2013年9月12日木曜日
「塞がらないフタ」だったメダル。為末大 [陸上]
「勝つのは良いことで、負けるのは悪いこと」
そう思い込んでいたところがあった。
「勝つ選手は努力をたくさんしたからであって、負ける選手は努力不足」
そう思って勝ち続けてきた。
「為末大(ためすえ・だい)」
陸上ハードル競技において、オリンピックに3大会連続出場(シドニー、アテネ、北京)。国内では敵なし、世界陸上で2度の銅メダル(2001エドモントン、2005ヘルシンキ)。
400mハードルにおける彼の記録「47秒89」は、未だ破られていない日本記録である。
「スポーツの世界はわかりやすくて、『勝つのは良いことで負けるのは悪いこと』という一つの価値観にみんな向かっていくんです。自分もそれに乗っていたんですが、どこかズレてる感じがありました」
為末が漠然とそう思っていたのは、自分のやっていることを「別の場所から見ている自分」がおぼろげに感じられていたからであった。
それが少し鮮明になったのは、初めてのオリンピック(2000年シドニー大会)。
予選で敗れ、金メダルは一個しかない、という当たり前のことに気づかされた(当時22歳)。
「じゃあ、『努力すれば、みんな一番になれる』『頑張れば、夢は叶う』っていうのはウソじゃないか!?」
■メダル
為末はメダルが欲しかった。
周りもそう言うし、彼自身にとってそれは「すごいこと」だった。
そしてシドニー五輪の翌年に開催された「エドモントン世界陸上」で、念願のメダルを手に入れた。
「取れて、それが『すごい』と言われて、僕もそのときは『すごいことやった!』と思うんですけれども、すぐその余韻がなくなって、『いったいあれは何だったんだろう…』と」
ますます、漠としたズレは大きくなるばかり。
「みんなが『すごい』と言うんだけれども、どういう理屈で『すごい』と言うのか? 人より速く走るのが、なんで『すごい』のか? じゃあ、走るのが遅い人はすごくないのか?」
メダルをかけられた彼の目の端には、彼に蹴落とされたライバルたちが鮮明に見えていた。
「僕が勝ち続けるってことは、ある意味、他者を引退に追い込むわけです…」
メダルを取ることが「正解」のはずだった。
「『これぞ正解』と思うものを掴んでみても、『なんか正解という感じがしない』ということをずっと繰り返していて、虚しさというか、虚しいけど頑張るみないなことを思っていました」
取った瞬間は確かに、「成し遂げた!」という高揚感に浸ることができた。だが、その熱狂はすぐにも醒めてしまう。それが昔からのクセだった、と為末は言う。
「そういう熱狂ができないんです。人とワーッと盛り上がって熱くなれないところがどっかにあって…」
■少年
醒めがちな為末は、ずっと一人だった。
「僕は18歳くらいから指導者がいなくて、一人でやっていたんです。自分のやりたいようにやりたかったから、それはそれで良かったんですけど、寂しさもありました」
オリンピックの競技場にコーチは入れない。だからコーチは途中まで来て、最後、背中をコーチがドンと押して選手はレースへと向かっていく。為末には、その背中を押してくれるコーチがいなかった。
レース後、コーチは選手たちを出迎える。この時もやはり、為末は一人だった。
「いっつも僕は一人だけで入っていって、レースが終わって良くても悪くても、出てくると誰もいなくて、一人でポツンとしてる感じだったんです」
そんな為末には、東日本大震災で被災したある少年の気持ちが痛いほどに理解できた。
「なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ」と少年は言った。
「なんで僕の親だったのかが、よくわからない…」
少年は不幸にも親を喪った。
為末は幸運にもメダルを取った。
幸と不幸の両端にいたような2人である。だが、なぜか2人とも「よくわからない」というモヤモヤの中にいた。
「僕は努力をたくさんしたから勝ったと思っていたのが、どうも実はそうじゃなくて、たまたまそういうふうに僕は生まれたから勝ったんじゃないかと、そういう気分になっていました」
たまたま幸運だったのか、ならば不幸もたまたまか?
「結局、理由がなくて自分がいきなり自分になっていて、『降ってきた自分』みたいなものが足が速くて、それで走って一番になって…」
じゃあ、努力って何だ?
夢や希望って?
■限界
アスリートの常として、かの為末にも落日はやって来た。
2012年6月、ロンドン五輪を前にした日本選手権、男子400mハードル。為末が不動の日本記録をもつ絶対の種目である。
しかし為末はいきなり、1台目のハードルを越えられずに転倒。完走するも最下位。まさかの予選落ち。
これが為末大、現役最後のレースとなった(34歳)。
不思議なことに、そうした「限界」こそが彼にとって確かな手応えであった。
じつは世界陸上で銅メダルを手にした時も、その興奮よりも「限界」に奇妙な安堵感を覚えていたのである。
「僕はけっこう努力したと思うけど『銅メダルが限界だったな』と思うんです。あれが僕の限界だった。努力すればもうちょっといけたかもしれないけど、金メダルはなかったと思うんですよね」
「金メダル」こそが夢であり希望であると思っていた頃もあった。だが、それは「一個しかない」というのが厳然たる事実でもあった。
そして、それが遂に手に入らないということを実感した時、彼の心はむしろ安らかになった。
「無理なものは無理だと知ることが、じつは幸せに近いんじゃないかなと思うんですよね。うまく言えているかわからないですけど」
■坐禅
現役を退いてのち、為末は恐山(青森)に向かっていた。
禅僧・南直哉(みなみ・じきさい)に「坐禅」を乞うためであった。
初日は「足が痛い」という思いしかなかった。
そして、自分が今ある場所に「静止し続けること」の難しさを感じた。
「動くのは競技でやってたけれど、一カ所に静止するのは難しいと思いましたね」と為末は苦笑する。
禅師は言う。
「人間の身体っていうのは、力を抜くほうが入れることよりずっと難しいんです。一生懸命に努力することはできても、休むことは難しいのです。人はふつう逆に考えますが…」
留まること、休むことに慣れない人間は、ついつい何かを始めたがってしまう、と禅師は言うのであった。
二日目、半眼で坐禅を組んでいた為末は、自分の身体の境があいまいになっていくように感じていた。
「たとえば腿を触っていれば『ここが自分の腿だ』とわかるんですけど、何も触らないでジーっとしていると、どの辺までが自分の肌の範囲だったかよく分からなくなってくる。目をつぶっていると、自分の鼻ってどのくらいまでだったかなと、よく分からなくなる感じがあって」
はたして自他の境は、どこにあったのか?
「あ、この延長線上に、すっごいところまで行くと、自分と外の境目がなくなるような世界がもしかしたらあるのかな、と思いました」
それこそがメダルを取ることよりも「すごいこと」なのではないか、そう思えた。
競技をしている最中にも、坐禅に似た奇妙な感覚はあった。
「ゾーン」とも呼ばれるそれだった。
「動こうと思うよりも先に動いているというか、もっと言うと『こんなふうに動いているのかな』と自分が眺めている視点がなくなっていくような世界なんです」
現実の結果と自分の感覚にズレを感じていた為末は、そのゾーンという境地において、「別の場所にいる自分」と完璧に重なり合うことができていた。
「そういう世界ってある意味、自我がない世界。もっと究極的に言うと、ハードルと自分しかない、みたいな世界なんです」
いい意味で、そこには夢も希望もない。メダルを渇望する自分もいなかった。
■体験
坐禅修行を終え、恐山を後にした為末は実感していた。
「やっぱり体験なんだ…」
たとえ、「夢は叶わない」と言われても、金メダルが取れなかったという体験をするまで、その前向きな要素を体感することができなかった。
南禅師もそう言っていた。
「最初から『手に入れたってダメ』ではダメなのです。やってみて、『あ、やっぱり手に入らないんだ』という実感が大事だと思うのです。『手に入らないからどうせ』というのは観念(頭の中)の世界なのです」
引退後、為末はスポーツ以外の世界に行こうかと考えていた。それでも彼はスポーツに留まった。
「スポーツがいいなって思ったのは、スポーツって非常に体感的なんです。当たり前なんですけど、身体を使う。脳も身体の一部なので、そういうものをフルに使いながらやっていくんですけど、身体で理解することと、頭というか概念の上で理解することと、腹にストンと落ちることって随分違うんじゃないかというのを僕は思っていて」
身体で理解すること
頭で理解すること
腹にストンと落ちること
この3者が見事に一致するのが、競技中のゾーン、そして坐禅という体験であったように思われた。動く世界と動かぬ世界、その両方にそれはあった。
■欠落
そもそも、なぜ自分はメダルを欲しいと思ったのだろうか?
その問いに、南禅師はこう感じた。「ある種の価値や、自分の信念を支えている根拠の部分を疑う人がいるが、ひょっとしたら為末さんはそういう人なのかなというのがありました」
「勝つことが良いこと」という既存の価値観を疑いながらも、それに向かわざるを得なかった自分。
そして、メダルこそが自分の心を埋めるはずだったのに、意に反して広がってしまった心の隙間。何か足りないものを埋めよう埋めようと努力するほど、皮肉にもその穴は口が大きくなるばかりであった。
為末は、それをこう語る。「そのメダルは自分の中の欠落感を塞ぐために取った。けれどもそれは『塞がらない蓋』であった」と。
「欲望というのは不足から生じます」と南禅師は言う。「根源的な欲望は根源的に欠如しているんだと思うんです。人というのは、最初から何かを喪失して生まれてくるんだと思うんです」
「ところが問題なのは、『何を失ったか分からない』わけです。それでも『失われているという感覚』だけが残っているから、埋めたくなるわけですわな」
アスリートならば金メダル、ビジネスマンならばおカネが、失った何かを埋めてくれると期待する。
「ところが実は、何を入れたって埋まらないわけです。メダルを実際に取っても、何を入れても底が抜けたようにボタンと落ちてしまう。どんな目的でも、達成したらその瞬間に飢えと渇きが帰ってくる」
まるで、水を欲して海水を飲んでしまったように。
ならば、夢も希望ももたずに、最初から諦めてしまえばよいのか?
そのした発想は堂々巡りに人を導くだけである。頭だけで理解しようとも、その肚は空腹を癒せない。そのズレを正すためには、どうしても身体での体験を欠くことができない。
為末大の感じていた根源的な疑問は、メダルをとったことではなく、それを「手放したこと」によって納得されるのであった。刀折れ矢尽きてはじめて、ようやく自分の欠片を見つけるのであった。
■自分を知るツール
全力で競技に取り組み、自らの限界を悟った時、競技者・為末大の「欠落感」は埋まりはじめた。
それは、価値観や結果を他人任せにすることから解放されたからでもあった。他人を蹴落としたからではなく、自らに疑問をもったからであった。
「今の世の中って、体感的に自分の限界がよく分からない人が多くて、そうすると、できないはずの自分になろうとして鬱になったり、反対に、本当はもっとできるのに縮こまっちゃてる人が多いような気がしています」と為末は言う。
「もうちょっと体感的に自分の範囲を知るとか、自分の限界をちゃんと知って、地に足の着いた人生を生きてくことが大事な気がして、そのためにスポーツというのはツールとしてすごく良いんじゃないかと思います」
自分を知るツールとしてのスポーツを子供たちに教えようと、為末は陸上教室を開催している。そこで感じるのは、学校の教育の中では「危ない」という理由から子供たちがあまりチャレンジさせてもらえない、という現実であった。
「ほんとは自分がどれくらい跳べて、どこからは跳べなくなるのか体感して限界を知る。それは確かに転んだりして危ないことなんですけど、でも『自分の限界を知らずに成長していくことの方が危ないんじゃないか』と、僕は何となく思うんです」
為末は言う。「大事なのは、それがいったい自分の人生にどうなっていくのかということだ、と思います」
■明日
「スポーツをやっている人間って、当然なにかの目標に向かって頑張っていて、その姿が素晴らしい。で、夢を叶えた人間が、その夢を叶えた素晴らしさを語る。そういう世界があるのは僕も否定しません」
だが、為末は安易に「夢は叶う」とは言いたくない。「勝つことは良いことで、負けることは悪いことだ」というような、あまりにも一方的な価値観にはやはり違和感を感じる。
「素晴らしい素晴らしくないではなく、良いも悪くもないようなことが僕には見えていました。それをすごく感じていたなぁ、と」
「夢に向かっていって夢を叶えて、それがシックリきている人にはあんまりわかんない話じゃないかなと思うんです。でも、どうもなんかそこがシックリきてない人が世の中にはたぶん一定数いて、ないしは叶わなかった人たちなら言葉としてわかるっていう感じじゃないですかね」
「坂の上まで行けば楽園が待っている。そう信じて人は必死で走るが、坂の上からは次の坂が見えてるだけです」
「もし誰かに期待されていたら、早めにガッカリさせておいたほうがいい。ほっておくといつの間にか、人が期待する方向に向かい始める」
「他人を基準にしたら、自分の明日は描けない」
(了)
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ソース:サンガジャパンVol.14(Summer) 「求道者ふたり、本質を語る 為末大・南直哉」
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