2013年8月16日金曜日
甲子園「最後のバッター」 [野球]
一度負ければ全てが終わる甲子園。
その「最後のバッター」となる想いやいかん。ある者は力なく天を仰ぎ、ある者は地にへたりこむ。
その瞬間に、彼らが見た光景とは…?
2009年8月24日
夏の甲子園「決勝戦」
日本文理 vs 中京大中京
日本文理は「4−10」という大量6点リードを中京大中京に許して、最終回を迎えていた。
「もうダメかな…」
そんな雰囲気が日本文理のベンチには支配的だった。
最終回の先頭打者「若林尚希」が、さっそく見逃し三振に倒れたことが、ベンチの雰囲気を一層暗くしていた。
若林は日本文理の「正捕手(キャッチャー)」。ピッチャーの「伊藤直輝」と二人三脚で、甲子園決勝進出という長い物語を紡いできた。
若林と伊藤のバッテリーは小学4年生以来の名コンビであり、同じ郷里の新潟県関川村という人口6,000人あまりの小さな村でともに育った幼馴染みだった。
日本文理に進んでからは、ピッチャー伊藤が1年の時からエースナンバーを任されたのに対して、キャッチャー若林は2年になっても控えのまま。懸命に伊藤の背中を追った若林は、ようやく2年の秋になってからバッテリーを復活させることになる。
「しっかり捕るから、思い切って投げろ」
最後の甲子園、若林はエース伊藤にそう声を励まし続けた。そうしてピンチを凌ぎ切るたびに、バッテリーの絆はいよいよ深まっていた。
「やっぱり、若(若林)が一番投げやすい」
そんな伊藤の一声は、キャッチャー若林にとって何よりも嬉しいものだった。
しかし、深紅の優勝旗にあと一勝と迫った決勝戦。
優勝候補・中京大中京に一時、点差は7点と広げられ、最終回を迎えても6点を追わなければならない半ば絶望的な展開だった。
それでも奇跡を信じた最終回が、最後の幕を上げた。
冒頭記した通り、必勝を期した先頭打者・若林はあえなく見逃しの三振。続く打者も難なくショートゴロに打ち取られ、瞬く間にツーアウトの瀬戸際に追い込まれてしまっていた。
マウンド上で不敵な余裕を見せるのは堂林翔太。現在、広島カープで活躍する名投手である。だがこの後、勝利を確信していたであろう堂林は、「甲子園には魔物がいる」という俗説に肝を冷やすことになる。
いよいよ「奇跡の19分間」が始まろうとしていた。
日本文理の最後の攻撃は2番、3番が長打でつなぎ、ツーアウトから2点を返す。
この時点、スコアは「6−10」。点差はまだ4点。
そして、打席には4番の吉田雅俊が立つ。しかし吉田は、堂林のストレートを三塁後方のファールゾーンに打ち上げてしまう。
ベンチにいた若林は、その浮いたファール打球を目で追いながら「夏の終わり」を予感していた。その打球はそれほど平凡なフライだった。
ところが…、甲子園の魔物がそうさせたのか、中京大中京の三塁手はその平凡なフライを「まさかの落球」。
そのラッキーな結果、4番・吉田は最後のバッターとなることはなく、さらに堂林の制球の乱れから四球(ファーボール)で一塁へ。中京大中京の投手・堂林はここでマウンドを降りることになる。
「この時、中京の選手たちが魔物に呑まれようとしていると感じました」と若林は振り返る。甲子園に「異変」が起こるのは、この後である。
続く打者も四球を選び、ついに2死から満塁とした日本文理。4点の差に一打で追いつけるチャンスを迎えていた。
バッター・ボックスに立ったのは、若林の幼馴染みにしてエース、伊藤である。
「イトウ! イトウ! イトウ!」
アルプス席(母校応援団)からではなく、内野の一般席から「イトウ・コール」が巻き起こる。
「おい、『イトウ』って言ってるよな…」
ベンチにいた若林は、そのコールに鳥肌が立っていた。
Number誌「甲子園には甲子園にしかつくれない風がある。甲子園に高校野球を観に来るお客さんの多くは『浮遊ファン』。特定のチームを応援に来ているわけではなく、高校野球そのものを応援しに来ている。そのため、試合展開やプレーする姿によって心が揺れる。あっちを応援したり、こっちを応援したり。ただし、そんな『移り気なファンの心』をガッチリつかむと、球場はそのチームのホーム・グラウンドと化す」
甲子園の風に後押しされた伊藤は、レフト前に2点タイムリーを放つ。
「8−10」、2点差へと詰め寄る。
続く代打も初球をレフト前へと運ぶと「9−10」、ついに1点差。
世紀の大逆転劇の予感に、どよめくスタンド。
甲子園の魔物に助けられ、大観衆の心をとらえてしまった日本文理は打順一巡の猛攻に沸いていた。
9回の先頭打者として三振に倒れていた若林に、まさかこの回2度目のチャンスが巡ってくるとは。
若林のとらえたのは、2球目のストレート。
打球は快音を残してサードへ…!
「抜ける!」
打った瞬間、若林はそう確信していた。甲子園の大観衆も息を飲んだ。
だが、はかなくも甲子園の魔物は移り気だった。
その会心の当たりは、「磁石に吸い込まれるように」三塁手のグラブの中に収まっていた。
それを横目で見た若林は、一塁を踏むことなく、グラウンドに両膝をついて崩れ落ちていた…。
「この最終回、1人で2つもアウトになったことが悔しかった…」
最後のバッターとなってしまった若林は、ここまで繋いでくれたみんなに申し訳ない気持ちで一杯になっていた。
そんな自省の中にいた若林に、ピッチャー伊藤は声をかける。
「ナイス・バッティング!」
幼馴染みのこの言葉に、若林は救われた思いがした。若林自身も「最後の打席で一番いいスイングができた」と感じていたのだ。
不幸だったのは、中京大中京の三塁手が良い守備を見せたことであった。先に「まさかの落球」をしていた同じ三塁手が。
この夏、日本文理を「9−10」という激戦の末に制した中京大中京は、史上最多となる7回目の夏制覇を果たした。
だが、敗れはしたが最後の最後まで粘りをみせた日本文理に、甲子園の大観衆は「鳴り止まぬ拍手」でその健闘を讃えた。
新潟の小さな村に「歓喜と誇り」をもたらしてから、今年で4年が経った。
ピッチャー伊藤は東北福祉大学でも投手を続け、今秋のドラフト会議を待つ。
キャッチャー若林は実家で暮らしながら、隣接する村上市の警備会社で働いている。あの夏以来、キャッチャーミットを手にすることなく…。
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 8/22号 [雑誌]
「ドキュメント 最後のバッター」
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