2015年4月12日日曜日
もし子どもが「スケーターになりたい」と言ったら?
まだ年少の息子が、へんな遊びをしていた。
足にビニール袋を”はいて”、家の廊下で滑りはじめたのだった。
母・真紀さんは言う。
「ちょうど木村拓哉さんがドラマでアイスホッケーをやっていたんですよね(2004『プライド』)。息子に聞くと『アイスホッケーをやりたい』と言うんです」
それで”リンク探し”がはじまった。幸いにも京都市内、自宅から10分ほどの手頃なところにスケートリンクはあった。
本田太一くんはその醍醐スケートリンクでアイスホッケーをはじめた。すると、メキメキ上達。
「もっとスケーティングの技を磨きたい」と言い出した。
これが本田家とフィギュアスケートの出会いだった。両親も親戚も誰もスケートをやったことがなかったのだが…。
本田家の子育ては
「子どもに意志があれば、全力で協力する」
その日から母・真紀さんのハードスケジュールがはじまった。
「朝4時に起床して、まずはお弁当つくり。家族そろってご飯を食べられるのは朝だけなので、うちは朝に全力を注ぎます。みんなが起きてくるのが6時前。家を出るのは6時50分。クルマで30~40分くらいの学校(大阪府高槻市)に子どもたちを送っていく」
長男・太一くんがフィギュアスケートにのめり込んでいくと、下の3人の女の子たちも自然とリンクに通うようになった。
「自分は”そういうおうちに生まれた」
そんな感覚で、真凛(まりん)ちゃん、望結(みゆ)ちゃん、紗来(さら)ちゃんはフィギュアスケートを滑るようになっていた。親がさせた、というよりは”子どもたちが憧れて”はじめたのだった。
しかし、なんと4人もフィギュアをやらせるとは…。
送迎、教育、費用…。なみなみならぬ両親の協力が求められた。
学校からリンクへと向かう子供たちは、夜9時くらいまでずっとリンクにいる。曜日によってはスケートだけでなく、バレエがあったりヨガがあったり。帰宅するころには夜の10時を過ぎている。子どもたちは入浴後すぐに眠ってしまうが、母・真紀さんの家事はそこからだ。朝4時には起きるのだから、その睡眠時間は恐ろしく短い。
母・真紀さんは言う。「寝ている時間がないということはないですよ。望結(みゆ)のお仕事で東京に一緒に来るときは新幹線で寝てますし」
望結(みゆ)ちゃんの仕事? じつは2歳から子役としてテレビに出ているのだった。
醍醐スケートリンクが閉鎖されたとき(2005)は大変だった。
夫・竜一さんの仕事が猛烈に忙しい中、真紀さんはクルマで片道1時間半以上かかる奈良のスケートリンクまで、毎日子供たちを送り迎え。移動中の車内で、長男・太一くんは受験勉強にいそしんだ。
母・真紀さんは言う。「ちょっと練習できない期間があると、出来ていたこともすぐに出来なくなりますから。フィギュアには見た目の華やかさだけではない厳しさもあります。練習したからってトントン拍子に上手くなるわけでもありません。でも、遠いところに通っていたことで、みんなが本気になったというところもあります」
親もきつければ、子もきつい。
長男・太一くんは中学1年生で強化選手に指定されたが、ケガで苦しむ時期もあった。けっして弱音を吐かない長男を見かねて、母・真紀さんはLINEにこんなメッセージを入れた。
「スケート靴を脱ぐのもありかな。ほかの人生だってあるよ」
すると、こんな言葉が返ってきた。
「腐ってません」
母は言う。
「ああ、まだ続けるんだなと思いましたし、これで親子関係もまた深くなりました。スケートは送り迎えであったり、コスチュームの用意であったり、国際大会のエントリーであったり、すべて親の許可が必要。だから、親に対する感謝がすごいんです」
経済的にもっともきつかったのは、”強化指定がつく直前”だったという。
「強くないのに一人前に海外試合に呼ばれだす時期が、一番しんどかったですね。でも、子どもがやりたいと言えば、親は何をしてでも、飲まず食わずでもやらせようと思いますよ。他のことをすべて犠牲にできるかどうか。毎日少なくとも3~4時間、多いときは6~7時間練習しますから」
レッスン代、リンクの貸切料、スケート靴、ブレード、コスチューム…。海外遠征ともなれば、本人はもちろん、コーチの分の遠征費用も負担しなければならない。親も行けば3人分だ。
現在、長男・太一くんと二女の真凛(まりん)ちゃんが日本スケート連盟の強化選手となっている。
母・真紀さんは言う。
「望結(みゆ)がダブルアクセルを跳べた瞬間は、『ウー』って涙がでてきました。親は練習で失敗し続けるのを何カ月も見ていますからね」
子どもの数だけ、喜びの数がふえる。
未来のフィギュア界は、そんな親たちの熱意によってつくられていくのだろう。
(了)
ソース:Number(ナンバー)875号 羽生結弦 不屈の魂。フィギュアスケート2014-15 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
「我が子をスケーターにするには」
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