2013年7月1日月曜日
「飛ぶボール」とされた今年のボール [野球]
過去、何度か行われてきたプロ野球の「ボール調整」。
「ボールの変化が、打撃成績に最も劇的に影響を与えたのは、戦後間もない1949年と1950年のことだった(Number誌)」
ホームラン数は、1948年の「391本」から翌年には「874本」に激増(およそ2.2倍)。その翌1950年には、年間30本塁打以上の選手が9人誕生。それまでは1人もいなかった。
この2年間、当時としては初めて、機械で自動製造された国内メーカーの「高反発球」が採用されたのだった。
「打高投低が行き過ぎた」
ホームランの急増を受け、NPB(日本野球機構)はボールの反発力を初めて「規制」。
「その結果、規制された1951年のホームラン数は前年比44%減、30本塁打以上も2人になった(Number誌)」
その後、ふたたび「ボールの反発力」が注目されるのは1980年。
「4月の近鉄vsロッテ戦でホームランが続出する中、近鉄打者のファウルボールをロッテ側が確認したところ、日本野球機構の『合格印がなかった』として審判団に抗議、連盟提訴となった(Number誌)」
当時、反発力を測るのにボールを床に落とす方法が用いられていたが、この年からより精度の高い測定法を求めて「新たな測定機」が開発されていた。
さっそく、その測定機で当時のメーカー7社のボールを調べてみると、美津濃(現ミズノ)のボールが他社より推定飛距離で「11m以上飛ぶ」という結果が出た。
以後、NPB(日本野球機構)は公認する平均反発係数を「0.4374〜0.4134」と定める。
すると翌1981年、ホームラン数は「飛ぶボール」が用いられていた前年の計2,045本から、1,618本にまで大幅に減った(約20%以上減)。
そして今年(2013)、ふたたび「飛ぶボール」に脚光が当てられた。
「今回の騒動で強調しておくべきことの一つは、今年のボールはいわゆる『飛ぶボール』ではないということである(Number誌)」
「飛ぶボール」とされた今年のボールだが、じつはその反発係数は「0.416」と、ここ10年平均の「0.418」よりも低いのである。
では、なぜ問題化したのか?
「今回の問題は、NPB(日本野球機構)の統治問題であって、ボールそのものの良し悪しが問われているわけではない(Number誌)」
つまり、NPBの加藤良三コミッショナーがボールの微調整に「知らん顔」をして、選手たちにそれを知らせていなかったのが問題だというのである。
そもそも、どのようなボールがプロ野球にふさわしいのか?
「それは、どのような投打バランスを野球に求めるかによって変わってくるのであって、絶対的な正解は存在しない(Number誌)」
じゃあ、それを決めるのは?
「球界の最高統治者、NPB(日本野球機構)の加藤良三コミッショナーである」
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 7/11号 [雑誌]
「今年のボールは”飛ぶ”のか。反発係数の歴史を振り返る」
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