌]
「今年でバレーを辞めるつもりでした 木村沙織」

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