2015年5月14日木曜日
41歳の新天地 [イチロー]
「イチローはなぜ、マイアミ(マーリンズ)を選んだのか?」
地元メディアの一番の疑問だった。イチローのようなレジェンドがなんで、わざわざマイアミへ?
”彼らの疑問も仕方がない。1997年、2003年にワールドシリーズを制したものの、マーリンズの対外イメージは、極端な補強と放出を繰りかえす異色の新興球団(Number誌)”
「まさか本当に来るとはね。最後までア・リーグでプレーするものと思っていたよ」
イチローの加入は、まさに青天の霹靂だった。
アメリカ大リーグ全30球団の中でも、マーリンズで日本人選手がプレーするのはイチローが初めて。1993年に創設されたマーリンズの歴史はまだ22年。
”その成績を見ていくと、なかなか興味深いものがある。プレーオフに進出したのは、22年間で1997年と2003年の2回だけだが、いずれも地区2位、ワイルドカードだった。しかもその2回のチャンスで、いずれもワールドシリーズで優勝しているのである。地区優勝をしたことはないが、ワールドシリーズ制覇は2回というわけだ(Number誌)”
突如、マイアミに現れたイチロー。
周囲の目は、彼の一挙手一投足へ釘付けになった。
5本指ソックス
ジュラルミン製のバットケース
小さなイボイボのついたマッサージ用ボール
専用のトレーニングマシン
…
”イチローを取材してきた日本人記者にはお馴染みのイチロー・アイテムも、彼らの目には宇宙人が持ち運んだ未知の物体に映るようだ(Number誌)”
「あの”折りたたみの携帯電話”、すごくクールよねぇ」
「いろんなスポーツを取材してきたが、見たことがないようなマシンを何台も、コンテナで持ち込んだアスリートは初めてだ」
「バットの重さが湿度で変わるだなんて野球選手が話すのを聞いたことがない」
球団GMのジェニングは感心していた。
「チーム全員がイチローの行動を見入っている。ロッカールームでの行動はまるで時計のようだ」
チームメイトの期待も大きい。23歳の左翼、クリスチャン・イエリッチは言う。
「若い僕らには信じられないような実績を積んできた選手。戦力的にはもちろん、みんなにポジティブな影響を与えてくれるに違いない。それにしても、面白い人でびっくりしたよ(笑)」
イエリッチは9歳のときに、”イチローの2001年”を目の当たりにしている。日本から初めて米メジャーにやってきた野手イチローが、リーグMVPと新人王、首位打者と盗塁王、シルバースラッガーとゴールドグラブをいっぺんに獲得したシーズンだ。
イエリッチは続ける。
「彼がデビューしたばかりのころ、三塁へのモノ凄い送球を見てから、ずっと注目していたんだ」
その14年前から、イチローの体つきはほとんど変わっていない。遠投はチーム一番で、ストレッチの屈伸角度は誰よりも深い。昨季盗塁王のゴードンにも見劣りしない身軽さを維持している。
マーリンズのまとめ役、31歳のプラドは言う。
「あの”21歳”には、いつも驚かされるよ(笑)」
イチロー、41歳。
日米あわせて今季プロ24年目。
「新しいグラブって、いいよね」
新しいユニフォームを着て、新しいグラブをはめる。そのグラブを丁寧に磨きながらイチローは言う。
「トレーニングの設備も道具も進歩している中で、野球選手の寿命だけが昔と同じだったら、退化しているのと同じでしょう」
マイアミの記者団が驚いた、ダグアウト裏に設置されたイチロー専用のトレーニングマシン8台。試合中でもイチローはそのマシンで体を動かす。
「あのマシンは人間の能力を先に進めるものです。40歳を越えれば人間、黙っていても成長するということはなくなりますが、僕の周りには ”僕が発展途上になり得るツール” がいろいろとあります」
スパイクも今年は違う。新しい”ビモロ”のスパイクは、イチローのストライドを広げ、未知の領域へ誘う推進力を誇っている。
新天地、フロリダ州マイアミ
強い陽射しが照りつける下、イチローは海苔をまいていないオニギリを美味しそうに頬張る。
「このチームについても、街にしても、あまりに知らな過ぎて、重たい気持ちにはなりませんでした。中途半端に知っているところだと、余計な情報のせいでネガティブな気持ちになったかもしれませんが、まったく知らないという強みはありました」
自宅のあるシアトル、そして母国日本から最も遠いフランチャイズ。米メジャー14年のキャリアの中で、イチローがマイアミの地でプレーしたのは2005年に一度だけだった(旧スタジアムの時代だからまったく参考にはならないが)。ナショナル・リーグはこれまでと違ってDH制もない、まったく未知のリーグである。
NYヤンキースからの移籍を機に、イチローは今までとイメージを変えてきた。ユニフォームはもちろん、バットも黒から白、グラブも黒からオレンジ、スパイクもオレンジに。
「チームを移るというのは、そういうチャンスでもあります。誰が見てもわかりやすタイミングで何かを変える。そこを逃してしまうと、できなくなります。僕は変わることがまったく怖くありません。むしろ、そこに停滞してしまうことのほうが怖い。そうでないとやってられないんです。だって、形が決まるということは、自分の中でこれ以上ないということにつながりますから。そんなことはありえないんです。バッティングは永遠に終わらない。答えなんかないのがバッティングですから、そこにとどまっていたら、終わってしまいます」
◎代打(ピンチヒッター)として
じつは過去2年半、イチローはNYヤンキースで想像もしないストレスに見舞われていた。
”今日、試合に出られるかどうかわからない、試合中もどのタイミングで声が掛かるかわからない。準備をしても出番がないまま終わり、明日のこともわからない。一見きらびやかに見えるニューヨークの摩天楼が、イチローを押し潰していた(Number誌)”
レギュラーから代打(ピンチヒッター)に転向となったイチロー。代打には特有の難しさがあった。
NYヤンキースの打撃コーチ、ケビン・ロングは言う。「ピンチヒッター(代打)は、プロスポーツの世界でも屈指といっていいくらい難しい仕事だと私は思う。これまでレギュラーでプレーしてきた選手ほど、よいピンチヒッターになるためのアジャスト(調整)は難しい。代打への心構えは、レギュラーのそれとは全く違う」
マリナーズ時代の11年半、イチローの代打での成績は11打数1安打(打率1割未満)と振るわない。ヤンキース移籍後も2012年は6打数1安打(打率1割6分)、2013年の前半まで3の0だった。
ロングは言う。「そのころまでイチローは、代打としてどう準備すればいいのか、身体的にも精神的にもわかっていなかったようだ。でも、そこから先が彼の特別なところ。彼はヤンキースで与えられたこの仕事をマスターするために全力を尽くしてくれたんだ」
2013年の後半(7月以降)、イチローの代打成績は9打数5安打(打率5割5分)と劇的に向上。翌2014年も12打数6安打(打率5割)。ここ1年半、代打で5割以上という数字を叩き出していた。
ケビン・ロング「彼は自分なりの答えにたどり着き、成績を出した。去年のヤンキースにとって、イチローは間違いなく ”最高のピンチヒッター” だった。イチローという偉大な選手のパーフェクトなところは、こういうところに現れている。代打という役目を与えられたところで、ほとんどの選手はここまでしない。ベテラン選手は代打を嫌がり、価値のないものだととらえるケースがほとんどだ。イチローのように完璧に役割を果たすことはない。だからこそイチローは40歳をすぎても、イチローであり続けられる」
しかし、成績の向上した後半、イチローの悩みは深まっていた。
イチローは言う。
「去年、一番しんどかったのは、シーズンの後半になって『ようやくできてきた』と思ったときに出場機会がなかったことでした。それよりしんどいことはありませんでした」
夢見も悪かった。
「一つは、銃で撃たれる夢。撃たれるんだけど、実際に撃たれたことがないからよくわからない。ただ、夢の中では確実に死ぬって思ってるんです。そういう怖い夢のパターンがいくつかあった。空の上にロープが張ってあって、下は地獄なんですけど、そのロープの下を自転車で走る夢。他のパターンとしては、すごく好きだった人に久しぶりに会えて、泣いている夢。これは人間関係で気持ちがよくないときに出てくる夢です。自分の状態がわかりやすく夢に出てくるものなんだなと思いました」
体調管理も思うようにならなくなっていた。
「去年、ニューヨークではものすごく痩せてしまって。どれだけ栄養を考えた食事を食べても、体重が維持できないということがありました」
◎マイアミへ
「かわいい子たちが、どんどん売れていって、ちょっと大きく成長した犬は残っていく」
2015年1月、移籍先がなかなか決まらなかった心境を、イチローはそう表現していた。41歳というのはメジャー最年長。ここ数年、メジャーには”40歳定年”のごときチーム編成が行われるようになっていた。
「虚しさなんて、しょっちゅう感じています。でもそれこそが、成熟へ向けての道ではないですか。理不尽なことを経験しなかったら、人としての幅は出てきません。僕が来た当初、アメリカってこんなフェアな見方をする国なのかと思いました。最初の最初は偏った見方をされましたけど、結果をある程度残した後はそう思った。でも、ずっとやってくると、この国では一事が万事という価値観で考えるべきではないということもわかってきました」
そしてイチローは「マイアミ・マーリンズ」を選んだ。
「マイアミだけは考えていなかった(笑)。最初から絶対にないと思い込んでいたので、イメージもできていませんでした。でも話を頂いていろいろ考えると、NOという理由がありませんでした。僕は決断するときに後ろ向きな気持ちにはならない。ここはこれから色がついていく状態ですから、それは僕にとってはかなり魅力的です」
1月末に日本で行われたマーリンズの入団会見の席上、イチローはこう言った。
「これからも応援よろしくお願いしますとは、僕は絶対に言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはいけないことを続けていきます」
日本ではお立ち台に立った選手がよく「応援よろしくお願いします」と言う。だがイチローは違う。
「食うか食われるかの世界で戦うアスリートが、応援ヨロシクはないよって、ずっと思ってきました」
その思いは、キャンプに着てきたTシャツにも込められていた。
”おうえんしてくださいなんて〜 いわないよじぇったい〜”
カジキ(マーリン)のカブリ物をした自身のイラストが、槇原敬之風にそう歌っていた。
◎Tシャツ
イチローにとってTシャツは大切なアイテム。
”説明なんかヤボだ。見て感じて、勝手に解釈してください”
イチローのTシャツは、そう訴える。
イチローは言う。
「最近、自分のことをしゃべるのってダサいなって強く思うようになってきたんです。自分のことを自分で伝えようとすればするほど、他人の心には残らない。本当に自分のことを伝えられるのは、じつは自分ではないと感じています」
”イチローは言葉をすごく大事にするが、言葉だけでは伝わらない空気も同じように大切にする。今キャンプでのTシャツの絵柄はユルめだ。なによりも主役のイチローがキャンプ地のほどよいユルさに身を委ねている(Number誌)”
鯖(サバ)のイラストに「OTSUKARE SABA(おつかれサバ)」
アディダスのロゴを文字って「ajidasu(アジダス)」
ラコステのワニをひっくり返して「OCOSITE(起こして)」
…
「いわないよ じぇったい〜」の別バージョンも。なんとバックプリントには「応援よろしくお願いします」の文字。
キャンプ最終日は、まさかの無地…と思わせて、背中に「これにておしまい」。
ヤンキースはなにかと制約の多いチームだったが、新天地マーリンズはずっとユルめだった。
◎ごく当たり前に
オープン戦
敵地ブレーブスでの試合、イチローはいきなり魅せた。
一塁にいたイチローは、三塁線へのゴロを見ると、一気にスタートを切った。三塁手は一塁へと送球するが、その間、イチローは迷うことなく二塁を蹴った。あわてた一塁手、三塁へ返球するも、イチローは鮮やかに三塁ベースへと滑り込んだ。
「41歳のプレーじゃないね!」
味方ベンチはドッと沸き立った。
気温が30℃を超える酷暑のなか、現役最年長選手であるイチローが、華麗なベースランニングを披露したのだ。走力は年齢が最もあらわれやすい分野。過去の盗塁王の記録をみても、40歳をすぎて活躍した選手はほとんどいない。
試合後、イチローは言った。
「あんなプレー、滅多にしないですよ。単純に僕の練習です。スタートは切りたい、というのが理由です」
ひとつ先の塁を貪欲に狙う。その姿勢にチームメイトは目を見開いた。
「いい結果が出たときは、皆がいい感じで迎えてくれる。それはすごく気持ちいい」
大汗をかきながらイチローは言った。
”イチローは、こんなごく普通の野球環境に飢えていたんじゃないか。ごく当たり前の環境に気持ちを高ぶらせ、若いチームメイトと大いに盛り上がるイチローがいる。コーチたちまで巻きこんでけっこうな騒ぎだ。そのなかには満面の笑みで同僚たちを迎え入れる彼がいた(Number誌)”
◎何歳?
2015年4月16日
マーリンズの開幕戦
”イチローは、スターティング・ラインナップにその名を連ねていない。彼はチームと”4番目の外野手”として契約を交わしているからだ。開幕戦で与えられたのは代打の1打席だけ。結果、ファーストゴロに終わる(Number誌)”
その後、マーリンズは開幕3連戦を3連敗。イチローは3試合とも代打で出場して1安打。マーリンズの外野手3人は若くて守備力が高く、4人目のイチローの出番はそれほど必要とされていない。
イチローは言う。
「前に進もうとするのは、前向きな人間なら当たり前。後ろを向きたい人たちは、ここではやっていけないですから。変わりたいというよりも、壊していきたい(笑)。それが吉と出るかどうかはわからなくても、そうやって壊していく姿勢が、僕は好きなんでしょう」
”¿Que Paso?"
元気かとスペイン語で声をかけられたイチロー。英語でこたえる。
”I'm not playing today(今日は試合に出てないよ)”
”How did you do yesterday, three hit?(じゃあ昨日は? ヒット3本か?)”
”No no, Zeeeero!!"
「コンニチハ、サヨナラ」
3人目の外野手、マーセル・オズーナは片言の日本語をしゃべる。
”出身はドミニカ。クラブハウスでの笑いの渦には必ず彼がいる。イチローとも日本語とスペイン語でコミュニケーションをとっているようだ(Number誌)”
オズーナは言う。「じつは(日本語を)昨年から覚えているんだよ。今年はイチローに先生になってもらうんだ」
リーグ屈指の強肩オズーナ。そのバズーガ砲は、イチローのレーザービームとの競演も期待される。
「イチローと一緒にプレーできるのは喜び。本当にワクワクしているよ」
はたして、現役メジャーリーガーの41歳は、人間の寿命に換算すると何歳なのだろうか。
かつてイチローは、愛犬一弓(いっきゅう)を「人間なら何歳?」と問われて、こう答えている。
「イヌの10歳は10歳ですよ。なんで人間の年齢に換算しなきゃいけないんですか」
(了)
ソース:Number(ナンバー)876号 イチロー主義 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
イチロー「イチロー主義2015」
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