2012年10月14日日曜日
心優しき「鉄人」金本知憲(野球)。
140kmを超える速球が後頭部に直撃した。
飛び散るヘルメットの破片。
打席でもんどり打った鉄人・金本知憲(かねもと・ともあき)は、ひれ伏したまま動かない。そして、ベンチへと…。
そのわずか5分後、金本はグルグルと首を回してベンチ裏から姿を現すと、そのまま一塁へと走って行った。
静寂に包まれていた東京ドームは、鉄人の元気そうな姿に歓喜し、大歓声を上げた。
そしてさらに驚くべきは、仲間のヘルメットを借りて向かった次の打席、金本は弾丸ライナーのホームランを放つのだ。2008年5月7日の399号ホームラン。節目となった400号以上にインパクトのある衝激的な一撃だった。
140km以上の頭部へのデッドボールに耐えた「鋼の肉体(頭?)」。その恐怖心を跳ねのけ、次の打席でホームランを放った「精神力」。「代役を立てない男」の凄みは、「つねに結果を伴ってきたこと」であった。
さらに多くの人々を唸らせたのは、試合後の舞台裏である。
試合が終わると都内の病院に直行した金本、MRI検査が終わるとすぐに担当記者の携帯を鳴らした。
「言い忘れたことがある。木佐貫(投手)が投げた球は『故意でも、威嚇でもない』。オレは大丈夫。何ともないから。このコメントを必ず新聞に載せて欲しい。締め切りに間に合うかな?」
なんと、金本は自分の身体以上に、自分の身を危険にさらした投手の心配をしていたのだ。
投手の木佐貫(ジャイアンツ)は、デッドボールを放った後、危険球の警告を受けて呆然とマウンドに立ち尽くしていた。金本は、その木佐貫の繊細な性格を案じていたのである。
ここまで金本が投手の心に気を使うのには訳があった。
2005年、「ヘルメットが脱げて、直接頭に当たったのかと錯覚した」というほどのデッドボールを金本は頭に受けた。その時の投手は三瀬幸司。前年度のパ・リーグ新人王、ホークス待望の若き守護神であった。
周囲の期待厚かったこの三瀬、金本へ与えてしまったデッドボールを境に「坂道を転げ落ちるように一軍のマウンドから去っていった…」。イップスを発症した三瀬は、明るかったはずの選手生命が突然断ち切られてしまったのだった(イップスとは、精神的な原因により起こるとされる運動障害)。
「若い投手の将来を潰したくない…」
この一件以来、金本のこの想いは一層強まっていた。だからこそ、木佐貫にあそこまで気を使ったのだ。MRI検査で自身の健康を証明するや、それをいち早く新聞に載せて欲しいと記者に頼んだのであった。
金本がデッドボールを受けてなお、次の打席で放ったホームランは健全さの「究極のメッセージ」であった。そして、メディアを通した「粋な計らい」によって、金本は若き木佐貫の投手生命を救ったのだった。
そんな心優しき金本は、連続試合出場記録、世界一(1429試合)を誇る「鉄人」。
しかし、誰にでも「終わり」は来る。金本の終わりは、右肩の筋肉断裂(2010)から始まった。
「箸を持てない。湯のみをつかめない。ドアノブが回せない…」
それでも、金本は脂汗を滴らせながら、バットを握りしめていた…。
そして今年の9月12日、ついに鉄人は「引退」を表明。
胃潰瘍を抱えた腹に冷たい缶コーヒーをグビグビと流し込み、夜はビールをチェイサーに焼酎のロックを気が済むまで飲んでいたという金本。「私生活でも鉄人伝説を挙げればキリがない」。
その無比の鉄人に「金魚のフンみたいに付いていけ」と若手に言っていたという星野監督(阪神時代)。それほど「酷な指令」もあるまい…。
「球界に王二世や長嶋二世が存在しないように、この先、金本知憲を彷彿とさせるプロ野球選手は永久に出てこないだろう」と、14年間「アニキ」に密着していた担当記者は、愛情を込めてそう語る。
たとえ、どんな身の危険にさらされようとも「一瞬たりとも投手を睨みつけない信念」を持っていた鉄人は、今静かに後ろ姿を見せている…。
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 10/11号
「金本知憲 鉄人が輝いた衝撃の一戦」
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