2014年9月21日日曜日
錦織圭の進化と新コーチ [テニス全米オープン]
グランドスラム大会(四大大会)の一つ、テニス全米オープンで「日本人初のファイナリスト」となった錦織圭(にしこり・けい)。
だが、大会前に何かが起こるという予兆はまったくなかった。というより、錦織は「出場さえ危ぶまれていた」のである。
開幕3日前の記者会見の席で、錦織は出場への懸念を口にしていた。
「(出場は)当日にならないとわからない」
——8月上旬に右足親指の付け根にできた嚢胞(のうほう)を取り除く手術をうけ、実践形式の練習をはじめたのは、1回戦のわずか2日前だった(Number誌)。
会見での錦織の弱い言葉を聞きつけた「マイケル・チャン」。今年からスペシャルコーチとして「Team KEI」に加わっていた彼は、錦織を厳しく叱責したという。
——中尾公一トレーナーによると、抜糸も済んで完治しているとの判断で、錦織と彼のチームは出場に向けて動いていた。そこで本人が出場に慎重な姿勢を見せるのは、中尾トレーナーによれば「(負けた時の)言い訳をつくっている」ことになる(Number誌)。
同じように故障明けで出場した全仏オープン、錦織はケガの再発を懸念してか無難なプレーに終始し、1回戦で敗退していた。
——温厚な中尾トレーナーが「言い訳」という厳しい言葉を使うのは、チーム全員が「全仏の失敗を繰り返してはならない」という、断固たる姿勢で一致していたからだろう(Number誌)。
■マイケル・チャン
チーム錦織にそうした「厳しさ」を持ち込んだのは、今季からツアーに帯同しているスペシャルコーチ、マイケル・チャンだという。彼は錦織が生まれた平成元年(1989)、全仏オープンで優勝したアメリカ人だ。
現役時代のマイケル・チャンを知る松岡修造はこう語る。「チャンは1989年、17歳で全仏オープンを制覇し、世界ランク2位まで上り詰めた。僕も現役時代、3度対戦したことがある。このとき、彼の強さとして実感したのは、チャンの『絶対にできる!』という強靭なメンタルだ」
——現役時代、強靭な精神力で知られたチャン・コーチは、錦織が勝負強い選手であり、人並み外れた集中力の持ち主であることを承知しながら、ゲームの集中の仕方や気合いの入れ方を説いてきた(Number誌)。
近年顕著になってきたのが、コーチとして活躍する「かつての名選手たち」。
2013ウィンブルドンで優勝したアンディ・マリー(イギリス)のコーチはイワン・レンドル(だが今年3月に契約解消)。世界ランク1位のジョコビッチ(セルビア)のコーチはボリス・ベッカー。そして錦織のコーチとなったのがマイケル・チャンである。この3人はいずれもテニス四大大会(グランドスラム)優勝経験者である。
——近年、テニスの世界では「チーム」として戦う仕組みが確立されており、かつての名選手がコーチ業に入り成功を収めている。それは対戦相手の分析能力もさることながら、「王者としてのメンタリティ」をダイレクトに伝えられることが大きい(Number誌)。
松岡修造は言う。「圭の快進撃を支えた要因、それはマイケルにあって、圭になかったもの。メンタルだ。現役時代のマイケルは、崖っぷちに立たされてからのメンタルの強さ、あきらめない心を持っていた選手だった。言葉にすれば簡単に聞こえてしまうが、このことを教えられる指導者はそうはいない。これまで圭に欠けていた大きなピースが、マイケルによって埋められたのだ」
今季、マイケル・チャンは家族をともなって錦織のツアーに帯同している。コーチに就任したのは「錦織に共感したからだ」と話している。
■快進撃
全米オープンの開幕前日、錦織のブログはいつになく「強い調子」で記されていた。
「一つの試練だと思って戦い抜きます」
1回戦、地元アメリカの「ウェイン・オデスニック」。
錦織は大会直前の手術の影響を微塵もみせず、危なげなくストレートで下した。
——錦織は「よく集中して1ポイント目から良い感覚がえられた」と振り返ったように、一方的な内容となった。難関と思われたスタートは、うまく乗り切った(Number誌)。
2回戦の「パブロ・アンドゥハル(スペイン)」は途中棄権。3回戦の「レオナルド・マイエル(アルゼンチン)」も下すと、錦織は6年ぶりとなる全米ベスト16へと駒をすすめた。
4回戦はフルセットまでもつれる激闘となった。
——ラオニッチ(カナダ)とは午前2時26分までかかる「未明の死闘」となった。セットカウント 1-2 と先行を許し、第4セットも劣勢となった。だが終盤に「勝負強さ」を見せた錦織、2-2 に追いついた。4時間19分を費やす熱戦は、最後の最後に錦織に凱歌があがった(Number誌)。
試合後の会見、錦織の言葉は皆を驚かせた。
「勝てない相手はもういないと思うので、できるだけ上を向いてやりたいですね」
——「勝てない相手はもういない」。それまで達成可能な目標だけを口に出してきた錦織が、なぜ似合わない大風呂敷を広げるのか。チャン・コーチの言葉の口移しだろうか。精神力を武器に17歳で四大大会の全仏を制したチャン・コーチなら、必ずそう言っただろう(Number誌)。
準々決勝、全豪オープン覇者の「スタン・ワウリンカ(スイス)」に挑んだ。
——試合時間4時間15分、2試合連続の「マラソン・マッチ」となった。セットの序盤、中盤のサービスゲームで計3度、相手にブレークポイントを握られるなど、明らかに劣勢だった。錦織のエネルギーは残量わずかと見えた。それでも死んではいなかった。錦織の 5−4 からワウリンカがダブルフォールトがらみでサービスゲームを落としたのは、明らかに自滅だった。疲労がピークに達しても攻撃の手を緩めない錦織に、世界4位が怖じ気づいたようにも見えた(Number誌)。
メンタルの成長を強くアピールした錦織、「あきらめずに最後まで戦えた」と試合後に胸をはった。
——4時間以上の試合を勝ち続け、海外で錦織は「マラソン・マン」と称されるようになった。全米オープンでは5セット、4時間以上の激闘を2試合立て続けにモノにし、5セットマッチで歴代1位の勝率をあげた(Number誌)。
「どうして圭は、いつもボールのポジションにいるのだろう?」
全米オープンでの錦織の戦いを見て、松岡修造には疑問がわいていた。そして何度も何度も試合を見返して、ようやくその疑問が解けたという。
「いままで以上にボールを打てる位置につくのが速いのだ。圭は忍者のごとくコートを駆け回った。驚くことに相手が打つ前にすでに次の場所に移動している。ジュニアの頃、圭の身体能力は飛び抜けて高かったわけではない。むしろ他の選手よりも劣っているくらいだった。ただ、いったんコートに入ると動きが速く見える。『ずば抜けた予測力』が、圭ならではの動きを可能にしていたのだ。そして、その予測力がマイケル・チャンによってさらに進化した。現役時代にマイケル・チャンと対戦していた時、僕はマイケルの打つボールを恐怖に感じたことはなかった。しかし、決めきれない。いくらチャンスボールを攻撃しても、僕が打つところに必ずマイケルがいた。彼の小さな体がどんどん大きく見えていったものだ。元来予測力のある圭に、マイケルの予測能力が注入され、圭の予測力は信じられないほど増幅したのだ」
■準決勝
ついにベスト4にまで駒をすすめた錦織。
準決勝の相手は、世界ランク1位の「ジョコビッチ(セルビア)」。
——圧巻は第3セットのタイブレークだ。あのジョコビッチが凡ミスを連発した。試合を左右する攻防での腰砕け。真綿で首を絞められるような神経戦に嫌気がさしたのか、ジョコビッチは錦織の精神的な強さにひれ伏した(Number誌)。
「KEI(圭)は称賛に値する」と王者ジョコビッチは脱帽した。
——「メンタル・モンスター」。今季、複数の海外メディアが錦織の勝負強さに捧げた形容が、この時ほど腑に落ちたことはない(Number誌)。
さらにこの一戦、錦織は「フィジカル面の強靭さ」も披露した。
——猛暑がもどったニューヨーク、コート上では35℃を記録。へばりを見せたのはジョコビッチだった。4時間超の5セットマッチを2試合こなして勝ち進んだ錦織のほうが、涼しい顔で2時間52分を戦い抜いた(Number誌)。
試合後の会見、錦織は言った。「もちろん疲れはありましたが、彼(ジョコビッチ)の方が疲れているように見えました。体力面でこんなに強くなっているんだと改めて実感しました」
さらに錦織が「正直、自分でも『おかしいんじゃないか』というくらい」と言うと、取材陣は笑いに包まれた。
松岡修造は言う。「圭の進化を感じたことがある。対戦相手を見ていると、決して追い込まれている場面ではないのに、圭のショットに押されていたり、ミスを誘発させられるシーンが多々あった。僕自身が圭の対戦相手になった想定で試合を観ていたら、その答えが見つかった。圭の打っているボールが『重く強い』からだ、と」
錦織はこう言っている。「マイケルからはフットワークについて繰り返し指導されています。一番は前後の動き。ベースラインから前に入るだけでも、相手のタイミングをずらして一歩早いタイミングで打つことによって、同じ球の速さでもコースが良ければウィナーになる。深い球のときはしっかりと下がって、横着にならないようフットワークを使って打つ。練習は大変ですが、実際にやってみて球の重さや深さが以前と比べてまったく変わってきている」
とにかく脚をつかって、一球一球、重いボールを打つことを心がけていたのだという。
■決勝
グランドスラム(四大大会)
日本人初の「ファイナリスト(決勝進出者)」となった錦織圭。
だが「マリン・チリッチ(クロアチア)」との決勝戦、錦織自身「ずっと迷走している感じだった」と振り返ったように、まさかのストレート負けを喫した。
「相手がチリッチで、まぁ得意じゃないですけど、何回も勝ってる相手で(対戦成績5勝2敗)、より考えることが増えたと思いますし、『勝てる』っていうのが少し見えたのもあまりよくなかった」
終止符がうたれた快進撃。表彰式では茫然自失といった表情だった。
その時のことを松岡修造は、こう振り返る。
「11歳の圭に初めて会った日から、この時が来ることを確信していた僕にとっては、驚きというよりも『よくぞやってくれた』という感謝の気持ちが強かった。圭はすべてを出した。表彰式前に頭からタオルを掛け、うなだれている圭を見て、僕はこう声をかけた。『圭、よくやった。諦めないで最後まで戦った。でもチリッチが圭の知っているチリッチではなかったんだ』。決勝でのチリッチは、これまでの彼のテニス人生で紛れもなく最高のテニスをした。準決勝で彼が見せた、史上最強プレーヤーと言われるフェデラーですら、手のつけようのない完璧なテニス。決勝でのチリッチは、それさえも超えていた」
決勝で完敗したとはいえ、今大会、世界トップ10を一度に3人も倒した自信は深い。
「この2週間、強い相手に勝ちきることができて、すごく自信になっています。また決勝に戻ってきたいですね。この悔しさを忘れずに、また優勝を目指してやりたい」
試合後の会見で錦織は、むしろ快活にそう語った。
——強豪たちをメンタル、フィジカルで凌駕したという、ずっしりとした手応えは長く残るだろう。得られた自信はそのハートをさらに強固な鎧で覆うだろう。近い将来、男子テニスの世界地図は大きく変わっているだろう。願わくは、そのときに「KEI」が世界の中心にいますように(Number誌)。
「圭、おめでとう。そして、ありがとう(松岡修造)」
(了)
ソース:Number(ナンバー)861号 革命を見逃すな。―大谷翔平と錦織圭 (Sports Graphic Number)
松岡修造「圭は何故、ここまで強くなれたか」
錦織圭「メンタルモンスターが生まれた日」
「マイケル・チャンが開いた世界への扉」
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