「天からの贈り物」
ラグビー日本代表のHC(ヘッドコーチ)、エディー・ジョーンズがそう評価するのは、マフィ(Amanaki LELEI MAFI)。エディー・ジャパンの最終兵器ともいわれ、その身体能力たるや異次元。
”マフィは、エディー・ジャパンのアタックを完成させるラストピースだ。昨年11月に彗星のごとく代表デビューを果たした。世界でもトップレベルの突進力は、日本代表の攻撃オプションを大幅に増やすだろう(Number誌)”
◆アマナキ・レレイ・マフィ
「私の家は貧しい。とても貧しい。これが最後のチャンス、そう思いました。ここで自分の力を出し切るほかなかった。そうでないとトンガに帰ることになる。私にとってはビッグゲームだったのです」
16人兄弟の15番目に生まれたマフィ。母国トンガでは家族が疲弊していた。このときマフィが ”ビッグゲーム” と言っているのは、大阪で開かれた3年前の「関西ラグビーまつり」。当時マフィは花園大学の3年生。関西大学南北対抗の北軍、ナンバー8として出場していた。
”チョコレイトの肌の北軍ナンバー8は、ひとり奮闘を続けた。タックル。トライ。またタックル。角界にたとえれば本場所でない「花相撲」に張り手をかまし、額をこれでもかとぶつけ、ちぎって投げれば鬼の目で睨みつけた(Number誌)”
しかし結果は26-74。48点という大差の黒星。
大敗の芝生の上、マフィは何を思ったか。トンガの家族の姿であろうか。
◆日本代表
それから一週間後だった。
トップリーグ中堅クラブのNTTコムから電話がかかってきた。
「練習に参加してみないか」
見る人は見ていた。ひとり気を吐いていた勇士の力闘を。そしてNTTコムに内定。土俵際で日本に踏みとどまった。
トップリーグ開幕から、マフィは2戦連続出場。
日本代表のHC(ヘッドコーチ)、エディー・ジョーンズはこの大魚を見逃さなかった。即座に、このトンガ出身のルーキーの代表スコッド入りを、チーム関係者を通して伝えた。
”エディーの直感はよく当たる。日本代表を率いた4年間で、もっとも素晴らしい直感となったのが、マフィの起用だ。まだ一部のラグビー関係者にしか知られていなかったマフィをひと目見て、正確にはたった一回のプレーを目撃して、日本代表に加えることに決めたのだ(Number誌)”
エディーは言う。
「そういう選手は突然、目の前に現れる。ひとりだけ『自分を選べ、自分を選べ』と訴えている。あの時のナキ(マフィ)がそうでした」
と同時に、母国トンガ代表のマナ・オタイ監督からも「招集したい」とのメッセージが入る。
「なんで、いきなり…」
マフィはトンガでU18、U19、U20と各年代別の代表選手に選考されていた。しかしオタイ監督からは「君のプレーを見たことがないので選べない」とすげなく断られていた。
「なのに、なぜいま…」
マフィの心はもう、日本代表に報いる決心をしていたのだった。トンガ代表への道が閉ざされ、失意のドン底にあった自分を拾ってくれたエディー・ジャパンに。
◆ナンバー8
2014年11月、アマナキ・レレイ・マフィは日本代表として、マオリ・オールブラックスとの初戦に途中出場した。
”後半12分、SO(スタンドオフ)の小野晃征が縦を抜くと、外に走り込んだマフィはインゴールへ。宙を舞って楕円球をおいた。あの瞬間、神戸のスタジアムにおける印象は「怪鳥」。バサッと羽根の音が聞こえた(Number誌)”
結果は21-61の完敗だったが、HC(ヘッドコーチ)エディー・ジョーンズはマフィの力量を確信、翌週の第2戦には先発の8番を与えた。第2戦も18-20と惜敗したが、エディーHC(ヘッドコーチ)はマフィの奮闘を喜んだ。
「ナキ(マフィ)は信じられないほど良かった」
”マフィは続いて欧州遠征にも参加。ルーマニア、グルジア戦でキャップを獲得する。「100m走は2秒4。NTTコムで一番速いんです」。静止からの初速に優れる。どちらかといえば日本選手の得意な領域だ。ナンバー8のサイド攻撃では強さよりも一瞬の加速が効く。もちろんトンガ生まれらしく、骨きしむコンタクトなら骨まで愛している。スター誕生!(Number誌)”
「シンデレラ・ストーリー」
エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)は、この言葉でマフィを讃えた。
◆黒雲
2014年12月7日、悲劇がおこった。
”名古屋でのトップリーグ、トヨタ自動車戦。外国人枠の関係で後半24分に登場のマフィは、覇気をむき出しに当たり倒し、約10分後、ラックの場に倒れた。左股関節、脱臼骨折。指の先にあったW杯は瞬く間に視界をはなれた(Number誌)”
マフィは言う。
「脚の下のボールを拾おうとしたら、誰かが背中に。音はしました。でも、どこを痛めたかはわからなかった。衝撃でした。でも、これが人生です」
手術からリハビリ。翌年9月開幕のW杯まで復帰が間に合うのか。ほぼ絶望的な重傷だった。
トンガの家族が脳裏にうかぶ。
トンガ王国のトンガタプ島。兄弟姉妹は総勢16人(男11人、女5人)。マフィは15番目。
”一家は、タロイモ栽培など農業で細々と生計を立て、海外在住の家族や親族の送金だけが頼みの綱。仕送りが途絶えると、乏しい食料を大家族で分け合わなければならなかった(Number誌)”
マフィは言う。
「ハードライフ。ベリー・ハードライフ。でも、いま80歳の父は、なにひとつ、あきらめませんでした。感謝しています。尊敬もしている。そんな父にとって最も辛かったのは、私がトンガと日本の代表のどちらかを選ぶときです。それでも、”自分で決めなさい。必ずサポートする”と」
学業に秀でていたマフィは最初、「会計士をめざしていた」。京都の花園大学への留学は、日本で開催されたU20の世界大会「ジュニア・ワールド・チャンピオンシップ」での活躍がきっかけだった。
「ハナゾノは強いですか?」
勧誘担当にそう聞いたマフィは、「はい」の返事をもらって文学部に入学することになった。
「サンマン円、毎月もらいました。イチマンゴセン、ニマン、トンガに送ります。残りで生活。土日は(寮の)食事がないので、自炊のライスだけ食べることもよくありました」
卒業論文は『トンガ王国の葬儀』。マフィは敬虔なカトリック教徒だったが、臨済宗系の大学で日本文化をよく学んだ。
「私が怪我にもあきらめなかったのは、父のおかげです」
不屈の男マフィは、W杯をあきらめるわけにはいかなかった。
「(W杯は)ベストの集まるベストの大会」
病室に、エディーHC(ヘッドコーチ)からジャージーが届いた。
そのジャージーに記されていた文字。
「9月19日 南アフリカ戦」
それはW杯初戦の日時であった。
◆痛手
奇跡の復活。
大怪我から8ヶ月後、マフィは決戦の地イングランドで、桜のエンブレムを身につけていた。
世紀のジャイアント・キリングを成した南アフリカ戦。終了間際の、劇的な逆転トライへのパスは、マフィの猛進によってつながれた。
”2点ビハインドで後半を迎えた時点では、南アフリカに試合をコントロールされそうな気配が漂いはじめていた。この嫌な流れを断ち切って、ふたたび日本の流れを作ったのが、後半5分にピッチ上に姿を現した背番号20番、マフィだった。マフィは最初のボールタッチから、関節に特別仕様のバネでも入っているかのような躍動的な突破を繰り返した(Number誌)”
”圧巻はヘスケスの逆転トライにつながる、最終フェイズでのハンドオフからの正確な飛ばしパス。マフィは相手を腕で制してボールをつなぎ、劇的な逆転トライを演出した。マフィは後半だけのプレーにもかかわらず、日本チームで最高のゲインを獲得”
まさに「フィジカル・モンスター」、マフィ。
勝利後、得意の関西弁で、こう破顔した。
「夢が叶った! 勝つことができて、メッチャ嬉しかった!」
つづくスコットランド戦。
試合前、スコットランドは要警戒人物として先発のナンバー8、マフィの名前を上げていた。実際、0-6と突き放しにかかったスコットランドに、前半14分、魂のトライですがりついてきたのは警戒人物マフィだった。
”五郎丸のロングキックで相手陣5メートルまで迫って得たマイボールのラインアウト。モールを形成して左斜め方向へじわりじわりと押し、最後はマフィがインゴールで押さえた(毎日新聞)”
一気に1点差に詰めた日本。そのコンバージョン・キックを五郎丸が決めて、一時日本は7-6と逆転に成功。初戦の大金星につづく快進撃を予感させた。
”だが、マフィの右足は限界だった。前半33分には密集からダイブでトライを狙う果敢なプレーで沸かせ、後半3分には力強いランで攻め上がった。日本に反撃ムードが高まったが、同5分にアクシデントが襲った。密集で右太腿を痛めその場に仰向けになった。立ち上がれずに担架に乗ってピッチを退く。存在感を際立たせたトンガ出身の25歳には万雷の拍手が送られた。だが、日本はこれで流れを明け渡す結果となった(スポニチ)”
試合中に病院に運びこまれたマフィ。松葉杖をついて会場に戻ってくるも、日本は10-45とスコットランドに敗れてしまっていた。
「大きな痛手」
エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)は、抜群の突破力を誇っていたマフィの戦線離脱に肩を落とした。
◆世界のマフィー
エディーは常づね、日本代表を「体格的に劣り、パワーが足りない」と評する。しかし、こう付け加える。
「マフィは例外」
そして2015W杯、最終戦となったアメリカ戦。
マフィは不死鳥のごとく、ピッチに舞い降りた。
”日本にとって最後の試合となったアメリカ戦、マフィは”アタック要員”として後半から投入された。そして相手ゴール前でのPK(ペナルティキック)のチャンスで「タッチキックをお願い」すると、責任はとるとばかりに、モールからの突破でトライを奪い、手がつけられない状態のまま大会を終えた(Number誌)”
W杯を終えたマフィは言う。
「なかなか良い気分。ワールドチャンピオンを破った。ラグビーの歴史を変えた。夢みたい」
”マフィにはすでにフランスのトップクラブとの契約間近との報道があり、本人も「オファーはたくさんある」ことを認めている”
”ワンプレーをきっかけに日本代表入りを果たしたマフィは、W杯の舞台でもやはり、ワンプレーで世界の注目を集める存在となった”
「日本のヤマト魂!
ボクは日本人です!
これからもヤルでぇ!!」
(了)
ソース:
Number PLUS(ナンバー プラス) ラグビーW杯完全読本 2015 桜の決闘 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))
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