2014年6月10日火曜日
身体で見る [イチロー]
イチローという野球選手は
ボールを「眼で見ない」という。
「身体で見る」というのだ。
たとえば、イチローはこんなことを言っている。
「初めて対戦するピッチャーだと、どうしてもボールを見てしまうんです。だからスイングの始動が遅れるんです。ボールを見ようとすることにって、すべての動きに0コンマ何秒かの遅れが出てしまうんです」
ここで言われてる「ボールを見る」という行為は、決して良い意味ではない。「見ると遅れる」と彼は言っているのだ。
それは科学的にも理にかなっている。
——眼でモノを見て、それが視神経に伝わり、脳内で意味のある情報として認識されるまでには「約0.1秒」の時間がかかる。時速150kmのボールだったら、その間に4mも進んでしまう(Number誌)。
つまり、いくら動体視力が良くても、目で見てから判断していたのでは遅きに失してしまうということだ。
しかし一般的に「ボールをよく見ろ」とはよく言われる言葉だ。
実際、打撃瞬間のイチローの写真を見てみると、その目はバットとボールの打点をしっかりと見ている。
だが、ここで勘違いしていけないことは、イチローは目に入った画像を脳で処理するまで待ってはいないということだ(その分析結果を待っていたのでは、必ず0.1秒以上かかってしまう)。
すなわち、イチローの目は確実にボールをとらえてはいるが、その情報は脳を経由せず、直接全身の動きに直結しているのである。
それが、彼のいう「身体で見る」ということなのだろう。逆に「目で見る」ということは、頭で一度考えてしまうことを言うのだろう。
なるほど。
厳密にいえば、見ることとそれを認識することは同時ではない。必ずタイムラグ(時間差)が生じている。
考えていたら遅い。目と脳がつながる前に、目と全身がつながる必要がある。まさに「身体で見る」というような。
余談ではあるが、古来日本ではこんなことが言われてきた。
「目で聞く」「耳で見る」
剣豪・宮本武蔵はこう言った。
「観の目つよく、見の目よわく、遠きところを近く見、近きところを遠く見る」
いずれも、通常の見るという行為の枠内にあっては理解不能の言葉ばかりである。
(了)
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 7/17号 [雑誌]
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