2012年9月12日水曜日
「和」こそが日本バレーの底力。栗原恵
その日の彼女の笑顔には一点の曇りもなかった。
「ハハハ。私、そんなに明るいですか? 怪我が治って身体が普通に動かせるようになったのが一番うれしいです」
隠し事ができないという彼女は、不安がすぐに顔に表れる。そんな時の笑顔は薄いベールで覆われていたり、瞳の奥に暗い陰を宿していたり…。
ところが、今の彼女はじつに晴れ晴れとしていた。
◎プリンセス
「プリンセス・メグ」と呼ばれるようになって2つのオリンピック(アテネ・北京)で活躍したバレーボールの「栗原恵」選手。高校3年生で全日本に選ばれて以来、押しも押されぬ日本のエースとしてコートに立ち続けてきた。
そんな彼女の背中には、エースとしての重圧が容赦なくのしかかり続けていた。それゆえか、どんなに活躍しても、彼女が自分を許すことは決してなかった。たとえVリーグでMVPに輝いても、「私はまだ相応しい選手ではありません」と顔を曇らせる始末。
「世間の注目と自分の実力の乖離」。その狭間で苦しみ続けた栗原選手は、ここ数年、自分を追い込みすぎて、「大怪我」の連続だった。
今回のロンドン・オリンピックの代表に選ばれなかったことも、万全ではなかった身体が、そのどこかで響いていた。
◎テレビで見るオリンピック
「私、オリンピックをテレビで見るのって、初めてなんです。アテネ、北京と出場する側だったから…。バレーはほぼ全試合見ました。」
ロンドン・オリンピックへの出場が叶わなかった悔しさはどこへやら。彼女は観客として応援する自分を楽しんでいた。
「もちろん、私も画面の向こう側にいたかったなとか、悔しいなという思いはありましたよ。でも、体育館に応援に集まった大勢の人たちを見ているうちに、『オリンピックって、国民が一つになって応援するものなんだな』って気づかされました。『日本中がこれほどオリンピックに夢中になっていたんだ』と知って、びっくり」
初めて選手という立場を離れたオリンピック。そして、初めて応援席に座ったオリンピック。その彼女の目には、今まで見えていなかったものが見えていた。
「自分の背負ってきた重み」、「日の丸をつけてプレーできる幸せ」…。
見る立場になったオリンピックは、そのスケールが一段と大きく感じられていた。
◎フルセット・中国戦
画面の向こうでは、仲間たちが獅子奮迅の活躍に汗を飛ばしていた。
栗原選手に代わってエースを務めていたのは、「木村沙織」選手。予選ラウンドではまだ本調子でなかったエース木村は、「一番の勝負どころとなる」と眞鍋監督が言い続けていた準々決勝・中国戦において、ついに爆発した。
第1セット中盤、「アーーーッ」という雄叫び。インナーのコースへ決まった鋭いスパイク。それが木村選手の「復調のサイン」となった。中国の2枚ブロックもブチ抜く力強さ。彼女は中国戦で33もの大量得点を挙げ、フルセットの死闘を制する原動力となったのだ。
日本の女子バレーは、1964年の東京、1976年のモントリオールで金メダルを獲得している。「東洋の魔女」と呼ばれた伝説である。
しかし、1984年のロサンゼルスを最後に、日本はメダルから遠ざかっていた。体格で勝る欧米諸国。さらに進化するスピードと技術。アジアの中では、高さのある中国だけがメダル争いに加わっているという状況が続いていた。
その中国を撃破した日本。
日本国民が盛り上がらずにいられようか。
◎強固な和
続く準決勝・ブラジル戦で敗れはしたものの、日本チームは韓国との3位決定戦において、その「真骨頂」を発揮する。
韓国は強烈な「一つの個」、エースのキム・ヨンギョンが引っ張るワンマン・チーム。対する日本は「強固な和」で迎え撃つ。この一戦はそんな構図になっていた。
韓国のエースであるキム・ヨンギョンといえば、欧州チャンピオンリーグでチームを優勝に導いた「世界的なスパイカー」。その実力は日本の眞鍋監督も認めるところで、「ヨンギョンというエースが一人いるだけで、周りの選手がプレッシャーから解放されている」と言わしめるほどである。
それに対して、日本には「一本で相手をねじ伏せるような強烈なスパイクや、圧倒的なブロックはない」。日本の強みはといえば、「ジリジリと相手を締め上げていく組織力や粘り」なのであった。
◎対照
試合の序盤、日本はその戦略通りに、ジワジワと韓国にプレッシャーをかけ、ミスを誘う。
エース木村のスパイクが決まらぬのなら、それを補うかのように迫田選手がパンチ力のあるスパイクを韓国コートに叩き込む。「誰かの調子が悪くても、他の誰かがカバーする」。あくまでも日本は「チーム」であり続けた。
一方、日本のジワジワとした戦略に、少しずつ歯車の狂ってきた韓国。世界的なスパイカー・ヨンギョンは、その「いらだち」を隠せなくなってくる。
いらだつエースは審判の判定に猛抗議したり、チームメイトに「もっと集まってきてよ!」と声を荒げたり…。韓国のチームメイトは突っ走り過ぎるエースに、すっかり追いつけなくなっていた。
◎チーム力
「ブロンズ・メダリスト、ジャパン!!」
コートに響きわたるアナウンス。終わってみれば、日本のストレート勝ち。日本はゲームプラン通りに確実に勝利をものにしていた。
大小いくつもの日の丸が揺れる会場の真ん中で、歓喜の抱擁を繰り返す日本チーム。とめどなくあふれる涙。ついに、メダル獲得。この瞬間、メダルから遠ざかっていた長く苦しい歴史に終止符が打たれたのであった。
日本チームの川北コーチは語る。
「オリンピックでメダルを争って最後に勝つためには、チームがまとまっているかどうかが大事です。それは、オリンピック・メンバーに選ばれた12人だけがまとまっていればいいわけではありません。『それまでに関わってきたみんな』を含めてこそ、チーム力となるのです」
◎個から和へ
「28年ぶりの銅メダルは、素直に嬉しかったです」
テレビを見て、画面の向こうでその感動を分かち合った栗原恵選手は、きれいな笑顔で、そう喜ぶ。彼女自身、日本のメダルは悲願。アテネ、北京と5位に終わっていた彼女の念願であった。
「一回オリンピックから離れてみて、自分がこれまで、どれだけ大きな舞台に立っていたか良く分かりました」と栗原選手。
今の彼女は、ロシアへの移籍をヘて、岡山シーガルズでプレーしている。オリンピックを離れた彼女は、この新たなチームで「個」のプレーヤーから、「和」のプレーヤーに変じていた。
「バレーはチームスポーツですからね。個人のスキルを高くするのは大前提ですけど、チームとしての総体が力をもたないと、やはり勝利にはたどり着けません」と語る彼女は、自分のプレー以上に、チームメイトの動きに目を配っている。それは彼女が確実に向上していることの証でもあった。
◎本当のエース
栗原選手が「チーム」を以前より意識するようになったのは、ロシアのチーム「ディナモ・カザン」に移籍した時。
このチームはロシアのナショナル・チームの多くが在籍しているのだが、「個々の能力がスゴく高いのに、コンビとか『つなぐバレー』ができていない」。「助け合う気持ち」が足りないように栗原選手には感じられた。
そんな中、ひときわ輝いていたのが、世界ナンバーワンと言われる「ガモア」選手。
「チームメイトに対する気配りがスゴい」と感心する栗原選手。「キャプテンじゃないけど、チームを動かしているのは彼女でした。『本当のエース』って、こうやってチーム全体を常に見ることができる選手のことなんだな、とガモア選手の姿勢から学んだんです」
◎これからの選手
ロンドン・オリンピックの代表から漏れた栗原選手のもとには、「引退するんですか?」との手紙も心配するファンから寄せられていた。
そんな心配をよそに、彼女は堂々と宣言する。
「私は『これからの選手』です」
自分でも不思議なくらいに「向上心」が一向に衰えないという彼女。ふたたび次のオリンピックを目指す姿勢を新たにしている。
「バレーは空中で一瞬の判断が求められる奥の深いスポーツですから、『経験』が大きくものをいうんです。つまり、私にもまだまだチャンスがあるということです」
一度オリンピックを離れて、違う立場に立った栗原選手。その「経験」はさらに深まった。そして、その目ももはや自分のプレーだけには向いていない。チームメイトや応援してくれる人々にも優しく向けられている。
「一点の曇りもない笑顔」
それが今の彼女の新しい姿であった。
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参考・出典:
Number 8/24臨時増刊号 「全日本女子バレー ~和の力で掴んだ勝利~」
Number 811号 「栗原恵 ~テレビで見た初めてのオリンピック~」
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