「世界一」宣言
サッカーの「長友佑都(ながとも・ゆうと)」は2年半前、「世界一のサイドバックになる」と宣言して、イタリアへと渡って行った。
しかし当時の彼は、「イタリアの地方クラブ(チェゼーナ)に移籍を決めたばかりのルーキー」に過ぎず、「天才でもなければ、エリートでもなかった」。
その長友佑都、今や、イタリア屈指のビッグクラブ「インテル」で「不動のレギュラー」を張るまでに急成長している。わずか2年半で…。
「持久力とスプリント力は世界屈指。前にも後ろにも、あれだけの運動量とスピードで走れる選手はそう簡単に見つからない。これに関しては、長友が世界トップレベルだと思いますね」
そう長友を高く評価するのは、「狂気のサイドバック」の異名をとった男、都並敏史氏(元日本代表)。長友の攻守にわたる「無限の上下運動」は、チーム戦術に大きな幅をもたらしている。
「左サイドに限定すれば、今の長友は間違いなく世界のトップ10に入ると思います(都並敏史)」
いったい何が長友をして、その実力を急成長させたのか?
イタリアに渡ったばかりの頃の長友を知っているエルメス・フルゴーニ(チェゼーナ時代のコーチ)は、こう語る。
「当時の長友は、戦術理解に難があった。イタリア流のポジショニングをつかみかねていたんだ。ピッチ上でいるべき場所、いるべきタイミング、そして何をすべきか」
2年半前、フルゴーニの目には、長友の「拙(つたな)さ」ばかりが映っていた。それでも、長友の「貪欲さ」には舌を巻いた。
「一度やると言ったら、絶対あとには引かない。ユート(長友)の練習に取り組む姿勢、あれは『覚悟』といった方がいいだろう」
いつも体当たりだったという長友。世界屈指のビッグクラブである「インテル」への移籍が決まった時には皆、「アイツなら必ずやれる」と確信していたという。
「成功を疑う人間は、誰一人いなかった(フルゴーニ)」
クラブW杯で世界一になったばかりインテルへ移籍した長友。その「貪欲さ」にはさらに磨きがかかる。
当時のインテルには、長友が憧れる「世界最高のサイドバック」がいた。マイコンだ(現・マンチェスターC)。その彼と同じチームになったからには「もう憧れとは言っていられない」。長友はマイコンを「超えるべきライバル」として、「吸収できるテクニックはすべて奪った」。
日々の練習への「覚悟」、そして「貪欲さ」。長友は昨季までに4人の監督に仕えているが、この覚悟と貪欲さは誰しもが認めるものであった。
インテルの現監督であるストラマッチョーニは、そんな長友への期待を大きく膨らませる。
「あいつはもっと危険な選手になれるし、彼は絶対に手放したくない選手だ」
ストラマッチョーニ監督に言わせれば、長友は「自分がインテルに来てから『最もうまくなった選手』」。加速度的な成長を続ける長友は、立ち止まることを知らぬようである。
世界のトッププレーヤーたちは「成り上がるのに時間をかけない」。ロナウドもイブラヒモビッチも「ステップアップを待たなかった」。
「最短距離で頭角を現して、ライバルを置き去りにすると、待ったなしで一気に上り詰める」
話飛んで、今季14節のパルマ戦。ミスを連発したインテルは「よもやの敗戦」を喫する。
この試合、インテルには天才司令塔のスナイデルもいなければ、長友とコンビを組むカッサーノもいなかった。悔恨の残る敗戦。険しい表情の長友は「ヘラヘラしている人間は一人もいない…」と試合後に語った。
「もし、スナイデルとカッサーノがいたら?」と聞かれた長友は、ピシリとこう言い放つ。
「そんなこと言っていたら、スクデット(セリエAのリーグ優勝)なんて獲れない。彼らがいなければ、僕らはサッカーができないのか? いやできない、と言うようだったら、本当の意味で優勝争いなんかできない」
長友の顔はもはや「独り立ちする男のそれ」。
世界一宣言から2年半、長友の心には「世界を4度制した国、イタリアのメンタリティ」がすでに宿っている。
「長友は、3ヶ月と同じところにはいない」
2年半前の世界一宣言は確かに、「怖いもの知らずの夢物語」に過ぎなかったかもしれない。
しかし今、長友は「凄まじい勢いで、その目標に近づいている」。
「世界一を目指す上で超えるべきハードルはもはや、『今より1m内側にシュートを打てるか』、『ドリブルを仕掛けるために25cmの幅を作れるか』、という微妙な差に過ぎない…」
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 1/10号
「セリエAを駆け抜けろ 長友佑都の成長サイクル」