2014年6月19日木曜日
最高のゴール、最悪の想定 [日本vsコートジボワール]
「なぜ、こんなに引いて守っているんだろう?」
ブラジルW杯2014、初戦のコートジボワール戦
元代表の中田英寿は、日本イレブンの動きに違和感を感じていた。ザック・ジャパンの持ち味は「攻め」にあったはずなのに…。
そんな違和感の中でも、前半16分に本田圭佑が先制ゴールを決めた。
中田は言う、「本田の得点は見事だった。まさに彼の個人技で奪った1点であり、彼はあれくらいの実力はもっている」。
——本田は、長友からの強いパスを1トラップでコントロールすると、左足で高速シュートを放った。その身のこなしは、ファンペルシやベイルといった世界トップのレフティー(左利き)にしかできない鮮やかさだった(Number誌)。
まるで前回の南アフリカW杯初戦、カメルーン戦の再来のようだった。日本に先制点をもたらした本田は、人差し指で何度も自分を指しながら、一目散にベンチの輪に飛びこんで歓喜を分かち合った。
ピッチ上は、雨が降ったり止んだりの落ち着かない天気。
その空模様のように、先制点をあげながらも日本のプレースタイルは落ち着かない。
——どうにもリズムをつかめない。1点リードしながらも半信半疑のまま時間が進んでいった。ボールの支配率はコートジボワールが上回っていた(Number誌)。
ベンチから見ていた大久保嘉人は言う。
「ちょっとラインが低いかなと思った。本来なら2点目とりにいくでしょ。でも、点を取られたくないんで下がってしまった」
前半はなんとか1点リードのままに折り返した日本だが、その引いた姿勢をザッケローニ監督は指摘した。
大久保は言う、「ハーフタイムに監督は『受け身になるとやられるから前からしっかりプレスかけていこう』と言っていた。俺も『なんでもっといかないのかな』って思っていた」。
中田英寿は言う、「引いて守る。4年前も似たような戦い方をした。あのときは直前までガタガタのチーム状態で、苦肉の策として選んだ、負けないための戦術だった」。
大久保も思った、「4年前と同じサッカーして負けちゃ意味ない。ずっとやってきたサッカーを貫いて、それで負けたらしゃーない。それくらいの気持ちでやるしかないでしょ」
そして後半17分
コートジボワール国民にとっての「神」、ドログバの登場によりスタジアムの空気は一変する。
——日本が立て続けに失点したのは、ドログバが入った直後だった。後半19分、ボニーのゴールで同点とされると、その2分後にはジェルビーニョに決められ、わずか3分間で逆転されてしまった(Number誌)。
最初の失点をまねいた元々の原因は本田にあった。
——香川信司が苦し紛れに出したパスを、本田は足下におさめたものの、敵2人に囲まれて奪われてしまう。そこから左サイドに展開され、鋭いクロスをボニーに合わせられてしまった。ボニーの同点ヘッドが日本のゴールに吸い込まれると、本田はうなだれるように両膝に手を置いた。どんなときも上を向いてきた男が下を向いてしまっていた(Number誌)。
大久保がピッチに立ったのは、逆転された直後だった(後半22分)。
「2点目を失ってからは、ちょっと気落ちした感があったね。俺はなんとか同点に追いつこうと思ったけど、なかなかうまく攻撃できなかった」
後半戦は、日本劣勢の度合いが強まるばかりであった。後半のシュートといえば、大久保が35分に放った一本のみ。
そしてラスト5分
日本はパワープレーを仕掛けた。それは追いかけるチームの戦略としては当然なのかもしれなかった。だが、ロングボールの放り込みはこれまでのザック・ジャパンが頑なに拒絶してきたものではなかったか。
大久保は振り返る、「『なんや、それ?』って思った。パワープレーなんて、やったことないからね。そもそも俺が入ったときから4年前の戦い方と一緒だったんで、似ているなぁって思いながらやっていた。『今までやってきたのは一体なんだったんだ?』って思った」。
結局、試合は敗れた。
1 - 2の逆転負けであった。
試合後、対戦したコートジボワールの監督ラムシは言った。
「日本は『日本のサッカー』をしていなかった」
中田英寿は言う、「僕が知る限り、この4年間、日本はそんな戦い方(引いて守る)をしてきていないはずだ。いつどんなときでも、自分たちのサッカーをする。それはある意味、勝ち負け以上に重要なことだと、僕は思う」
大久保嘉人は、イヤでも4年前の南アフリカW杯を思い出していた。
岡田監督はアンカーを置いて守備的に戦うと決めていた。そして大久保も「あんなに守備に走り回ったことはなかった」というくらいに守備に奔走した。その結果はベスト16という上々の出来だった。
だが結果とは裏腹に、大久保の中には悔しさだけが残ったという。
「自分らしさを出せなかった…」
——帰国して称賛されても、攻撃で思い切り暴れることができなかったことが、ノドに棘(とげ)のように引っ掛かっていた(Number誌)。
その点、大久保にとって今回のザック・ジャパンは魅力的だった。日本のスタイルはずっと攻撃的になっていた。
「あの中でプレーしたら面白いやろうなぁ」
代表を離れていた大久保は、そんな思いで代表イレブンを羨んでいた。
その後、2年3ヶ月ぶりに代表招集された大久保は、生き生きとしていた。
「代表、楽しいわ。みんなレベルが高いし、どんどんボールが出てくるからね。チャンスが増えて、点とれる可能性はドンドン高くなる手応えを感じたよ。4年前の南アフリカと正反対の戦い方で勝てるのは、やっていて面白いし楽しいよ。この攻撃サッカーを貫けば、W杯でも負けないんじゃないかと思ってた」
だが、先に記したとおり、初戦の結果は残酷だった。
新たな「日本らしさ」となっていた攻めは生彩を欠いた。コートジボワールが20本のシュートを放ったのに対して、日本はわずか7本。DF(ディフェンス)ラインも快速の敵フォワードを恐れてか、ずるずると下がってしまっていた。
大久保は言う、「メンバー入りして3試合やったけど、それとはまったく違う、別のチームになっていた。自分たちの攻撃的なサッカーができなかった。それがショックというか、悔しいっていうか…」
一方、ワールドクラスの先制弾を決めた本田は、2失点目以降に沈黙していた。本田が手を叩いて仲間を鼓舞しはじめたのは、ロスタイムも2分が経過したときのことだった。
本田は試合前、こう言っていた。「だいたいそんな順調にいかないのが、今までの自分の人生だったんで」
——試合後のミックスゾーン、「お疲れ」と声をかけると、本田はこちらと視線を合わせ、一度だけうなずいた。すでに目にギラギラとした威圧感が戻っていた。逆境男の真骨頂はここからだ(Number誌)。
(了)
ソース:Number (ナンバー) コートジボワール戦速報 2014年 6/25号 [雑誌]
本田圭佑「最高のゴールと最悪の想定と」
中田英寿「日本らしさとは何か」
大久保嘉人「時計の針を4年間戻してはいけない!」
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