2014年5月22日木曜日

足のカカト、手のカカト [柳生新陰流]



「足は親指、手は小指」

武芸の世界では、よくそう言われている。

——これらは”体幹に近い側の指”であり、ひいては末端から力を生むのではなく、”体幹から力を生起せよ”という教えを意味している(月刊秘伝)。



宮本武蔵いわく

「きびすを強く踏むべし(五輪書)」

その”きびす”とはカカトのことである。とりわけ古流武術においては、”力はカカトから生む”とされている。

柳生新陰流の運足をみても、爪先を上げ気味にしてカカトを強く踏む。



また手において、柳生新陰流では”下筋(したすじ)”、すなわち小指から腋へ至る”腕の裏側のライン”と効かせることが要諦とされている。

——手之内は、手首のちょっと小指寄りくらいの”へこんだ所”を柄(つか)に当てる(月刊秘伝)。

普通に刀をにぎると、親指の下(母指球)辺りのところを当ててしまいがちだが、それでは「身体と剣がつながっていない」状態。体幹からの力を剣に伝えるためには、より小指側のポイント(少しへこんだ部分)で握る必要があるという。



赤羽根龍夫師範(柳生新陰流)いわく

「ここ(手の小指寄りのへこんだ部分)は、足でいえば”カカト”なんです。運足に関してはカカトを強く踏む。力はカカトから起こし、手のカカトを通じて剣先に伝える」

そうした”下筋(したすじ)”の効いた手之内が定まると、親指から人差し指が自然にU字型に開く。これを柳生新陰流では「龍ノ口(たつのくち)」と呼び習わす。

また、剣を振る際は手首を動かさず、スナップを効かす動作は使わない。これも体幹からの力をロスなく伝達させるためだという。







足のカカトと手のカカト

それが柳生新陰流に入門して最初に教わることなのだという。

「手之内と運足。厳周先生はこれこそが大事なんだと強く説いていたそうです」と赤羽根師範は言う。

厳周先生とは、尾張柳生十代宗家・柳生厳周。



柳生厳周の教えを現代に受け継ぐ「春風館(名古屋)」では、加藤伊三男館長の許可のもと、”最初からすべてを教えてしまう”という教伝方針をとっている。

型を教えるにしても、やさしい型から始まって、だんだん複雑に難しくなるという形をとってはいない。

赤羽根師範いわく、「複雑にしていくのではなく、最初は大きくやって、それを小さくしていく、ということをやっているんです」



たとえば、奥義之太刀「向上(こうじょう)」

——動きがあまりにも小さい。もはや無作為に思えるほどさりげない。それでいて剣先にはきちんと体幹からの力が伝わっている。こんな小さな振りで大したことなかろうという思いとは裏腹に、体がもっていかれるほどの重い衝撃を受けた。実際に本気で喰らったら、きっと何をされたか、しばらく気付けないだろう(月刊秘伝)。

——すべての基本を一つも取りこぼすことなく洗練してゆくと、これほどまでに研ぎ澄まされた技になるのだ(同出)。

ちなみに、かつて柳生石舟斎が上泉伊勢守に敗れたのが、この技だという。敗れた柳生石舟斎は上泉に教えを請い、新たに無刀の極意を工夫して「柳生新陰流」を起したのである(のちに徳川家康の目にとまり、柳生家は将軍家の兵法指南役となる)。



赤羽根師範はつづける、「歳をとっていくと、瞬発力や反射神経など肉体的な速さはどうしても衰えていく。どうしたらそれを乗り越えられるか? そこを研ぎ澄ましていくのが古流剣術なんです」

——はたして、サムライたちは筋トレに励んで力に頼ろうとしたか? 30歳代になったら戦うことを諦めたか? 






(了)








ソース:DVD付き 月刊 秘伝 2014年 05月号 [雑誌]
柳生新陰流に秘められた”瞬撃力”発動法






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