2014年6月2日月曜日
指一本の武器 [インドネシア武術]
両手の平を、閉じたり開いたり
結んで開いて
グーパー、グーパー
「そのまま5分、続けてください」
なんということのない単純な動き。
雑作のないこと、と思いきや…、3分もグーパーを続けると、小指・薬指のあたりが思うように動かなくなってくる。
「だんだん動かなくなってきましたね」
シギット師は、鈍った手の平のうごきにすぐ気がついた。
「意識を指に集中させてください」
——動かなくなった薬指、小指を睨みつけんばかりの勢いで意識をむけた。すると、不思議となんとなく動くようになってきた。足りなかったのは意識だったのか。確かに指先にまで意識など及ぼしていなかった。ということは、今までの動きは惰性…。人は得てして、このような意識の及ばぬ”死に体”を抱えたまま動いてしまっている。(月刊秘伝)。
「これを毎日続けてみてください。5分くらいからはじめて、最終的には1時間にまで伸ばしていきます」
このグーパー、じつはインドネシアの伝統武術「プリサイ・ディリ」における、集中力を高める修練法の一つ。
「半年くらい続けたら、手でコンクリートを叩いてみてください。割れると思います」
——大げさには聞こえなかった。さっき動かなくなりかけた自分の指を動かしたもの。それは決して蔑(ないがし)ろにしてはならないものだった(月刊秘伝)。
インドネシア1,000年の歴史をもつ武術、プンチャック・シラット。
ジギット師の流儀「プリサイ・ディリ」は、その一つ(800もの流儀が存在するという)。
その特色は、「効率性、合理性、人間の解剖・生理学に基づいた技の構成。この3つです」とシギット師はいう。
そしてそれは「最小限の動きで最大の効果をあげる」ことにつながる。
たとえば冒頭の、指先への集中。
シギット師は、指一本という最小限の”武器”で実演してみせる。
——修練性に棒をしっかりと持たせ、自分はその先端部に指一本をあてがう。すると次の瞬間、棒がしなるほどの力で押し込まれているにも関わらず、ツィーっと事もなげに押し返してしまった。
「指一本でも、ここに集中させられれば、強力な武器になるんです」
入門から一年すると、武器術にはいる。
最初はナイフ。そして剣、そのあとに棒。
プリサイ・ディリでは、じつに多彩な武器を用いる。Golok(ナイフ)、Pedang(剣)、Toya(棒)…、Katana(日本刀)、扇子、鞭…。
「昔インドネシアは日本の占領下にあった時代がありますから、Katana(日本刀)という武器が広まっています。1940年代に学生は刀の扱いを勉強しなければならなかったんです」
「日本刀の扱いは、どちらかというと剣よりも棒と共通するところが多いですね」
片手で用いるナイフや剣と違い、両手で扱うということがあるらしい。ちなみに変わり種の武器、ステッキ(杖)が最も日本刀の刀法に似ているという。そのステッキには傘の柄のように湾曲した引っ掛ける部分があり、引く動作が多用されている。
ジギット師の真骨頂はナイフ。
「初伝にして極意」
——生で見ていると「いまの動作で何回斬りつけたのか」がよくわからないほど速い。このときジギッド師がてにしていたのはGolokと呼ばれる、ナイフより大ぶりな長ナイフ。けっこうな重量もある。それでいてその重さなどまったく感じさせない軽やかな動きだった(月刊秘伝)。
ほかの武器に比べて、このナイフの動きが最も小さい。
力む必要はおろか、大仰に動く必要さえない。
「最小限にして最大の効率」
ジギット師いわく
「攻撃は、最初から最後までフルパワーでいる必要はありません。当たる瞬間に、集中させられればいいのです」
そして最後に、こう言って笑った。
「名刺でも武器になりますよ」
(了)
ソース:DVD付き 月刊 秘伝 2014年 05月号 [雑誌]
シギット・プラコン「理を得た身体は、武器と一体化する」
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