2012年9月19日水曜日
失速した男たち。日本サッカー・五輪代表。
失速……。
オリンピック・男子サッカー、日本代表チームのピークは、あまりにも早すぎた。まるで、「初戦でパワーを使い切ってしまった」かのように…。
それもやむを得ない。なぜなら、初戦の相手は優勝候補の筆頭・スペインである。
「そこまでならなければ勝てない相手だったと思います」と東慶悟は振り返る。
あの尽きることのない驚異的な運動量があったからこそ、強豪スペインを圧倒でき、優勝候補を奈落の底に突き落とすことができたのだ。もし、ここで道が閉ざされていたら、次の試合などなかったかもしれないのだから…。
スペインとの対戦中、東は目に見えない力に押されるような、不思議な感覚を味わっていた。「取れないところまでボールが取れるという感じでした」
試合中はアドレナリンが出過ぎてハイになっていた身体。しかし試合が終わると、「これまで経験したことのないほどの疲労」が東の全身を襲ってきた。
大金星の代償。それは疲労という重しだった。
「身体が動いている気がしない…」
重しを背負わされた日本選手の動きは、初の敗戦となったメキシコ戦、あまりにも鈍かった。
オリンピックの日程は全試合、「中2日」という強行スケジュールである。これはワールド・カップなどよりもずっと厳しい。それに加えて、「会場間の移動」というのも選手たちを苦しめた。男子チームがオリンピックで戦った6試合は、すべて違う会場であった。
「たとえば、試合翌日の午前中に、ホテルのプールでリカバリーを行うと、午後には次の会場に移動しなければならず、荷解きもそこそこに、一夜明ければもう試合前日。これでは、なかなか身体を休める暇もない」
メダルをかけた一戦となったメキシコとの準決勝。その前日は不幸にして「最長時間の大移動」を強いられていた。
「マンチェスターからロンドンまで、バスに揺られること5時間。その後、選手村から往復2時間をかけてスタジアムを下見。ほぼ半日をバスの中で過ごした末、選手村へ戻ったときには夜10時を回っていた」
「移動は…、かなりきつかったですね。精神的にもかなりこたえました」と東。「でも、移動がなかったらとか、”たられば”を言っても仕方がないです」
メキシコ戦当日、「疲労の蓄積した体は、今まで通りに動いてくれなかった」。
疲労とともに増えるミス。メキシコにボールを持たれる時間が長くなり、ますます「走らせられる」。そして、それがさらに動きを悪くする。
相手チームに「走り勝つ」ことで、準決勝にまで勝ち上がってきた日本チーム。「じゃあ、走れなくなったとき、どういうサッカーをすればいいのか?」
一方のメキシコ・チームは「至極落ち着いていた」。しかも「タフ」だった。同じ試合日程をこなしているとは思えないほどに。
「本当に強いチームというのは『常に強い』し、一試合ごとに動きが落ちていくどころか、逆に良くなっていく。メキシコはそういうチームでした」と東は語る。
それに比べて、日本チームは…、「試合を重ねるごとに、自分たちの強みが失われていきました…」。全6試合をフル出場した山口螢は、そう振り返っている。
理想的な先制ゴールをあげながらも、逆転負けを喫した準決勝・メキシコ戦。
「負けてしまうと、疲れもドッと出る」
次の試合は3位決定戦、宿敵・韓国。足の止まってしまっていた日本は、要所要所で「らしくないプレー」が出てしまい、「あっさり韓国に寄り切られた」。
メキシコ戦につぐ2連敗。メキシコと戦うまでは、「無失点」だった日本。しかし、最後の2連敗で計5失点。その失速は、最悪のかたちで現実化してしまっていた。
「本当に強くなっていくためには、初戦でパワーを使い切ってしまうんじゃダメなんです。やっぱり、勢いだけじゃ勝ち上がれない」
東の言う通り、「勢い」だけではメダルに手が届かなかった。それでも、選手たちは「メダル以上のもの」を手に入れているかもしれない。「疲労による失速」という痛い経験は、何試合も勝ち上がったからこそ実感できたものなのだ。
「予選敗退に終わっていたら、知ることのできなかった領域」であり、日本チームはそこまで強くなっていたのである。
「凡庸な試合の末に手にした銅メダルよりも、敗北を理由に浴びせられる罵倒の方が、若い日本の選手にとっては糧となる」という厳しい意見もある。
たとえば、女子サッカーの3位チームがどこの国か知っているだろうか? 「サッカーの銅メダルとは、その程度のものでしかない」。
「でも、やっぱり…、メダルは持って帰りたかったな…」
それは偽らざる本音であろう。
出典:Sports Graphic Number 2012年 9/27号
「回想ドキュメント 2つの敗戦の真実」
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