2014年7月19日土曜日
波間に沈んだ王者スペイン [サッカーW杯]
”一国の夢をのせて”
サッカー・スペイン代表をのせた専用機、エアバスの機体にはそう書かれていた。
出発前には、スペインの首相、ラホイから激励をうけていた。
「君たちは、わが国の歴史上、最高のチームであります。大きな夢とともにブラジルの地へ向かってほしい。国王もそうおっしゃっています」
選手らは、グレーのスーツに身をつつみ、神妙な面持ちでそのスピーチを聞いていた。
”16人の王者たちがブラジルへ—”
『アス』紙はそう報じた。
代表メンバーは23人だが、そのうち16人が前回南アフリカ大会で「世界王者」になった選手たちだった。
アメリカの合宿地へ着いた一行。
初戦のオランダ戦まで1週間を切っていた。
最後の練習試合が、ワシントンで行われた。
ところが、スペイン選手にはキレがなかった。
——いつものように左右にボールを展開していくものの、中盤にはほとんど動きがない。過剰なパスの出し手に、不足している受け手。問題は変わっていなかった(Number誌)。
どこか生彩を欠いていた前回王者の16人。そんな中、フレッシュな新戦力、コケやハビ・マルティスらは光を放っていた。
——状態の良い新戦力の起用を訴える意見もあった。だが、それは少数だった。というのも、何かを切り捨てて新しい血を入れるには、スペインは勝ちすぎていた(Number誌)。
内容はいまいちながらも試合に勝ったことで、問題はうやむやにされてしまった。
”静まりたまえ。王者の登場だ”
『アス』紙の一面には、そう掲げられた。
「オランダ戦は2対0で勝つ」
そんな予想もあった。
司令塔のシャビは、こう明言した。
「われわれのスタイルは明快だ。ティキタカで試合を支配する。このスタイルで連覇して、歴史に名を刻むつもりだ」
ティキタカとは、精密機械のようにショートパスをつなぐ、パスサッカー。前回の南アフリカ大会は、このスタイルであらゆる難敵を打ち破っていったのだった。
デルボスケ監督も自信をもって、こう言った。
「われわれには恐れるものなど何もない」
その日のサルバドールは蒸し暑かった。
大会2日目の「スペイン対オランダ」は、前回大会の決勝戦のカードそのままだった。4年前はスペインが延長戦の末、1対0で競り勝った。
雪辱をきすオランダ。しかし序盤は、スペインがティキタカで主導権をにぎった。そして前半27分、PK(ペナルティ・キック)を得たスペインは、着実に1点を先制した。
しかし、オランダのファンハール監督に慌てる色はなかった。
彼は試合前、選手らにこう言っていた。「何があろうと絶対にパニックになってはいけない。先制されても冷静さを保っていけば、試合の流れは必ず向いてくる」
ファンハール監督がオランダの選手らに強調していたのは、「スペイン勢の疲れ」だった。少し前に行われた欧州CL(チャンピオンズ・リーグ)、スペイン代表の多くは決勝までの長い戦いを強いられていたのである。
オランダのストライカー、ファンペルシはこう振り返る。
「スペインは体力を消耗しているはずだ、だからこっちは、前半に相手の体力を消耗させておいた上で、自分たちが攻撃にうつる瞬間を待っていたんだ。走力で圧倒できるタイミングが来るのをね。監督が言ったことは、すべてその通りになったよ。まるで予言者みたいにさ」
スペインの足が止まるのに、それほど時間はかからなかった。
元スペイン代表のジョアン・カプデビラは言う、「スペインの選手は確かに動けていなかった。攻撃も、あまり足下へと固執しすぎていたのかもしれない。オランダの選手は運動量でも、球際の勝負でも優れていた」
前半の終了間際
スペインのゴール前、ファンペルシーが飛んだ。
華麗なシュートとは、ああいうものを言うのだろう。なんというダイビング・ヘッドか。豪快ながらも計算されたそのシュートは、スペインのGK(ゴールキーパー)の頭上をふわりと浮いた。そしてゴールに吸い込まれた。
ハーフタイムを前に、オランダはスペインに1対1と追いついた。
「ちょっと嫌な雰囲気のまま、ハーフタイムに入ってしまった。精神的にはあれが影響した」
スペインのFW(フォワード)イニエスタは、そう振り返る。
——スペインは得点力不足という隠れた問題を抱えていた。相手を圧倒する華麗なパス回しと高いボールポゼッション(支配率)が、決定力に蓋をしていた。スペインのもったボールは縦方向に進むことがなかった(Number誌)。
パスの出し手である司令塔、シャビも大会前、こんなことを漏らしていた。
「ときどきプレーしていて思うんだ、これは出しどころがないな、と。相手が引いて守れば、さすがに崩すのは難しい。問題は攻め方なんだ」
スペインの得点力は低かった。ワールドカップ予選でも、1試合平均で1.8点。対するオランダには、一試合平均3.4点という決定力の高さがあった。
4年前の雪辱を果たすため、オランダのファンハール監督はさらなる秘策を選手らに授けていた。
それが「ステーション・スキップ」。
スペイン得意のティキタカは、司令塔シャビのいる中盤が要になっている。そこでオランダは、そのスペインの強みである中盤をすっ飛ばし、一気にロング・ボールを前線におくりこむ。それがステーション・スキップだった。
オランダの前線は、疾風のようにスペースへと駆けた。
自陣後方からは、面白いようにカウンター性のロングボールが飛んでくる。
「速い、速い! ロッベン!」
オランダのもう一人のストライカー、ロッベンは短距離選手のようにスペインゴールに迫った。時速30km以上、その韋駄天ぶりでスペインのディフェンダーを置き去りにし、ときにゴールキーパーまでもかわしてみせた。
「本当に信じられなかった。こんなことになるなんて、まったく想像もできなかった」
元スペイン代表のジョアン・カプデビラは、その惨劇を目の当たりにして、そうつぶやいた。
1対5
信じがたいスコア差だった。
前回王者のスペインが、完膚なきまでに叩きのめされたのである。
当然、チームは動揺した。
大敗の翌日、監督のデルボスケ、主将のカシージャス、司令塔のシャビ、この3人で緊急ミーティングが開かれた。
「いくつかの変更があるだろう」とデルボスケ監督は、次のチリ戦について語った。
「だが、スペインが踏襲してきたスタイルを捨てることはない」、そうも言った。
そして迎えたチリ戦
ピッチ上には、司令塔シャビの姿がなかった。
この4年間、ティキタカを操っていた男が…。
しかしスペインは、中核のシャビを外すという大きな変革をしてもなお、格下のチリに敗れた。
——かつて世界を席巻したティキタカは、マラカナンで崩壊した。前回王者は、たった2試合を戦っただけで、大会敗退が決まった(Number誌)。
大会後、元代表のジョアン・カプデビラは、こう言った。
「ブラジルだって、1対7で負けただろう? サッカーではこういうことも起きるんだ。負けたからといって、スペインのサッカーを捨てるべきじゃない。顔を上げて、またリスタートするだけだ」
オランダ代表のファンペルシも、スペインの「ティキタカ崩壊」というメディアの論調をやんわりと否定する。
「いや、そうは思わない。…というよりも、そうあっては欲しくない。どのチームも、自分たちに合ったサッカーをするわけだからね。スペイン代表はやはりティキタカを続けていくはずさ。波が寄せては引き、また新しい波がやってくる。サッカー界というのは、海のように動き続けるものなんだよ」
スペインの敗退決定から5日後
スペイン対オーストラリアの試合が行われた。
スペインにとっては消化試合にすぎなかったその試合、新たな力が躍動していた。大会前に好調だったコケが活き活きとピッチにあった。それまで端役だった選手らが、次々と得点を決めていた。
スコアは3対0と快勝。
しかし勝利後も笑顔はなかった。
だが、スペインの新たな旅はもうはじまっていた。
夢破れた、そのブラジルの地で。
(了)
ソース:Number(ナンバー)857 W杯 ブラジル2014 The Final
スペイン代表「ティキタカ崩壊までの25日間」
ロビン・ファンペルシ「監督はまるで予言者だった」
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