2014年6月24日火曜日
20年越しの悲願 [コロンビア]
今から20年前の、1994年のコロンビア代表は歴代最強だったと言われている。
アメリカ大会を前に、王様ペレはこう断言した。
「ワールドカップで優勝するのは彼らだ」
当時のコロンビア代表、カルロス・バルデマラは言う。
「あの頃、わたしは32歳だった。ミッドフィルダーとしてちょうど成熟していた時期だ。まさにキャリアのピークにあったんだ」
彼のトレードマークは、芸術品のような黄金のアフロヘアー。
「わたしにはパスの出しどころも多かった。1994年の代表には、最高の選手がそろっていたからね。彼らを活かすだけでよかった」
——バルデマラの金色の頭のなかには、彩り豊かなアイディアが、おもちゃ箱みたいにぎっしりと詰まっていた。どれだけ相手に囲まれようが、抜け道とパスコースが自然と浮かんでくる。どんなパスだって通せる。そんな自信があった(Number誌)。
バルデマラは振り返る、「アメリカW杯で何かデカイことをやってのける。わたしは本気でそう思っていたんだ」。
W杯の南米予選は、破竹の勢いで突破した。
強豪アルゼンチン相手にも、5-0で大勝。
アメリカW杯を前に、人口3,450万人のコロンビアは沸騰寸前だった。
国民の誰もが確信していた。
われらが代表チームは簡単にグループリーグを1位突破するだろう、と。
——しかしその夏、人々が夢見たワールドカップは届けられることがなかった。英雄になるはずだったコロンビア代表選手たちは、予定よりもずいぶんと早くアメリカを去ることになる(Number誌)。
初戦のルーマニア戦
コロンビア代表はいきなり躓(つまず)いた。
1-3で試合を落してしまうのだ。
「相手の研究もろくにしていなかったから、ルーマニアがどんなプレーをするのかも見当がつかなかった。その頃、相手は必死に僕らの研究をしていたというのにね」
優勝候補ともてはやされ、代表選手らは明らかに慢心していた。初戦を前にしても緊張感は皆無。チームがアメリカ入りしたのも、出場国中で最も遅かった。
——初戦に敗れたことで、コロンビア国内には激震がはしった。グループリーグなど、ほとんど助走くらいにしか捉えていなかった国民にとって、それはまったく予想外の出来事だった(Number誌)。
そして、第2戦のアメリカ戦を前に事件が起こる。
チームに殺人予告が届いたのだ。”もしバッラバスがプレーすれば、彼とその家族、そして監督のアシスタントを殺害する”と。
バルデラマは言う、「チームは動揺を隠せず、アメリカ戦の前には戦術ミーティングすらなかった。頭にあったのは不安だけだった。とても集中できる環境ではなかった」
迎えたアメリカ戦
ここで痛恨のオウンゴールがあった。
エスコバルが、枠を外れたアメリカのシュートに足を出してしまった。ボールはそのままコロンビア・ゴールに吸い込まれていった。
——この失点で、選手たちが辛うじて保っていた緊張の糸はプッツリと切れた。膨らんでいた夢が、はじけるように消えていった(Number誌)。
結果は1-2でコロンビアの敗戦。
事実上、グループリーグ敗退が決定づけられた。
バルデマラは振り返る、「チームには驕りがあり、集中に欠け、相手へのリスペクト(敬意)はこれっぽっちもなかった」
代表チームを率いたマツラナ監督は言う、「プレーする前から王者になったと勘違いしたことが、大きな代償を払うことになった」
しかし、本当の悲劇はそれからだった。
失意の帰国後、アメリカ戦でオウンゴールを決めてしまったエスコバルが、外食中に射殺されたのである。
犯人グループは、「オウンゴールありがとよ」と捨てゼリフを残した。
「…そのことについては、話したくないんだ…」
20年たった今も、当時の代表選手らの心の傷はいやされない。
マツカナ監督は、ようやく言葉を絞り出した。
「なぜサッカーの1試合が、ひとりの素晴らしい人間の命を奪うことになるのか…。私にはまだ分からないんだ…」
余談ではあるが、この事件後、日本ではオウンゴールを「自殺点」と訳すことをやめた。また、「サドンデス(突然死)」という表現も「Vゴール」と改められた。サッカー用語で死を連想させる言葉は、徹底的に排除されたのだった。
以後、コロンビアはサッカー低迷期にはいる。
黄金のアフロ、バルデラマは次のフランスW杯で引退。このときのチームもグループリーグ敗退に終わっている。
それから3大会(12年間)、コロンビアはW杯出場を逃し続けた。
「あの事件以来、コロンビア国民は代表戦のサッカーから遠ざかるようになったんだ。代表の話にすら触れてはいけないようなムードだった」
そして今年(2014)、コロンビア代表はついに復活を果たす。
4大会ぶりのW杯出場。FIFAランキングは一時3位にまで上昇、現在も堂々の5位。ダークホースとしてベスト4入りを目されている。チームを蘇らせたのは、アルゼンチンの知将ペルケマンだった。
「ようやくコロンビアは、この場所に戻ってくることができた。母国をふたたびW杯の舞台で見られるなんて夢のようだよ」
バルデラマの感慨は深い。彼はコロンビア代表の絶頂期と低迷期を目の当たりにしてきた。いまはアメリカのTV局で解説をつとめている。黄金の髪の毛はボリュームが減ったとはいえ健在だ。
「このチームが私たちが成し遂げられなかった夢を達成してくれることを願っている。それは、長い間W杯に出られなかった国民全員の願いでもあるんだ」
「コロンビア! コロンビア!」
地鳴りのような掛け声、耳をつんざくほどの歓声。
一時はサッカーを忘れようとした国民は、ふたたび熱狂の渦のなかにある。
現代表は強い。
しかし1994年の代表はもっと強かった。
コロンビア国民は、そのどちらが強いかを熱く語り合う。
「カガワ」や「ホンダ」という言葉もちらちら飛び出す。
酔いにまかせ、嬉々として。
(了)
Number増刊 コロンビア戦速報 2014年 7/9号 [雑誌]
ソース:Number (ナンバー) ギリシャ戦速報 2014年 6/30号 [雑誌]
バルデラマ「コロンビア黄金時代、再び」
コロンビア「20年越しの悲願を」
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