2012年12月14日金曜日
「中国と戦う夢」。脱・根性バレー、眞鍋監督
「中国が夢に出てきたから、間違いない」
全日本女子バレーボールの監督「眞鍋政義(まなべ・まさよし)」氏は、選手たちにそう断言した。
眞鍋監督はロンドン・オリンピックが始まる前から「中国戦」を想定していたというが、その根拠は「夢に出てきたから」という実に可笑しなものだった。
「眞鍋さんが中国が夢に出てきたからと、『訳の分からないこと』を言うんです(木村沙織)」
さすがに選手たちも苦笑せずにはいられない。それでも、疑問を差し挟む選手はいなかった。
「だって、眞鍋さんの言うことはこれまでだって『その通り』になっていますから」
10年以上も日本代表を務め、これまで何人の監督をも見てきた竹下佳江もこう言う。
「眞鍋さんの言うことって、『ムカつくほど当たる』んですよ。そうかな? と思う時もありましたが、結局は眞鍋さんの『言う通り』になってきました」
この時もやはりそうだった。
眞鍋監督の夢の通りに、日本は準々決勝で中国と当たった。
日本はオリンピックで中国に勝ったことは一度もなかった。それでも、ロンドンでは勝った。それはひとえに、眞鍋監督が夢のお告げを軽んぜずに、中国対策を万全にしておいたからでもあった。
「でも、それは勘とかじゃないんです」と竹下佳江。「アナリストが分析する『膨大なデータ』を常に読み込んでいるからこそ、眞鍋さんには見えてくるんだと思います」。
「データの見せた夢」、それが眞鍋監督の対中国予想であったのだ。
眞鍋監督がデータを重視するのは、自分が「残念ながらカリスマになれない」と諦めていたからだった。
日本バレーボール界は長い間、カリスマ監督といわれる指導者を起用するのが常だった。しかしながら、オリンピックのメダルが遠くに霞んでしまった1990年代以降、女子バレーにはどこか「湿っぽさ」が付きまとうようにもなっていた。
1964年の東京オリンピックで金メダルに輝いた「東洋の魔女」は、もはや過去の栄光にすぎず、「根性バレー」の弊害に苛(さいな)まされ続けていたのである。
根性バレーにおいて、「頑張れ!」「もう少し!」とか言われても、選手たちにはピンと来ない。「どこをどう頑張ればいいのか、具体的には分からなかった」。
それでも、「カリスマ指導者の特訓にひたすら付いていくしかない」。こうした構図が女子バレー界には脈々と受け継がれており、それが足かせともなっていた。
ところが、自らをカリスマではないと断言する眞鍋政義監督の登場は、その風を一気に変えた。
選手たちの日々の練習データや試合のスタッツ(統計数字)が体育館にいつも張り出されるようになり、「この数値の高い順からコートに立てる」と眞鍋監督は選手たちに宣言したのだった。
かつてない透明性、そして公平性がそこにはあった。
しかしその当初、「選手たちはそれを嫌がった」。まるでテストの成績を公衆の面前に晒されているように感じたからだった。
「でも、自分のパフォーマンスが毎日データ化されるようになって、自分に足りない部分がハッキリ分かるようになった」と大友愛が言うように、この透明性は次第に選手たちにも受け入れられていくこととなる。
データ、データというと冷たく響くが、その一方で眞鍋監督は選手たちとの「対話」もとりわけ大切にした。
「僕はたぶん世界で一番『選手と対話してきた監督』じゃないですかね」
そう自負するほどに眞鍋監督は「選手との個人面談を繰り返し、自分がどういう選手になりたいのか、対話を繰り返した」という。
たとえば眞鍋監督は、日本のエース木村沙織に「お前が崩れたら、日本は負ける」と言い続けた。
それは試合のデータやスタッツ(統計)に基づくものでもあり、度重なる対話の中から監督がつかんだ木村の活かし方でもあった。
「何を大袈裟な…」
当初、木村沙織は眞鍋監督の言葉を聞き流していた。「そもそもチームスポーツって、一人の選手の出来、不出来で勝敗が左右されるはずがない」。
だから、木村にとっての眞鍋監督の言葉は、「は?」という感じでしかなかった。
それでも眞鍋監督はしつこかった。繰り返し繰り返し、事あるごとに「お前がダメならチームは負けるんだ」と木村に言い続けた。データやスタッツを木村に見せながら、「だから勝った」「だから負けた」とその都度、説明を繰り返した。
「そうやって対話を繰り返していくうちに、眞鍋さんの言葉が徐々に身体に染み込んできたんです」と木村。「そこまで言ってくれる眞鍋さんの期待に応えたいと思うようになり、ドーンと肝が座りました」。
ついに目覚めた日本のエース、木村沙織。17歳で全日本入りして常にチームの最年少だった木村は、ついに日本の大黒柱となったのだ。
木村はオリンピックを通して相手国から執拗に狙われることとなるが、彼女がその圧力に屈することは決してなかった。
それは、木村がどんなに狙われてスランプに陥っても、眞鍋監督が木村をスタメンから外したことがなかったからでもあった。あらゆる経験を通して、彼女には十分に「苦難に耐え忍び、逆境を撥ね退ける精神」培われていたのである。
「眞鍋監督は全日本女子バレーを変えた」
世界一といわれるデータ収集能力を駆使しながら、選手たちとの信頼を揺るぎないものとした眞鍋監督。
そうして作り上げられた「眞鍋ジャパンの結晶」とも呼べる戦いが、ロンドン・オリンピックでの「中国戦」であった。
選手たちは「夢に出てきた」という眞鍋監督の根拠のない言葉を愚直に信頼し、中国対策を万全に練り上げていた。中国の弱点は監督得意のデータによって、すべて洗い出されていたのである。
「息詰まる熱戦」。セッター竹下佳江は、指を骨折してなおトスを上げ続け、その乱れたトスを選手たちは懸命に中国コートに叩きつけた。エースの木村はここぞとばかり、大いに吠えた!
中国との決戦が第5セットにまでもつれ込んだ時、眞鍋監督はそれまで決して手放すことのなかったiPadをベンチに置いた。
「もはやデータに頼らなくても、このチームは必ず勝つ」
眞鍋監督はそう確信した。iPadを置いたこの時、監督の選手たちへの信頼は心底揺るぎのないものとなっていたのである。
28年ぶりの銅メダル。
それは、中国を制した日本女子バレーがこじ開けた「開かずの扉」であった。
その鍵はどこにあったのか?
眞鍋監督が見たという「中国と戦う夢」には、その鍵のありかが見えていたのかもしれない。そして、選手たちにかけられることになるメダルの夢も…。
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 12/20号
「中国と戦う夢を見た 眞鍋政義」
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