2014年5月21日水曜日
旅は終わりへむけて… [浅田真央]
まさか…
ソチの風は浅田真央に厳しかった。
ショート、まさかの16位発進…。
そこから一転、すべての思いをかけたフリーは、トリプルアクセルを成功させ人生最高の演技。
しかし、その急浮上をもってしてもメダルは遠く、6位に終わる。
——帰国した途端、悔しさが湧いてきた。
その悔しさの渦中で、浅田は自問自答する。
「オリンピックのときは、思った以上に自分で自分にプレッシャーを押しつけていた。気持ちが後ろ向きになったらダメなので、前に、前に…」
帰国1週間後からさっそくハードな練習に戻し、世界選手権へと気持ちを切り替えた。
「前に、前に。何も考えず、無心に…」
2014年3月
世界選手権の会場、さいたまスーパーアリーナに着くころまでには、すべての歯車が噛みあっていた。
「ソチでの悔しさを晴らしたいという思いで、一日も無駄にせず追い込んできました。ジャンプはつかんでいます」
迎えたショートの夜。
——冒頭で美しいトリプルアクセルを決めると、波にのった。得点は78.66。自己ベストを更新して首位にたった(Number誌)。
自己ベストにして、それは世界レコードだった。
インタビュー記者は聞いた。「ソチ五輪でこの演技をできれば良かったですか?」
浅田の答えには、一片の迷いもなかった。
「それはないです。あの悔しさがあったからこそ、この場で出来ました。それに、日本で満員の会場での世界選手権という素晴らしい舞台だからこそ、成功したと思います」
彼女の頭のなかには、”たられば”の文字などありえなかった。
——そしてここからが正念場。フリーは滑るまえから会場の熱気が違った。現役最後かもしれない姿に、1万8,000人の声援は悲鳴のよう(Number誌)。
その喧噪のなか、浅田はコーチの佐藤信夫と、無言で向き合っていた。
「もう先生はうなずくだけ。何も話さず、お互いがうなずくだけでした」
冒頭のトリプルアクセル。
スムーズに着氷。
「3回転+3回転」へと続く。
最後のスパイラル、
佐藤コーチは叫んでいた。
「いけーーっ!」
その声に背中を押されたように、浅田はスピードをあげる。
——フィニッシュで一気にストップをかけると、氷が飛び散った。総合216.69点。2010年につづいて3度目のタイトルは自己ベスト更新だった(Number誌)。
表彰式でメダルを受け取ると、浅田は佐藤コーチのもとへと駆け寄り、その首に金メダルをかけた。
「本当はソチでかけてあげたかったけど、叶いませんでした。だからこの試合で、先生と4年間やってきたことを出し切って、メダルをかけてあげたかったんです」
思えば、バンクーバーからソチへの4年間、浅田と佐藤は根比べをしていたようなものだった。
「我慢、我慢。考えて、考えての連続でした」
最初の1年、浅田は「違う」と言われても、何が違うのかもわからなかった。佐藤は「会話するのも難しい」と、両者の接点は希薄であった。2年目は、トリプルアクセルを跳びたがる浅田と、まだ跳ばせたくない佐藤が、正面からぶつかりあった。
そして3年目、ようやく基礎力のついた浅田は、トリプルアクセルなしでも勝てるという快進撃。ジャンプの成否に関係なく高いスコアを出せるようになっていた。
しかし、「集大成」といって臨んだソチでは、まさかのミス連発。先述のとおり6位に沈み、その悔しさを抱えての世界選手権という大舞台。
「世界選手権のあと、もし競技をやらないとか休むとしたら、信夫先生とこのあと1ヶ月しかないのかなと、寂しい気持ちもありました」
そして快心の金メダル。
それがついに、佐藤の胸に光っていた。
——佐藤はひとり、地下通路へとむかう。リンクから記者会見場まで5分。あらわれた佐藤は赤い目をしていた。カメラを前に、あわてて両目をゴシゴシと子供のようにこすり、襟を正した(Number誌)。
佐藤は言う。「4年前、彼女はすでに世界チャンピオンで、正直なところ僕は何をすればいいんだろうと右へ左へと迂回する日々が続きました。やっと2人の言葉がかみあい、これからという時。不思議なもので、彼女から奥深い味がでてくるようになりました」
満足のなかに名残りをにじませながら、佐藤は浅田との4年間をしめくくった。
——その夜、浅田やスタッフは佐藤の部屋に集まった。いつもなら次の試合にむけての反省会。でもこの夜は違った。
”次の試合”がいつになるのかも分からない。
「引退はハーフ&ハーフ」と浅田。
だからその夜の反省会は「スケート以外のいろいろなことのおしゃべり」。
「信夫先生の昔話を聞いたり。もう演技のことは何も言われませんでした…。」
浅田の心もまた、満足感と惜別のあいだで揺れていた。
もう佐藤から注意を受けることもないのだろうか。
「フリップを跳ぶ前は、2段モーションにならないように」
「スパイラルでスピードが落ちないように」
身体に染み込むほど聞いた数々のセリフ、それは浅田の耳奥にまだ響いている。
——スタジアムの外では、満開の桜が春の嵐に揺れていた。そして浅田はこの日、佐藤と歩んだ4年の旅を卒業した(Number誌)。
(了)
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 4/24号 [雑誌]
「信夫先生にメダルをかけてあげたかった」浅田真央
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