2013年5月30日木曜日
道なき道を13年。女子アメフト「鈴木弘子48歳」アメリカ代表に
6月のフィンランドで開催される「女子アメリカン・フットボール世界選手権」
そのアメリカ代表のメンバー表にある「Betty SUZUKI(ベティ・スズキ)」という名前。
日系アメリカ人?
いや、彼女は生粋の日本人だ。
東京・浅草生まれのちゃきちゃきの。
本名「鈴木弘子(すずき・ひろこ)」
アメフトを始めたのは30歳の時(1995)。
「初めて見たアメフトの試合が『自分が出た試合』だった」という、ブッツケ本番のアメフト・デビューだった(レディコング)。
友人に誘われて「お稽古感覚」で始めたというアメフトだったが、その「豪快かつ緻密なプレー」に一発で虜となり、2000年には単身アメリカへと渡ってしまう。何のつてもないままに(当時35歳)。
本場アメリカ・プロリーグの入団テストに、鈴木さんは見事合格。日本女子初、プロ選手第1号となる。
米国プロリーグWFAの平均体重は120kgというなか、鈴木さんはその半分程度の65kgしかない。巨漢アメリカ女性らに比べれば、大人と子供である。だが体格で劣る分、鈴木さんの持ち味は「速さと技術」だった。
アメリカ初年度、鈴木さんはフロリダのチームに所属(デイトナビーチ・バラクーダス)。だが、英語が全くわからない。それでも、遠い異国からアメフトだけのためにやって来た鈴木さんに、誰も彼もが親切にしてくれたという。
そしてチームは地区優勝。オールスター戦への出場も果たした鈴木さんにとって、華々しいデビューとなった。
2年目はアリゾナへ(アリゾナ・カリエンテ)。
チームメイトには「EQ」とか「Aボーン」とかいうニックネームの選手たちがいた。よくよく聞いてみると、EQは「Earthquake(地震)」、Aボーンは「Atomic Bomb(原子爆弾)」だそうで、鈴木さんは「凄いチームに来てしまったな…」と思ったらしい。
灼熱のアリゾナでは2シーズンを過ごし、それぞれ地区優勝と準優勝を果たすことになる。
そして今度は一転、フィラデルフィア(フィラデルフィア・フェニックス)。
サボテンの州から氷の州へ。とにかく寒い。クルマは氷に滑って回ってしまう。この地に一年しかとどまらなかったのは「寒さに懲りたから」だとか…。
次は太陽燦々、カリフォルニア(ロングビーチ・アフターショック)。アリゾナの暑さよりもずっと快適だった。
ところで、アメフトの起源はサッカーであると言われている。
ヨーロッパで頭蓋骨を蹴っていたサッカーが、オーストラリア大陸に渡ってラグビーとなり、それがアメリカ大陸でアメフトになったとのことである。
アメフトのルール・ブックは「電話帳ほどの厚さがある」といわれるほど複雑だが、基本的には「戦争を意識した陣取りゲーム」。攻撃側は4回の攻撃で10ヤード(約9m)以上進めれば、さらに4回の攻撃権が与えられ、進むことができなければ、攻守は相手チームと交代する。
その戦い方は、アメリカの文化を象徴しているともいわれる。
自由の国というイメージのアメリカも、こと仕事となると命令系統がじつにハッキリしており、命令を出す人とそれに従う人が厳密に区別されている。まさに軍隊。だから、アメフトにおいて各選手が自由に動き回ることはまずない。すべて決められた動きなのだ。
攻撃の場合、まずフォーメーション(隊形)を組み、そしてプレーが指示される。フォーメーションのパターンが10あって、プレーのパターンが30あれば、それだけで300種類もの攻撃バリエーションになるが、選手全員にその無数の戦術が頭に叩きこまれているという。
ちなみに、日本の大学で「京都大学」が強いのは、選手の頭で覚えている攻撃パターンが尋常でなく多いからだという意見もある。だが、鈴木さんに言わせれば、京大は5年制を取り入れて、4年生で就活と部活がかぶらないようにしているシステムも上手く機能しているとのことである。
ルールも攻撃も緻密なアメフト。攻撃の選手と防御の選手もまったく違う。攻守交代の際には、選手が総入れ替えすることになる。
鈴木さんのポジションは、攻撃ラインの「ぶつかるだけ」の選手だという(OL = Offensive Line)。そのセンター。
ぶつかるだけの鈴木さんのポジションは「危険」だと思われがちだが、止まった状態からぶつかるため、加速もついていないし相手がどこから来るかも予測できるので、思ったほど危険ではないという。
より危険なのはランニングバックという走りながらぶつかられる選手で、さすがに大きな怪我が多く、選手寿命も長くて30歳くらいまでといわれている。
アメリカでプレーする鈴木さんの「最大のモチベーション」は、全米チャンピオンになることだったが、それは昨年ついに達成された(2012)。
女子リーグWFAの中でも人気のある「サンディエゴ・サージ」という強豪チームで、悲願のチャンピオンとなったのだった。
徒手空拳の渡米から、じつに12年目の快挙であった。
そして今年、冒頭でも触れたとおり、世界選手権のアメリカ代表のメンバーに選出された。
「Betty SUZUKI」48歳
代表となるには「アメリカ国籍」を取得することが必要だった。つまり、日本国籍を捨てるという決断だ。
「ご先祖様に悪い気がしました」
と迷ったというが
「ずっと『アメフトのSUZUKI』だった自分が、アメフトのために国籍が変わるのも不思議でないかも」
と踏ん切りをつけたという。
代表の座をかけてトライアウトに望んだ全米の猛者どもは180名以上
その中の45人に「ベティ・スズキ」は選ばれたのだった。
アメリカ代表は昨年の世界選手権の決勝では、66-0という大差をカナダにつけて世界一の座についている。目指すは大会2連覇である。
「趣味はお酒」と豪快な鈴木さんだが、最近は身体に気をつかい「シーズン中は控えている」とのこと(若い頃は試合前日も飲んでいたというが…)。
今季のチームはロサンゼルのチームだが、プロといっても待遇はあまりよくない。1試合のギャラは100〜300ドル(1〜3万円)ほどなのだとか。
チームのフトコロ事情も厳しいもので、選手たちがイベントを行なってお金集めを行うときもある。たいていの選手はみな別の仕事を持っており、主婦やお母さん選手も。
孤軍奮闘
アメリカ、プロ13年目、9月には49歳
「選手としての可能性を信じて、できる限り本場で選手を続ける」
そう宣言する「ベティ鈴木」選手。
その道はどこまで続くのか。
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 6/13号 [雑誌]
「女子アメフト米国代表に。鈴木弘子が歩む激動の人生」
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