2013年9月2日月曜日
天国と地獄。スマイル・ジャパン、五輪への道 [アイスホッケー]
ヒラヒラと、スローモーションのように頭上を越えていった「黒いパック」。
その残像が、アイスホッケー日本女子代表のゴールを守っていた「中奥梓(なかおく・あずさ)」の脳裏にこびりついていた。
勝った方が、バンクーバー五輪への切符をつかむ。
2008年11月の「日本 vs 中国」戦は、それほどに重かった。
日本ゴールに吸い込まれた黒いパックは、致命的な2失点目である。
「私はハイスティックだと思って、凄い抗議をして、ビデオ判定までしてもらったんです。でも、覆りませんでした」と、キーパー中奥は悔しさを新たにする。
「ハイスティック」というのは、アイスホッケーのルールの一つで、「肩より上でスティックを使ってパックを扱ってはいけない」というものだ。
「ちょうどそれぐらいの高さのプレーでした。パックがゴール前の選手のスティックに当って、ヒラヒラと自分の上を越えていったんです」
相手は中国。会場も中国。日本の選手たちはその「理不尽な失点」に我を失っていく。結局、この重い試合、日本は「0 - 2」で中国に敗れることとなる。それまで負けたことのなかった中国に。
「あのゴール、確かに微妙な高さではあったんですが、それに反応できなかった自分がまず許せませんでした」
語る中奥の声は震えている。
「試合が終わったあとは、ずっと泣いてたと思います…。私だけじゃなく、チーム全員が。誰も、何も、一言もしゃべらない。いま考えれば、どうやって帰りの飛行機に乗ったかも覚えていないんです」
■フィンランド
攻撃の要であったFW(フォワード)の「平野由佳(ひらの・ゆか)」も、想いは同じだった。
「自分が何をやったのか…、本当に覚えてないんです。せいぜい、試合が終わって控室の外で泣いていた自分がいたってくらいかなぁ」
楽しいから、始めたアイスホッケーのはずだった。
「日曜や休みの日になったら、まずみんなでスキーに行って、そのあとリンクに行って、みたいな感じで」
小学生の女の子がアイスホッケーをやるというのは、札幌でも珍しいことであったが、平野にとって、兄のやっていたアイスホッケーはたまらなく魅力的だったのだ。
中国戦は悪い夢だった。
オリンピック行きの夢の切符は、どこかへ行ってしまった。
「やっぱり、本場で経験しないと勝てないんじゃないか?」
負けたままで終われない自分に気づいた平野は、中国戦から一年後(2009)、フィンランドに旅立っていた。
フィンランドはヨーロッパ屈指の強豪国。女子アイスホッケーが正式競技となった長野オリンピックでは、男女ともに銅メダルを獲得している。
ただ、そんなフィンランドといえども、女子アイスホッケーの「プロ・リーグ」はない。というより、世界中のどこへ行っても、女子アイスホッケーにプロ・リーグはない。
ましてや、マイナー競技である日本において、選手らは爪に火を灯して生き延びているようなものである。
「(フィンランドでの)生活費は食費、家賃とかを含めて一ヶ月10万円くらい。親のスネ、がっつりカジりました(笑)」と平野。
「レベルは日本よりちょっと上かな、ぐらいの感じなんですが、パスの速さとか身体の強さとかは全然違いました」
刺激的なフィンランドでの毎日。平野はチームに合流してすぐに試合に起用された。
「あと、向こうの選手って、すごく飲むんですよ。週末の試合が終わったら、サウナで汗を流しながら飲んで、そのままクラブ行く、みたいな。わたしが骨折していた時も、ギプスつけてるのにクラブに連れて行かれましたから(笑)」
フィンランドの選手たちは、強くて速くて、そして何よりもアイスホッケーが楽しそうだった。そんなフィンランドの風が、平野の中の忘れかけていた感覚をくすぐっていた。
■大震災
「ソチ」
新たなオリンピックへ向かうことだけが、日本女子アイスホッケーに垂れ込めた暗雲を払いのける道だった。
一時は意気消沈してしまっていた日本代表の面々も、少しずつではあるがその力を盛り返してきつつあった。
そんな時だった。3.11がやってきたのは。
「非常時にスポーツなんて」
そんな風潮は、第二次世界大戦中に多くのスポーツ・イベントを中止に追い込んだ日本という国家には、今なお根強く残っている(スポーツを国民の権利と考える国々では、大戦中でさえ占領者と捕虜によるサッカーの試合さえ行われていたという)。
風評被害というのが3.11の大震災後には多く語られたが、女子アイスホッケーもまた、その被害者となった。
Number誌「日本アイスホッケー連盟は、この年(2011)ドイツで開催が予定されていた世界選手権への不参加を決定した」
この世界選手権に出られないとなると、日本の世界ランクは確実に下がる。そうなると、オリンピックの予選にすら出場できなくなってしまうかもしれなかった。
東日本大震災の3週間後、サッカーJリーグは震災復興のチャリティ・マッチを行ったが、それですら開催を懸念する声が強かった。
「世論を敵に回せば、スポーツは死ぬ」
ましてやアイスホッケーは、雪国と強く結びついたスポーツ。どんなわずかな懸念でさえ、東北の人々の心情を傷つけることはできようがなかった。
「何が正しかったのかは、今でもわかりません」と、日本代表の主将を務めていた平野由佳は言う。
「でも私には、自粛することによって何が生み出すことができるんだろうか?っていう思いがありました」
ソチのために現役続行を決意し、ソチのためにアルバイトで糊口をしのぎ、ソチのために親のスネをかじってフィンランドに渡った平野由佳。そのオリンピックへの道が閉ざされようとしていた時、どうしても、世論の風潮に抗わずにはいられなかった。
自らが街頭に立って「署名」を集めた。世界選手権への出場を訴えるために。
賛同する署名は彼女一人だけでも1,500人分を集めた。だが無常にも、不参加の決定が覆ることはなかった。
「病みましたねぇ、あの時は…。誰とも会いたくない、しゃべりたくない、みたいな感じになりました。両親にもすごい心配かけたと思います」と平野は話す。
ソチ五輪、最終予選までは、もう2年を切っていた。
■スマイル!
国際アイスホッケー連盟は、大震災で傷んだ日本に恩情をみせた。
2011年の世界選手権への出場を辞退した日本の、ランキングを下げることをしなかった。
そうしてか細くも、オリンピックへの道は保たれたのであった。
俄然、やる気の湧いた日本アイスホッケー連盟は、日本女子代表のために、カナダから「カーラ・マクラウド」をコーチとして招聘した。彼女は現役時代、オリンピックで2度の金メダルを獲得した実績をもっていた。
「スマイル! スマイル! 行けるよ。信じて!」
カーラはずっとそう言って、日本代表を励まし続けた。最終予選直前のテストマッチ、日本代表が強豪チェコに逆転勝ちしたことは、選手らに大きな自信を与えた。
そして迎えた、オリンピック最終予選。
全試合がNHKで中継されることも決まった大舞台。
その初戦、ノルウェー戦で日本は3点ビハインドという絶望的な状況に追い込まれていた。
自分の守るゴールを3度も割られてしまった中奥梓は、大きく動揺していた。「すごい…、すごい不安でした。絶対に気持ちを切らしちゃダメなんだって必死に言い聞かせてたんですけど、でも、やっぱり怖くて…」
4年前に脳裏にこびりついた中国戦の「黒いパック」が、また鎌首をもたげ出していた。
「0 - 3」というスコアは、日本代表にとって想像以上に重かった。
彼女らはそれまで、2点差以上をひっくり返したことがなかった。そして、オリンピック予選を勝ち抜いたという経験も(長野五輪は開催国として予選免除)。
GK(ゴール・キーパー)は点を獲ることができない。中奥はただただ、仲間を信じるしかなかった。もう、祈るしかなかった。
■確信
なぜか中村亜美は明るかった。「大丈夫。わたしが決めて来るから。ちょっと待っててね」と、不安がるGK中奥を勇気づけた。
平野由佳も不思議な感覚を味わっていた。「ホントに全然緊張してない自分がいたんです。わたし、普段は練習とかでも緊張しちゃうタイプなんですけど。確かに3点差はついたんですけど、パニックめいた感情はまったくなかったですね」
カナダから来たコーチ、カーラも「スマイル! スマイル!」と、いつものように自信に満ちていた。彼女には、ノルウェーの足が止まってきているのが見えていた。
「1点さえ返せば、絶対に流れは日本に来る」
そんな確信が、日本代表のベンチにはあった。
その確信は、一歩一歩、現実化していった。
第2ピリオド12分に青木香奈枝が、第3ピリオド9分には大澤ちほが、ノルウェーのゴールネットを揺らす。
「あと1点!」
同点弾を叩き込んだのは、「わたしが決めてくるから」とGK中奥を励ました中村亜美だった。GK中奥は「めちゃくちゃ嬉しかった」と振り返る。
そして、残り2分。
Number誌「チームメイトから『おねえ』と親しまれている坂上智子の放ったシュートが、相手に当ってコースが変わる」
黒いパックはスローモーションのように、ノルウェーのゴールラインを越え、それがそのまま決勝点となった。
日本4、ノルウェー3。まさかの、3点差を跳ねのけた逆転劇。
ソチへの道は、一気に大きく開かれた。
■スマイル・ジャパン
続くスロバキア戦、日本代表は延長の末にもつれこんだPS(ペナルティ・ショット)で敗れる。
一勝一敗。
日本の命運は、最終戦のデンマーク戦にもつれ込んでいた。
「本当に自分がオリンピックに行っていいのかなぁ? これ、現実なのかなぁ?」
デンマーク戦の最中にも関わらず、GK(ゴールキーパー)中奥梓は、そんな夢想にふけっていた。
スコアはすでに「5 - 0」。もう勝利の瞬間は、刻一刻と近づくばかりであった。
平野は言う。「試合終了の1分ぐらい前から泣いてました。もうどうやったって逆転はない。あぁ、オリンピックに行けるんだと思うと、まず苦労をかけた両親の顔が浮かんできて…」
まだ試合は終わっていない。みんなにバレたらヤバイ。そう思って、必死に下を向いていたという平野由佳。
「由佳さんが一番最初に泣いてましたよね(笑)」、後輩の大澤ちほは試合後、そう平野をからかった。
2013年2月10日
日本女子アイスホッケーは、ソチ五輪への出場を決めた。
のちに彼女らは「スマイル・ジャパン」と呼ばれることになる。
■ソチへ
最終予選の終了後、平野由佳はローソンの社員となっていた。
会社側からは様々なサポートを約束され、以前に比べるとずっと環境に恵まれることになった。
「これで、親の援助なしで競技ができます」と平野は微笑む。
女子アイスホッケー日本代表「スマイル・ジャパン」への注目度も、格段に上がった。だが、その恩恵を受けられる選手は、まだほんの一部にとどまる。
「まだ『なでしこ』とは世界での立ち位置が違うとは思います。まだウチらは足を踏み入れただけですから」と、中奥梓は言う。「『なでしこ』を見てて、やっぱりスポーツは結果が大事だなってことはよくわかりました」
女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」といえど、初出場したアトランタ五輪では惨敗し、一時は衰退を余儀なくされている。
ソチ五輪の初出場を決めた女子アイスホッケー日本代表であるが、その組み合わせは厳しい。「ロシア・スウェーデン・ドイツ」と同じB組。世界ランキングでは日本が一番の格下である。
「カーラは、世界を目指せるって言ってくれてますし、わたしも全敗は絶対にないと思っています」と平野由佳は控えめな自信を見せる。
「勝って次の世代に続けたい。注目度が上がって競技人口が増えてくれれば、いろんなことが変わってくると思うんです。だから、勝たないと」
ソチへの道はついに拓かれた。
「スマイル! スマイル!」
その声は、いよいよ世界に響く…!
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 9/5号 [雑誌]
「乙女は二度泣く 女子アイスホッケー日本代表 中奥梓&平野由佳」
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