2013年9月23日月曜日
やきもち焼きの大横綱「大鵬」 [相撲]
「巨人 大鵬 卵焼き」
”読売巨人軍を嫌いな野球小僧なら珍しくない。卵料理の苦手な子供もいるだろう。でも「美して強い横綱」を許せないと憤る少年少女はマレだ。本年(2013年)1月に72歳で天へ召されるまで、過大ではなく日本人のほとんどすべてが「横綱・大鵬」を崇め、そうでなくとも好意を寄せた(Number誌)”
大鵬は言っていた。
「今も胸を張って堂々と言えることは、『私はラーメンの一杯も食べたことなく相撲界に入った人間だ』ということ」
”若き日の母は、南樺太の港町の洋服店で働き、白系ウクライナのコサック騎兵と恋に落ち、将来の大横綱を授かった。父との生き別れ、牧場経営の失敗、もっぱらカボチャで空腹をしのぎ、弟子屈(てしかが)の定時制高校に通いながら営林署の仕事に励んでいたら、二所ノ関部屋のスカウトがやって来た(Number誌)”
”ちゃんこ鍋のスープをお玉にいちいち取って、浮いたアクに息を吹きかけて飛ばすのは、一滴も無駄にせぬためである(同誌)”
早い出世で貧困を脱出すると、大鵬は押しも押されぬ名横綱となった。
”全盛期の巡業では、ひしゃくの水を口に含んだまま5人の大関を次々と退けて、最後にピュッと吐き出した(Number誌)”
著書『知られざる大鵬』には、そうした公の存在である横綱とは別の、夫人をめぐる「家庭の大鵬」の姿が描かれている。
”やきもち焼きで、その上、本当に心配性。国際線の機内で(夫人が)外国人男性とほんの少し話をしただけで「一日じゅう不機嫌な顔」。(夫人が)テレビをつけたまま電話を取ると、受話器の向こうでは「誰かいるのか? 男の声がするぞ」”
”用心深さと猜疑心にくわえ、滑稽なまでにセッカチ。手先が器用なので、いつかテレビの修理を頼んでおきながら、電気屋さん到着の前に自分で直してしまった”
「巨人 大鵬 卵焼き」
昭和時代、子供および大衆に人気があるものとして、このフレーズが大流行した。
しかし実は、この流行語を大鵬は好まなかったという。
”資本を投じた財団と「ひたすら稽古一筋」の個たる自分を比べてくれるな…、という内容の発言が周辺取材から明らかにされている(Number誌)”
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 10/3号 [雑誌]
「忘れがたき秘話で綴った、”人間”大鵬の素顔」
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